「高慢」の例
前回は、『平家物語』が平清盛のことを、過去に例がないほどおごった心の持ち主だった、と述べていたことから始めました。心がおごっているという状態を漢語で表現すれば、「高慢」ということになるでしょう。
「高慢」とは「自分はすごいのだ」と考えることです。たとえば、アジア諸国において恋愛文学と言葉遊びを発展させたのは実は仏教だと説く『恋する仏教―アジア諸国の文学を支えた教え―』(集英社新書)という本が、まさに本日、1月17日に刊行されていますが、その著者は、「インド・中国・韓国・日本・ベトナムについて、こうしたテーマで書ける人は他にいないだろう」と自信満々でいるに決まっています。そうした心持ちが「高慢」にほかなりません。
その著者はそう思っているに違いないと断言できるのは、その本を書いたのは、ほかでもない私だからです。申し訳ありません。ただ、内容の質はともかく、インド・中国・韓国・日本・ベトナムの恋愛文学と言葉遊びについて書くなどというのは、雑に幅広くやっている私のほかにいなさそうであることは確かですね。
何しろ私は、ある講演会で司会者から「非常に広く浅く研究しておられる石井先生」と紹介された経験があるくらいですので。その司会の方は、「広く深く研究されている」と言おうとしておりながら、つい本音が出てしまったのでしょう。
「高慢」「慢心」は仏教用語
この「高慢」や「慢心」といった言葉は、実は仏教用語なのではないかと、私は疑っています。というのは、紀元前の中国古典には「高慢」とか「慢心」といった言葉は見えないためです。
むろん、「慢」の語は古くから使われていましたが、あなどる、軽んじるという意味の場合が多いようです。たとえば『史記』「淮陰侯列伝」では、すぐれた大将が得られない王について、将軍たちを子供扱いしがちであったとし、「王、素[もと]より慢にして礼無し」と述べています。王が傲慢すぎて、将軍をきちんと尊重しないのが原因だというのです。
この箇所の「慢」は、確かにおごり高ぶることですが、他人を馬鹿にするという面が強いですね。また、中国の古典では「慢」の語をそうした意味の動詞として用いることも多く、その場合は、重んじないという意味が転じて、怠るという意味になる場合もあります。『商書』「墾令」が「民、農を慢せざれば、草、必ず墾せん(民が農作業を怠らなければ、草原は必ず耕されて畑になるだろう)」と説いているのはその一例です。
これに対して、「高慢」も「慢心」も他人を低く見ることは同じであるものの、そうした点より「自分のことをすごいと思う」という面が強いように思われます。そのようなニュアンスの「高慢」「慢心」という用例は、仏教文献に出るのが早いようです。先に登場するのは「高慢」の方であって、東晋(317-403)の訳経にいくつも見えています。「慢心」の語が多く見えるようになるのは唐代になってからです。
「高慢」の原語はいろいろですが、多いのは māna です。これは「慢心」の原語も同じです。māna は考えるという意味の動詞 √man から作られた名詞であって、自分を強く意識することを意味します。つまり、過剰な自己意識ですね。
「慢」は音写を兼ねている?
ここまで読まれた方は、何となく気づいたと思いますが、「慢」と māna は似てませんか? また、この連載の「夏の「お盆」は仏教行事なのか」を覚えている方は、インドの言葉は、西北インドからシルクロードを伝わって来る途中で語尾の母音が落ちる例があることを思い出された人もいるかもしれません。
māna の語尾の母音である a が落ちると、mān ないし man となります。初期の漢訳経典は、インド語の経典の翻訳ではなく、シルクロードの言葉に訳された経典を漢訳したものでした。一方、「慢」という字は、古代の上古音も、南北朝後期から隋唐にかけての音体系である中古音でも、発音は man ないし muan のような発音であって、それほど変化していません。
となると、考えられるのは、mān ないし man を漢訳する際に「慢」の語を用いたのは、近い意味であって、しかも音が似ているためではないでしょうか。現代でもレーダーの中国語の音訳は「雷達(léi dá)」であって、音が似ているだけでなく、意味も近い言葉が選ばれています。
そうした例で有名なのは、ミニスカートの訳語である「迷你裙(mí nǐqún)」ですね。「裙」は衣へんであることが示すように女性のスカートのことですが、ミニスカートは刺激的であるため、「ミニ」の音写には「迷你(あなたを迷わす)」という語が選ばれているのです。
「卑下慢」という「慢」
仏教は心理分析がお得意ですので、「慢」についても様々な分類をしていました。中でも面白いのは、「高慢」の反対である「卑下慢」を「慢」に含めていることです。「卑慢」とか「下慢」と訳す場合もあり、原語はいずれも ūna-māna(劣っているという過剰な自己意識)です。
この「卑下慢」「卑慢」については複数の解釈があり、玄奘訳の『大毘婆沙論[だいびばしゃろん]』などでは、自分よりかなり優れた人を見て、自分はそれより少し劣るだけだと勘違いし、高ぶる心を起こすことだと説いています。
一方、太元16年(391)に僧伽提婆[そうぎゃだいば]が訳した『三法度論』では、様々な「慢」について説明している箇所で、「卑慢」には邪慢、不如慢、極下慢[ごくげまん]の三種があるとし、「邪慢とは、我、極めて悪業を作[な]すとし、貢高を起こす」と述べています。「貢高」は高ぶる気持です。自分はひどく悪いことをしたとして、高ぶる気持を起こすのが邪慢だというのです。つまり、「俺ほど悪いことをした者はいないだろう」と考えるのですね。
世間には「私くらい駄目な人間はいない」などと言う人がかなりおり、中には本気でそう思って自分を責めている人もいますが、これは実は思い上がりの一種にほかなりません。「ああ、俺は世界一の大馬鹿だ!」とか言う人に対しては、「そんなことはないよ。そこらへんに良くいる並みのバカだよ」と言ってやるのが一番の薬なのです。
「世界一の大馬鹿だ」と言うのは、「世界一の天才だ」と誇ることの裏返しであって、自分のことをきわめて特別な存在だと思いたがっている証拠だからです。謙虚であるのは良いことですが、「できない」ことを誇るのはおかしな話です。誇らないまでも、自分にはできないと決めつけている人は、卑下慢の持ち主ということになります。
たとえば、歌うのが苦手で人前では絶対に歌わないという人がいます。そうした人でも、練習を重ねればほんの少しだけうまくなるかもしれません。それにもかかわらず、「私は練習しても絶対にうまくならないことは分かってる」などと言い張るのは、ちょっと練習しただけですごくうまくなるような事態を想定していればこそですね。
「卑下慢」を打破するための大乗仏教の教理
釈尊の時代は、釈尊の修行仲間には、教えを聞いて悟ったと釈尊に認められた人が複数いました。その当時の経典には、悟った人を意味する buddha の語の複数形が出てきます。「仏陀たち」ということですね。
しかし、部派仏教の時代になり、釈尊の神格化が進むにつれ、仏陀になれるのは釈尊一人だけであって、他の修行者はその手前までしか行けないとされるようになりました。こうした見解を打破したのが、大乗仏教です。
『法華経』は、『法華経』の教えを聞き、信じて修行すれば仏になれると説きました。また、『性起経[しょうききょう]』では、命あるものには仏の智恵が浸透していると説き、以後、如来蔵や仏性を説いた経典は、すべての命あるものは仏の本質を具えていると主張しました。
そうした大乗経典を作成していった人たちは、仏になること諦めた部派仏教の者たちを「卑下慢」とみなしたのですが、自分たちはそうではないすぐれた存在と考えるわけですので、これはこれで「高慢」の一種ということになるのではないでしょうか。