ガンダーラの菩薩像の口髭

 前回は、日本で遊女が観音菩薩扱いされたことに触れました。実際、観音菩薩像には女性らしい様子のものが多いことは確かですね。そこで今回は、観音は女性なのかどうかについて考えることから始めます。

 菩薩は、梵語では bodhisattva、パーリ語では bodhisatta であり、bodhi(悟り)を求めるsattva/satta(人)というのが原義であって、男性名詞です。菩薩というのは、もともとは釈尊が悟りを得る前の姿を指す言葉であったため、これは当然のことでしょう。釈尊の神格化が進み、その前世を語る本生譚がたくさん作成されるようになると、「菩薩が前世で女性であった時」といった話も生まれますが、伝統仏教の場合、そうした女性が菩薩として特に尊重され、信仰された形跡はありません。

 現世であれ前世であれ、釈尊が悟る前の姿である菩薩以外に、観音や弥勒といった菩薩が登場したのは、紀元頃に発生した大乗仏教の中でのことでした。大乗仏教が流行し、それまで造られることがなかった仏や菩薩の像が初めて作成されるようになったと推定されているのは、インド西北部のガンダーラですが、そのガンダーラには、アレクサンダー大王の遠征でやって来たギリシャ兵たちの一部が戻らずに住み着いており、西方世界との交流が続いていました。

 このため、初期の仏菩薩像は、ギリシャやローマの神像を思わせる作風であったうえ、ガンダーラ地方の習俗が反映されたためか、観音にしても弥勒にしても、その彫像は豊かな口ひげをたくわえているものが目立ちます。これが受け継がれたシルクロードの菩薩像も初期のものは同様です。

女性化する菩薩

 インドで大乗仏教とヒンドゥー教とが融合して密教が発達すると、異形の菩薩が次々に生まれました。特に観音はその傾向が強く、馬頭観音、また多臂[ひ]、つまり多くの腕を持つ十一面観音、千手観音、不空羂索観音[ふくうけんじゃくかんのん]、如意輪観音など、実に様々な観音が誕生しています。これは、むろんヒンドゥー教の神々の影響によるものであって、こうした多臂の観音像には口髭のある像もしばしば見かけられます。

 そうした中で明確に女性の姿をとった菩薩の代表は、豊満な乳房とくびれた腰を有する般若波羅蜜多菩薩です。最高の智恵を意味する般若波羅蜜多、つまり prajñāpāramitā は長母音の ā で終わる女性名詞ですので、それをヒンドゥー教の女神のような姿で形象化したのですね。般若の智恵は仏を生み出すものということで、「仏母[ぶつも]」と呼ばれる場合があったことも、般若波羅蜜多菩薩が女性として造形された一因でしょう。こうした場合、むろん口髭は描かれません。

 明確にヒンドゥー教の多臂の女神が仏教に取り入れられた例としては、ガンジス河を神格化したサラスヴァティーが弁財天となり、ヴィシュヌ神の妻とされるラクシュミーが吉祥天となったことが有名です。密教系の多臂の像では、チュンダー女神が変化した准胝[じゅんてい]もその一つです。

 チュンダー女神は人々を励まし救うとされていて人気がありました。玄奘三蔵が学んだナーランダの地からも、豊かな乳房が強調された四臂や十八臂のチュンダー女神の像がいくつも出土しているほどです。この准胝は、仏を生み出すということで、般若波羅蜜多と同様に「仏母」と呼ばれることもあり、やがて観音と関連づけられていきます。

 中国では、唐代に新たに訳し直された『華厳経』入法界品[にゅうほっかいぼん]における善財童子と観音菩薩の出逢いの記述に基づき、水月観音などと呼ばれる中国風な様子の菩薩が人気を呼ぶようになりました。観音菩薩研究における記念碑的な大作である彌永信美さんの『観音変容譚―仏教神話学Ⅱ』(法藏館、2002年)では、こうした中国風な菩薩は、当初は顎髭や口髭が描かれていたものの、それが居士姿の白衣観音となり、さらに女性のかぶり物の形に基づき、白衣をかぶった姿で描かれるようになった結果、女性的な容貌に変化していったと推測しています。

 同書が引いている塚本善隆博士の論文「近世シナ大衆の女身観音信仰」によれば、明代後半の文人、胡応麟の『荘嶽委談』は、最近、観音菩薩を彫刻したり絵に描いたりする際は婦人の姿にしないものはない、と述べていた由。女身の菩薩となれば、女性を救い、子供を授ける神としての性格がそれまで以上に強くなったのは当然でしょう。そうした観音に髭が描かれるはずはありません。

 そのようになる前から、中国で菩薩に口髭が描かれる場合は、ガンダーラの菩薩像のような量感のある髭ではなく、威厳を示すために細い線で描かれるようになっていました。この伝統は根強かったため、中世の日本では、インドの女神を起源とする准胝観音すら細い口髭が描かれたりしています。しかし、中国の影響もあって、観音菩薩像は全般に女性的になっていき、口髭のイメージとはほど遠くなります。

増やされ、消えた翼

 弁財天や吉祥天は、女性であることを示すために弁財天女、吉祥天女などと呼ばれることもありますが、普通、「天女」と聞いて頭に浮かぶのは、仏像の光背などに良く描かれている飛天でしょう。薄手のショールのようなものを身にまとい、長い袖の天衣を翻しながら空を飛んでいる天女ですね。

 当然ながら、飛天はその天衣の力で飛んでいると考えられがちですが、意外なことにインドの経典には「天衣」に相当する言葉はあるものの、飛天の語は中国での補足のようであって、しかもあまり用いられていません。「羽衣」とある場合は、鳥が羽根を身にまとっているという意味です。実際、インド中央部の仏教壁画などに描かれている天女は、普通の衣装のままで空に浮かんでいますし。

 ところが、西北インドからシルクロードにかけては、先ほど触れたようにギリシャ・ローマの影響を受けていたうえ、イラン系の宗教の影響もかなりのものでした。古代イランで生まれたゾロアスター教において闇と対立する光をつかさどるアフラ・マツダーは、翼をつけた神の形で描かれます。そればかりか、古代イランでは、人間の帝王も冠に翼が生えた形で描かれることがあります。

 このように本来、翼がないものに翼をつけて描くのがオリエントの伝統であり、これが東西に広がっていったのです。ギリシャもその影響を受けており、勝利の女神であるニケは、肩から翼が生えていますね。有名なスポーツ用品メーカーであるNIKEの社名は、このニケに基づいており、Cの字の下の部分がひゅっと伸びた形になっている NIKEのロゴは、ニケの翼をかたどったものであることは良く知られています。

 当然ながら、仏教も西域ではそうした影響を受け、男女の天人に翼が描かれました。ローマ神話のキューピッド、キリスト教であれば天使の翼のようなものですね。ところが、そうした図像がシルクロードを経て中国に伝わると、翼がひらひらした袖やショールに変化してゆくのです。

 こうした変遷について、菊地章太さんの『儒教・仏教・道教―東アジアの思想空間』(講談社、2008年)では、親から頂いた身体をそこなうことを不孝とみなす中国では、過剰をも嫌悪した結果、翼を許容できなかったのだろうと推定しています。『論語』では孔子について「怪力乱神を語らず」と記しているように、儒教は道徳主義であって神秘的な現象や鬼神は問題にしないのです。

 ただ、怪しいものを好むのは人情であるため、中国でも、異国や山奧や辺境に住むとされる奇妙な生きもの、つまり、ろくろっ首や人面鳥その他について記した『山海経[せんがいきょう]』が広く読まれました。その中には、雪男のように全身毛だらけで背中に翼が生えている「羽民[うみん]」や、翼を有するペガサスの顔を人間にして気持悪くしたような「英招[えいしょう]」なども含まれていました。これらに馴染んでいた中国人は、翼の生えた天人を尊重する気にはなれなかったでしょう。

 ただ、鬼子母神の図では、子供をさらう下級鬼神には翼が描かれる例も見うけられます。菩薩には認められなかった翼が、そうした存在の場合は許容されたのです。日本における同じような例は、翼を有して空を飛ぶ怪鳥のような天狗でしょう。

 観音菩薩はそもそも様々な姿に変身して現れるのですから、危地にある人を救うためには、豊かな口髭をたくわえた威厳に満ちた顔つきで大きな翼をつけて飛んで来ても良さそうなものですが、日本ではそうした造形はなされなかったのです。