キリスト教ヨーロッパではない日本から見ると

 日本がこういう問題に関わらざるを得なくなったのはもちろん明治以降、とりわけ世界戦争の時代以降である。ヨーロッパには「ユダヤ人問題」がある、つまりキリスト教的伝統の上に立つヨーロッパ社会は、ユダヤ人を「包含しつつ排除する」という錯綜を抱えており、とりわけ近代の国家間秩序とナショナリズムの時代には、それが「国なき民」の「人種化」として政治問題化されるようになったということである。

 E・ドリュモンらに代表されるユダヤ人排斥運動「反セム主義」とは、しかしあまりに胡乱(うろん)な呼称だった。近代性を装って排除の対象を「人種」的に立てているが、その「人種」区分は、じつは『聖書』の記述に基づいているからだ。

 そうしたヨーロッパ内部での時代認識的な錯綜を省略して、日本では「反セム主義」と言わずに「反ユダヤ主義」という表現が定着してきた。それはそれで大きな利点がある。「反セム主義」が、キリスト教時代からのヨーロッパ社会に深く埋め込まれていた「ユダヤ人排斥」の近代版に他ならないということを明示するからだ。しかしそれと同時に、ヨーロッパの世俗化・近代化に伴う「ユダヤ人問題」の根本的変質を見えなくしてしまう。

 そのことを踏まえたうえで、以下では便宜的に「反ユダヤ主義」という用語をもちいて現代世界の問題、とりわけイスラエル国家をめぐる問題を指摘しておこう。

ヨーロッパ的「反ユダヤ主義」の欺瞞

 こうして結局、イスラエルの建国とそれに対するアラブ諸国の反発で、ヨーロッパはその長年の縮痾(しゅくあ)たる「ユダヤ人問題」を中東に「移転」しおおせたことになる。

 一方、ナチズムに対する勝利として形成された戦後のヨーロッパ秩序は、ナチズムの否定を原理としながら、つねにぶり返す「内なる敵」としてのナチズムの亡霊と戦い続けてきた(とくにドイツとフランスで)。70-80年代の歴史修正主義の登場やいわゆるネオナチ勢力の台頭に際しては、「反セム(ユダヤ)主義」的言説を公的に禁止することになった。

 じつはそれはヨーロッパ内部での葛藤である。だが、反イスラエル闘争(イスラエル国家に対する抵抗運動)のイスラーム化とともに、イスラーム世界との関連で表明されるイスラエル批判(そしてそれに重ねられるユダヤ人憎悪)のすべてが、「反ユダヤ主義」として斥けられるようになる。

 イスラエルが「ユダヤ人国家」として建国され、アラブ諸国との関係で米欧(西側)がイスラエルを全面擁護するかぎりで(国連は初めからそうではなかった)、アラブ系(のちにはイスラーム系)の人びとが「ユダヤ人」を嫌悪し憎悪しそれに対して敵意を向けるようになったのは、はっきり言って裏返しの倒錯だが(なぜなら、イスラエル国家はその「ユダヤ的なもの」(領土国家から自由な在り方)をこそ否認し撲滅しようとしていたからである)、イスラエルの国家的横暴が際立つときにヨーロッパでシナゴーグ(ユダヤ教の会堂)が襲撃されたりする。するとヨーロッパ諸国はそれを許容しえない「反ユダヤ主義」の発露とみなして否認する。

 だが、何度も言うように、「反ユダヤ主義」とはヨーロッパ自体の「内なる敵」なのだ。それをヨーロッパの「他者」に投影するのでは、混乱を深めるだけでどんな解決にもならない(かつてのヨーロッパの反ユダヤ主義者・排外主義者たちは、いまでは「イスラモ・フォビア(イスラーム嫌い)」になっている)。イスラエルもまたその国家を脅かすあらゆる抵抗を「反ユダヤ主義」的な「テロ行為」だと見なす。だが、すでに指摘したように、イスラエルこそが「ユダヤ的なもの」を徹底的に否定しようとする「反ユダヤ主義」国家なのだとさえ言える。

「西洋」とイスラエル

「反ユダヤ主義」とはキリスト教的伝統に立つヨーロッパに固有なユダヤ人排斥の傾向であり、その「ユダヤ人問題」の解消はじつはヨーロッパの根本的変容以外にありえない。ところが、「シオンの地」での「ユダヤ人国家」の建設が事実上その「解決」だとされたため、バレスチナには新しい「国なき民」が生み出され、その「先住民」たちからの不正の糾弾や、それでもその地で生き延びようとする強靭かつ脆弱なサバイバルの意志を、国家の安全に対する「脅威」として領土国家イスラエルはあくまで駆除・殲滅することを、自らの権利として主張している。

 これがこの地で「難民の殲滅戦」という地獄の「現状」を生み出している根本事情である。ヨーロッパ諸国とイスラエルの関係についてはこのようなものだが、第二次大戦後に(つまりイスラエル建国の頃)西側世界の盟主となったアメリカとの関係はまた違う。アメリカがイスラエルの「国家欲求」をどこまでも――他の世界から孤立しても――支えるのは、前回すでに指摘したように、アメリカこそがヨーロッパの世界進出のさなかで「先住民」の無化の上に建国された「新しいイスラエル」だったからである。

 その意味では、「ガザ殲滅戦」という現在のイスラエルの戦争は、西洋諸国家の抗争を通しての「世界化」―― 一方では植民地化による同化統合、他方では先住民の抹消の上に「新しい西洋」を作る――の動力である「征服戦争」が、限界を踏み抜いてそのあからさまな姿を見せる、そうした「世界史の臨界」状況を露呈したものだとみることができる。

 その意味では、イスラエルによる「創設の暴力」の無制約化を止められるかどうかが、いま脱西洋化しつつある世界が開けるかどうかの試金石だともいえる。