釈尊と菩提達磨が起こした奇跡
前回は、Zenという表記であったからこそ、東洋の神秘を感じさせ、人気になったという話でした。ただ、皮肉なことに、禅宗は神秘的なことを嫌うのです。
インドは昔から奇術が大好きな国であって、「インド大魔術」という言葉が示すように、大がかりなイルージョンが好まれましたが、中国で形成された禅宗が好ましいとする奇跡とは、以下のようなものです。
「神通(じんずう)ならびに妙用(みょうゆう)、水を運び、及び柴を搬(はこ)ぶ」
唐代の在家の禅者として知られる龐居士(ほうこじ ?-815)が、石頭希遷(せきとうきせん)禅師に日常の生活について問われた際、答えた言葉です。仏菩薩が発揮するような奇跡的な力、また不可思議な働きとは、水を運び、また柴を運ぶことにほかならないというのです。つまり、毎日あたり前に生活することこそが霊妙な奇跡だとするのですね。
なるほどと感心させられそうですが、中国に仏教が入って来た際、人々を惹きつけたのは、これとは正反対の仏のイメージでした。たとえば、東晋の袁宏(えんこう 328頃-376頃)が『後漢紀』で描いた当時の仏教理解は、こんなものです。
西域天竺に仏がいる。仏とは、中国では「覚」と言う。まさに人々を覚らせようとするのだ。その教えは、修善と慈心を主としており、もっぱら清浄に務める。……仏は身長一丈六尺、身は黃金色。頭に日光を帯び、姿を変えて入りこまない所が無い。……その体は自由に飛行する。一身を分けて百とし千とし、億万無数に至り、また一身となる。地の中に潜り込み、石壁も皆な通過する。……体から水と火を出し、水を踏んで空を歩み、身は墜落しない。
いかがでしょう。伝来したばかりで仏教がよく分かっていない中国人の誤解と思われるかもしれません。しかし、こうしたイメージは実は西インドでは大人気でした。ガンダーラから少し離れたカーピシー地方の数多くのレリーフに刻まれたヤマカ・プラーティハールヤ、つまり「双神変(そうじんぺん)」と訳される「二つの奇跡」は、まさに「体から水と火を出し、水を踏んで空を歩み、身は墜落しない」というものだったのです。
最近、湖や海で水上バイクから送られるジェット水流の水圧を利用し、空に浮かびあがるジェットブレードとかフライボードと呼ばれるアクティビティが人気となっていますが、その元祖は釈尊だったということになります。
なお、禅宗の開祖である菩提達磨は、伝説によれば、梁の武帝と問答して理解されず、ひそかに北地に逃れた際、一枚の芦の葉に乗って揚子江を渡ったとされており、その姿を描いた「蘆葉達磨(ろようだるま)」と題する絵がたくさん描かれています。つまり、サーファーの元祖は菩提達磨だったのです。釈尊の双神変にしても蘆葉達磨にしても、伝説ではあるものの、どうも仏教は水上スポーツと縁があるようです。
達磨はその後、少林寺に入り面壁(めんぺき)坐禅を続けた結果、足が腐ったとも伝えられており、起き上がりこぼしの「ダルマさん」は、その姿をモデルにしたとも言われています。樋口一葉の「一葉」という筆名は、上記の蘆葉達磨の逸話に基づきますが、一葉自身は、自分は貧乏暮らしであって、ダルマさん同様に「お足(お金)がない」ということでつけた、と冗談を言っていた由。
体から火と水を出す双神変
それはともかく、双神変については三種類があります。一つは、釈尊が故郷のカピラヴァストゥに帰った際、父のシュッドーダナ王に示したとするものです。一つは、「舎衛城(しゃえじょう)の神変」として知られるものであって、コーサラ国の都であるシュラーヴァスティーで六師外道と呼ばれる諸学派の者たちから挑戦され、彼らを屈服させるために神変を示した、とするものです。もう一つはこれ以外の状況ですが、このタイプは多くありません。
双神変を描いたレリーフの中には、炎を肩から上方に発するのではなく、肩から発した炎が頭の背後をぐるっと囲み、頭光のようになっているものもあり、コルコタ(カルカッタ)のインド博物館に所蔵されているレリーフは、この形です。その他、肩だけでなく、頭から激しく炎が出て上に立ちのぼっているタイプなどもあります。
上半身から炎を出し、足もとから水流を噴出して空に浮かぶ点はどれも同じですが、これとは逆に、上半身から水流を出し、下半身から炎を発したと述べている経典も存在します。
いずれにしても、問題は、なぜ火と水を同時に発するのか、という点ですね。これについては、最新の研究である田辺理「ガンダーラの双神変図考:水と火のシンボリズム」(『美術史研究』第59号、2021年)が興味深い考察をしていました。
田辺氏は、諸説を紹介したのち、イラン系民族にあっては、火と水をペアとして考える習慣があり、彼らは水の中に火があり、火の中に水があると考えていたと述べ、これはインドにも共通する習慣だと説いています。
イランの伝統宗教であるゾロアスター教では、富・幸運・威光・王位・王者の威厳・繁栄などの多様な意味を含む「フヴァルナー」が、火の中にも水の中にも含まれているとしており、インドでも火の神は水の神の特質を有していました。これはインド・イランでは、聖なる火が水に入り、水を吸収した木に宿り、その木を焼くと火が再生されると考えられていたためだそうです。
ですから、釈尊が火と水による双神変を示すのは、仏教にあっては現世での安楽・福徳・仏陀の威光・威神力などを意味するフヴァルナーを顕現してみせることであったろう、というのが田辺氏の推測です。その図がカーピシー地方で多く見られ、インド中央部や仏像の本場である西方のガンダーラでは少ないのは、カーピシー地方にはイラン系のクシャン族が居住していたためと見るのです。
釈尊が奇跡を起こす場面は、仏教徒に好まれて盛んに彫刻されていますが、インド中央部では、マンゴーの樹を瞬時に成長させて実を結ばせる奇跡が特に好まれ、そうした様子が彫刻されているそうです。これは気候風土とも関係しますね。乾期の後で激しく雨が降り、植物が急に生長する中央インドと違い、カーピシーは乾燥地帯ですので、水を自由自在に出せるというのは驚きの能力だったでしょう。
日本にもあるおどろおどろしい像
このように、どのような姿の仏を好むかは、地方によって様々です。蛇信仰があった東南アジアでは、釈尊が悟った後、何日にもわたって解脱の楽しみを受けていた間、キングコブラを神格化したムチャリンダ龍王が、釈尊の体をぐるっと巻き、風雨があたらないよう上から覆っている姿が好まれ、各地でその彫刻が造られています。
学生たちに、こうした様子の像の写真を見せ、これを自宅の仏壇に置いて拝みますかと尋ねると、日本ではそうしたことは考えられません、といった答えが返ってきます。しかし、まさにそのような姿をした神を、日本では各地で祭っていました。
頭が白く長い髭を生やした老人の神、ないしは美しい弁天様の頭に、ぐるぐる巻きになった蛇の体がついている宇賀神(うがじん)は、中世以来、食べ物や幸運をもたらす神として各地で信仰されてきました。海蛇を神として祭る風習と関わるとも言われていますが、ムチャリンダ龍王が釈尊を守る像が日本に伝えられ、そうした民間信仰と融合したように思われないこともありません。
日本はこうした国だ、こうしたものは日本にはない、といった思い込みは、実際には当たっていないことも多いのです。坐禅を重んじ、「平常心、是れ道」と説く禅宗を生んだ中国にしても、菩提達磨については尋常でないサーファー姿を尊んでいたわけですし。