この連載の記事
1. 僧侶の恋歌
インドでは、何らかの苦行をともなう修行生活をブラフマチャリヤと呼んでおり、この語は狭い意味では性に関して禁欲を守ることを意味します。ヒンドゥー教徒であったガンジーが、まだ36~37歳の男盛りの頃、妻に自分は「ブラフマチャリヤを保つことにする」と宣言し、以後守りとおしたのは、まさにその意味でした。古代に誕生した仏教も、
2. 仏教文献の誤写・誤植と文字作り
トイビト編集部
写経と聞くと、国宝の平家納経が示すように、一字一字に注意を払って正確に、しかも見事な筆跡で書かれているものと思いがちです。確かに、経典は慎重に書写されるのが通例ですが、学習のために経典の要所を抜き書きしておく場合とか、さほど尊敬されていない学僧の大部の注釈などは、雑に間違いだらけで筆写されることも多いのです。
3. 日本の清酒とコピーライターの元祖?
酒屋といえば、現代では酒を売っている店を意味しますが、古代には酒を造る建物のことを酒屋と呼んでいました。奈良時代初期に編纂された『播磨国風土記』では、「酒殿を造りし処(ところ)を、即ち酒屋の村と号(なづ)け」たと記しています。そうした酒屋は、実は大きな寺院にも置かれていました。
4. 琵琶を頭の後ろに回して弾く天女
楽器を曲芸のようなやり方で演奏することを、曲弾きと呼びます。曲弾きは、世界諸国で様々な例が見られますが、ギターを背中に回して弾くと言えば、ロック好きの人は、ジミヘンの愛称で知られるジミ・ヘンドリックス(1942-1970)を思い浮かべることでしょう。
5. サウナの功徳を説いたお経
第三回目の記事で寺の「酒屋」について触れましたので、今回は「湯屋」にしましょう。むろん、共同浴場は仏教が起源だという話です。なんでもかんでも仏教由来にするなと怒られそうですが、事実なのですから仕方ありません。
6. 伝染病と仏教
下火になってきたとはいえ、コロナ禍が続いていますので、伝染病と仏教の関係について述べておきましょう。実は、釈尊の時代にも伝染病が流行したことがありました。釈尊がマガダ国の都に滞在していた際、隣国で疫病が広まり、釈尊が出かけていってそれを終息させたとする伝承が、複数の経典に説かれています。
7. 乳の仏教学
前回は伝染病と薬の話であって、維摩詰(ゆいまきつ)が病気となった姿を示す『維摩経』にも触れました。その『維摩経』では、釈尊がちょっとした病気になった際、弟子の阿難が釈尊に命じられ、牛乳を布施してもらいに出かけたところ、皮肉屋の維摩詰に出会います。
8. マリア観音と鬼子母神
前回は、釈尊の母の説話との類似ということで、幼子イエスを膝にかかえる聖母マリアの絵に触れました。現代の日本人がこうしたマリア像に似ている東洋の作品と言われて思い浮かべるのは、狩野芳崖(1828-1888)の名高い「悲母観音」でしょう。しかし、観音は「大悲観世音」と称されて信仰されてきたものの、「悲母観音」「悲母観世音
9. 禅僧の望郷詩
前回は、福建で焼かれた白磁のマリア観音像が日本にもたらされたという話でした。むろん、白磁の像が自力で泳いでくるはずもなく、商人たちの船で運ばれてきたのです。当時、陶磁器は交易の重要な品目でした。
10. 和尚と小僧
前回は、禅僧と言うと「喝!」と叱り飛ばすようなイメージがあるものの、意外にも望郷の念にかられる面もある例を取り上げました。ただ、一般の人が禅僧と聞いて思い浮かべるのは、頓知ばなしでおなじみの一休さんかもしれません。
11. 修行としての便所掃除
前回は「和尚と小僧」の笑話の代表として、一休さん話をとりあげ、モデルとなった一休宗純禅師(1394-1481)にも触れました。その一休は、大応国師(1235-1309)が宋で臨済禅を学んで帰国した後、京都に禅寺として建立した妙勝寺が戦火で失われたこと歎き、寺を復興して晩年はそこで過ごしました。それが一休寺という通称で
12. 「こころの時代」はアメリカ由来
前回書いた便所掃除については、「便器を磨くことは、心を磨くことだ」といった教訓が語られることもあるようです。それが日本の、とりわけ仏教の伝統だとされるわけですが、心重視という点で気になるのは、一時期、盛んに語られていた「こころの時代」という言葉です。
13. Zenという表記はいかにして生まれたか
前回は、「こころの時代」はアメリカ由来だという話でした。仏教関連でアメリカ由来であるものは、実はほかにも少なくありません。その代表例は、Zen という表記でしょう。
14. 肩から炎、足もとからジェット水流を放つ仏
前回は、Zenという表記であったからこそ、東洋の神秘を感じさせ、人気になったという話でした。ただ、皮肉なことに、禅宗は神秘的なことを嫌うのです。
15. 地獄に落ちたお釈迦様
前回は、釈尊が肩から炎、足もとからジェット水流を放って空に浮かぶ話でした。ジェット水流は用いないにしても、釈尊が神通力で空を飛んだとする記述はかなり見られますが、今回は釈尊が墜ちたとする経典をとりあげます。しかも、よりによって地獄落ちしたという話です。
16. なぜ鬼は虎皮のパンツを履くのか
前回はお釈迦様が地獄に落ちる話でした。地獄と言えば、鬼がいて悪いことをした亡者たちを苦しめるところであって、その鬼については、虎皮の腰巻や幅広の褌(ふんどし)をしているというのが今日のイメージです。童謡やドリフターズの替え歌では、鬼は虎皮のパンツを履いていることになってますね。
17. ペット供養は唐代からあった
前回は地獄の鬼の話でした。仏教では、人が死んだ後に生まれる世界のうち、地獄・餓鬼・畜生のあり方を「三悪趣」、つまり三つの悪い世界と呼んでいました。畜生といってもことらさらにおとしめた意味ではなく、要するに動物のことです。
18. 僧侶による戦死の礼賛と桜の花
前回は、敦煌写本に見られる動物の追善供養のための願文マニュアルには、犬・牛・馬など様々な動物のための願文例はあるものの、猫に対する願文が無いという話でした。実は、もう一つ欠けているものがあります。それは戦死者のための願文です。
19. 剣を手にして争う仏
前回は、仏教の僧侶たちが戦争を擁護し、戦死を礼賛した話でした。安らぎを求める仏教に反する内容ですが、意外にも、その仏教の仏が戦う話がいくつもの国で歓迎されて来ました。
20. 漢訳仏典の音写語が日本語になるまで
前回は、仏の軍勢と地獄の戦いということで、閻魔王に触れました。インドでは死後の世界の王を「ヤマ・ラージャ」と呼んでおり、「ヤマ」はその王の名であって、「ラージャ」は王という意味です。つまり、閻魔王の「閻魔」は、「ヤマ」を音写したものだったのです。このため、「閻摩・閻磨・夜磨」など様々な表記がなされていました。
21. 空飛ぶ鉢と『竹取物語』の親父ギャグ
前回は、梵語の音写語の例ということで鉢に触れました。そこで今回は鉢について……というように、最近のこの連載では、前回の内容を承けて次の話を進めています。
22. 月の光と仏菩薩の化身である下女
前回は、鉢が空を飛ぶ話、また、月に帰ったかぐや姫のモデルは『月上女経』の主人公である月の光より輝かしい月上女だという話でした。そこで今回は、この二つを合わせ、人が中空に浮かんで月の光の上に乗る話を紹介しましょう。
23. 「心は闇だ」の系譜
前回は月の光の話でしたので、今回はその反対の闇をとりあげることにします。月の光と闇と言えば、老齢の方が思い出すのは、「空は晴れても心は闇だ」という泉鏡花『婦系図』の名セリフでしょう。
24. 至高神アフラ・マズダーと少年のような阿修羅像
前回は、仏教における月の光と闇との対比という話でした。ただ、光と闇と言えば、これを基本とする宗教は仏教ではなく、ゾロアスター教です。
25. 寺院における少年愛
前回の記事は、興福寺中金堂の阿修羅像の話でした。細身であって、愁いを帯びた少年のような表情によって人気が高い像です。ただ、魅力的な少年というと、日本仏教の場合、どうしても寺院における少年愛に触れざるを得ません。日本の貴族・武家社会では男色がきわめて盛んであり、特に寺院では、戦国時代にやってきたイエズス会の宣教師たちが
26. 花を笑わせた僧侶たち
前回は、花のような美少年に恋する僧侶の話でした。仏教は実は花と関係が深いのです。『華厳経(ガンダヴューハ・スートラ)』の「ガンダヴューハ」は、花による荘厳という意味ですし、『法華経(サッダルマ・プンダリーカ・スートラ)』も、泥水の中にあって汚れに染まらず、美しく咲くプンダリーカ、すなわち白蓮を題名としています。
27. 寺を「てら」と呼ぶ理由
前回は、仏教は花と関係が深いという話でした。実際、華道は仏像に花を供える習慣が洗練されて生まれたものですし、花の名所として知られ、アジサイ寺とかボタン寺などのように花の名で呼ばれる寺も少なくありません。
28. テラ銭と僧尼の博打
前回は「寺」という漢字を「てら」と訓む理由を紹介しました。この「てら」という語は、誰もが知っているお馴染みの言葉であるのに、「寺院」とか「寺社」などの漢字熟語と違い、「てら」で始まる表現は多くありません。雑用をする「寺男[てらおとこ]」などは数少ない例のひとつでしょう。
29. 僧兵による寺院の焼き討ち
前回は、寺の中で博打をするという、けしからぬ話でした。しかし、寺院に関わるもっともけしからぬ行為は、寺に火をつけて焼くことでしょう。ただ、寺を焼くことは、古代から行われていました。
30. 「心から」の原義は「自業自得」の「自」
前回は寺を焼くという悲惨な話でした。焼くのは魚や肉の料理くらいにしておきたいものです。ただ。「餅を焼く」でなく、「焼き餅を焼く」と言うと、自分より他の人に愛情が向けられていることをねたましく思う、という意味になります。
31. 夏の「お盆」は仏教行事なのか
前回は「自業自得」の話でした。自業自得である以上、悪業の報いは当人が現世か来世、あるいはその先のどこかの世で受けるはずです。しかし、地獄や餓鬼の世界に生まれた人は、自力で善行を積んでそこから脱出するのは難しいでしょう。
32. 盆踊りの踊り方は一遍上人の時代から
前回は、お盆に関する話でした。お盆と言えば、お墓参りや盆踊りということになりますが、実は明治初年には盆踊りを禁ずる布告が各地で出されていました。現在、盛大な行事となっているのは、その後、復興したおかげなのです。
33. 酒宴で踊る僧侶
前回は、一遍上人につき従う僧たちが念仏踊りをする話でした。しかし、僧侶が踊るとなると、最も有名なのは『徒然草』五十三段が描いている仁和寺の坊さんの失敗譚でしょう。
34. 笑う仏と菩薩
前回は、仁和寺の僧が酒宴で鼎[かなえ]をかぶって滑稽な踊りをするという話でした。「満座興に入る事限りなし」と記されていますので、その席にいた者たちは大笑いして喝采したことになります。日本で仏教と言うと、「祇園精舎の鍾の声、諸行無常の響きあり」で始まる『平家物語』が有名すぎるため、暗いイメージがあるのですが、仏教は実は
35. 親しまれ、笑われる釈迦
前回は、笑う仏と菩薩の話でした。そこで今回は逆に、笑われる仏の例をとりあげましょう。一神教の世界と違い、日本では超絶的な神の概念がなく、神仏は人間的な存在とみなされて頼られがちであるため、親しみを持って笑われることもあったのです。
36. 遊女と仏教
前回は、釈尊が遊女と心中するという筋の洒落本をとりあげました。何ともひどい話ですが、実は仏教は早くから遊女と関係がありました。そこで今回は遊女の話です。
37. 消えていった菩薩の口髭と天人の翼
前回は、日本で遊女が観音菩薩扱いされたことに触れました。実際、観音菩薩像には女性らしい様子のものが多いことは確かですね。そこで今回は、観音は女性なのかどうかについて考えることから始めます。
38. 天狗は鎌倉時代から自惚れていた
前回は、西北インドやシルクロードでは翼のある天人が描かれていたのに、中国では天人の翼が消えており、毛だらけで翼を持つ異域の怪物などの伝説の影響なのか、翼をつけているのは下級鬼神などだけになるとし、日本でも翼を有しているのは怪鳥のような天狗くらいだと書きました。そこで、今回は、天狗を取り上げましょう。
39. カラスが出家する話
前回は烏天狗と鼻高天狗の話でした。そこで今回は、カラスが出家する話にしましょう。仏教と縁が深い鳥と言えば、孔雀明王の本体である孔雀とか、山の寺の森などに棲むことが多く、「仏法僧」と鳴いているように聞こえるため霊鳥扱いされているブッポウソウなどが思い浮かびます。これに対し、カラスは古代から嫌われがちでした。
40. 鹿が生んだ仙人の子はどうなる?
前回は、合戦に敗れたカラスが出家する話でした。異類物と呼ばれるこうした話、つまり、動物などを擬人化した物語は、中世から江戸初期にかけて数多く作られました。その中でもきわだって面白く、また絵巻にも描かれて人気が高かったのが、鹿などを相手に戦って敗れた狸が出家する『十二類絵巻』です。そこで、今回は鹿に関する話にしましょう
41. 「憲法十七条」は白い鹿の角の根にあった字に基づく?
前回は、鹿が仙人の子を生むという話でした。鹿と言えば思い浮かぶのは角ですので、今回はその話にしましょう。鹿の角は、古代から漢方薬として尊重されてきました。まして縁起の良い白鹿の角となれば、いっそう貴重な存在ということになります。
42. 守屋は仏教の味方です
前回は、最後の部分で物部守屋に触れました。仏教導入に反対であった守屋は、推進派である蘇我馬子と対立して馬子の軍勢と戦うに至り、初めは優位に立ったものの、少年であった聖徳太子が四天王に戦勝を祈願した結果、打倒されたという伝説は有名ですね。