「ヤマ」から「閻魔」へ

 前回は、仏の軍勢と地獄の戦いということで、閻魔王に触れました。インドでは死後の世界の王を「ヤマ・ラージャ」と呼んでおり、「ヤマ」はその王の名であって、「ラージャ」は王という意味です。つまり、閻魔王の「閻魔」は、「ヤマ」を音写したものだったのです。このため、「閻摩・閻磨・夜磨」など様々な表記がなされていました。 

 それらのうち、「閻魔」という表記が最も普通になっているのは、悪魔を意味する梵語の「マーラ」を音写するために「魔」という漢字が作られた結果、好ましくないものの「マ」の音を音写する際、この字を用いることが増えたためです。

 「ヤマ・ラージャ」については、これの訛った形全体を音写した「閻羅」という音写も作成されたのですが、それが理解されず、「王」の語を加えた「閻羅王」という表記も用いられました。「閻羅大王」という表記もなされているのは、経文らしい形にするためですね。漢訳のお経は、「如是我聞、一時仏在~(是の如く、我聞けり。一時、仏~に在り)」という冒頭の定型句が示すように、唱えやすい四字句が続くのが特徴ですので(これは、「閻魔大王」の場合も同じです)。 

 ただ、木魚をポクポク叩き、そのリズムに沿ってお経を唱えるのは、近世になってからのことです。ですから、仏教でも伝統的な儀礼の場合は、木魚は使いません。

日本語に取り入れられた音写語

 さて、閻魔王がいる地獄は、ナラカと呼ばれていました。これの音写が「捺落迦・捺落・那落・奈落」などであって、「奈落の底に沈む」という表現や、歌舞伎で花道などの下の部分を「奈落」と呼んでいるのは、この音写語に基づくことは良く知られています。

 このように仏典の音写語が普通の日本語になった例は、他にもたくさん有ります。たとえば、「鉢」がその一例です。鉢は梵語では「パートラ」であり、これが西域を経て「プッ」のような音に変化した語を表記するために、新たに創られた漢字が「鉢」なのです。 

 ところが日本人は子音で終わる言葉を発言するのが苦手であって、猫の英語についてはキャットォと発音することが示すように、末尾に母音を足してしまいがちなのです。「鉢」のプッの場合も同様であって、最後に母音の「イ」を付けたため、プチとなり、これが「ハチ」に変化したのです。ですから、皆さんが「その鉢をとって」などと言うとしたら、気づかないうちにインドの言葉を訛って発音していることになります。

 似た例は「鼓」ですね。この漢字の発音は「ク」ないし「コ」です。ところが、「鼓」の梵語はその音に基づく「ドゥンドゥビ」であって、これが訛ると「ドゥドゥビ」となり、それが日本で「つづみ」となったのです。このため、「鼓」は古来の日本には無くて外国から導入されたこと、それも中国の伝統楽器としてでなく、インド由来の仏教の伎楽などを通じて日本に渡ってきたことが推測されます。

 「鉢」や「鼓」のような一般の語ですらそうなのですから、仏教特有の言葉にそうした例が多いのは当然でしょう。たとえば、「塔」を「トウ」と発音するのもその一例です。塔の梵語は「ストゥーパ」ですが、俗語では「トューパ」などとなります。これが例によって西域を経て末尾の母音が落ちると、タハップとなり、日本で母音の「う」が付されて「たう」に変り、最後には「とう」となるに至ります。

 このように、音写語はいろいろな場合があって面白いのですが、片仮名や平仮名のような表音文字を持たない中国語の場合、発音体系が異なる外国の言葉を表意文字である漢字で音写するというのはきわめて難しいことでした。意味のある漢字と受け止められないようにするには、普通の文脈ではあまり出てこない漢字を使うしかありません。 

 ブッダの主格の形であるブッドォを音写する際、「浮屠」という妙な組み合わせの字を用いたのは、そのためです。ただ、「屠」などという仏教らしからぬ語を含むこの「浮屠」という音写語については、仏教を批判する側がわざと用いたため、後に「浮図」に改められたとする伝承もあります。

音写のための漢字の工夫

 音写用の新しい漢字を作り出す場合もあります。そのやり方の一つは、既存の漢字の左肩に口篇を付けるという方法です。たとえば、「羅」の左側に「口篇」をつけて「囉」という漢字を作り、梵語の「ラ」の音を示すための漢字であることを示すのです。

 こうした場合、口篇は「口に関する言葉」であることを示す漢字要素ではなく、表音文字であることを示す記号にすぎませんので、敦煌の写本などでは、「羅」の左肩に小さな〇が付いているだけであることもしばしばです。

 内容に関わる偏を付けて新しい漢字を作ることもあります。たとえば、「瑠璃」は、梵語の「ヴァイドゥーリヤ」の西域の俗語形である「リューリヤ」ないし「リューリ」のような語を音写したものです。これに相当する宝石が中国になかったため、宝石に関する字であることを示す玉偏を付け、新しい漢字を作ったのです。

 この場合、ヴァイの部分が抜けているのが気になりますね。そこまで含む梵語を「吠瑠璃」という形で正確に音写するようになったのは、実は唐の玄奘訳からです。釈尊は文語である梵語を用いず、話し言葉で教えを広めるよう命じていたため、仏教教団は各地の口語で経典を伝えていたのです。しかし、ヒンドゥー教が広まり、インド社会が梵語を尊重するようになった結果、仏教教団でも6世紀頃から梵語を用いることが多くなったのであって、玄奘はそうしたインドにおもむいて学んだのです。

 このように、音写については工夫がいろいろなされたのですが、漢字の場合、どうやっても限界があります。となると、漢字の特性を生かした音写、つまり、表音と表意を兼ねた音写語が登場するのは無理ないところでしょう。

 たとえば、太子時代の釈尊について、その名であるシッダールタを「悉達多」と音写したのがその例です。太子は、様々な学問や技芸すべてに通達していたとされていますので、原語に発音が似ていて、しかも「多く」の事柄に「悉(ことごと)く達」していたというイメージが浮かぶような漢字を選んだのですね。 

 また、先ほどの「閻魔」の例で言えば、「剡魔」といった音写も同様です。「剡」は、何かを削り、先が炎のようになるよう尖らせるという意味です。ですから、この字は「刀」に関する偏である「りっとう」にしてあるのですが、この字を音写として「剡魔」という形で使うと、いかにも地獄の炎と獄卒が持つ刀のようなイメージが湧きますね。 

 現代の中国語が、レーダーのことを「雷達」、コカコーラを「可口可楽」といかにもそれらしい漢字で音写し、ミニスカートを「迷你裙(ミーニーチュン=あなたを惑わせるスカート)」と表音・表意混合で訳しているのは、こうした伝統を受け継いだものです。

日本の例

 日本では、「ヨロシク」を「夜露死苦!」と書くなど、暴走族やヤンキーが意気がった漢字表記を好んでいましたが、こうした用法は『万葉集』の頃からのものです。たとえば、「恋」を「孤悲」と書いたり、「にくくあらなくに(憎いわけではないのに=恋しくてならないのに)」を表記する際、「にくく」の部分を「二八十一」と数字ばかりで書いたりしています。「八十一」というのは、かけ算の「九九(くく)」ですね。 

 『万葉集』のこうした漢字表記が仏教と関係があるかどうかは分かりません。ただ、紙や筆の作成は、日本では仏教興隆の動きの中で始まっていますので、漢字の工夫した使い方も仏教の普及と連動していたことは、十分考えられるでしょう。