その事情が大きく動き出すのは、キリスト教ヨーロッパが内的充足から異教的世界に目覚め、外部に対して自己主張するようになってからである。口火を切ったのは十字軍の遠征(エルサレムを異教徒から取り戻す)だが、世俗王権に遠征の根拠を与え、その動きを統括するものとしてローマ教皇庁がしだいに権威を高める。十字軍はイタリアに古代の富をもたらして立ち消えになるが、イベリア半島ではキリスト教国による「レコンキスタ(失地回復)」が果たされた。1492年にスペイン連合王国は8世紀来イベリア半島に君臨したイスラーム王国を最終的に倒壊させ、「異教徒」を海峡の彼方に追い払った。この時の異教徒とはまずはムスリム(モリスコ)だが、そのイスラーム王国下で繁栄を支えていたユダヤ教徒でもあった。

 このとき、ごく短期間に20万のユダヤ教徒がジブラルタル海峡を越えて北アフリカから東地中海まで逃れたと言われるが(セファルディの起源)、ほぼ同数のユダヤ教徒はキリスト教に改宗することで追放を免れようとした。だが、その改宗は表向きのことにすぎず、密かに父祖伝来の神を崇めていると疑われ、彼ら改宗ユダヤ人(新キリスト教徒)は「マラーノ」と蔑称で呼ばれ、ローマ教皇庁の設置した「異端審問」の餌食になる。改宗ユダヤ人にはこの地を立ち去りがたい富裕層が多かったからでもある(拷問で「偽装改宗」を告白すると財産は教皇庁に没収され、否認を続ければ命を落とすほかなかった)。

マラーノからゲットーへ

 こうして「マラーノ」はスペインに居残ることができず、ポルトガルに逃れるが、そこもすぐに安住の地ではなくなり、海を越えてイギリスやオランダへと逃れてゆく。時は「地理上の発見」の時代であり、「開けゆく世界」の海に活路を見出す者も少なくなかった。また、ほどなくドイツで起こる「宗教改革」によるキリスト教ヨーロッパの混乱のなかで、小邦オランダが発展したのは、そこが信仰の自由な地として多くのマラーノを受け入れたからでもある(「マラーノ」については後のヨーロッパの発展との関連でも語るべきことが多いが、とりあえず小岸昭『スペインを追われたユダヤ人』(ちくま学芸文庫、解説:西谷修、1996年を参照されたい)。

 この時期を機に、ヨーロッパ各地におけるユダヤ人差別・憎悪・迫害は随所で顕在化するようになる。とりわけヨーロッパがウェストファリアの国家間秩序を形成し(17世紀半ば)、ナショナリズムが各国の統合原理になると、「国なき民」ユダヤ人はますます居心地の悪い思いをするようになる。その一方で、通商や情報流通を積極的に担い、金融システムも作って、国家を超えたいわゆる市民的活動の領域を切り開いて、「自由」の観念を具体化するという点でも、近代ヨーロッパの発展に果たしたユダヤ人の貢献はじつは大きい。しかし、それゆえにまた「ふつうの国民」たちからの妬み、反感や憎悪も買う。そのため、少なからぬ国でユダヤ人は平時でも差別され(危機の時には「贖罪の羊」になる)、割り当てられた居留地「ゲットー」に押し込められることになる。

ユダヤ人の「解放」と「捕捉」

 そのゲットーからユダヤ人を解放したのはナポレオンだった。ナポレオンはフランス革命の理念(自由・平等・博愛)を掲げて、征服したヨーロッパ各地のゲットーを解放した。旧体制を一掃したフランス革命後の社会では、まず市民の政治参加の前提として教育や情報流通が不可欠になり、権力の恣意による支配ではなく法の下での統治経営と、市民の自由な経済活動が社会の基盤になる。

 だが、その三つの領域で能力を蓄積していたのは他ならぬユダヤ人だった。だから、革命後の社会(とくにフランス)ではユダヤ人の社会進出が著しく、それがまた一般の「国民」の反感を買うようになった。根無し草のユダヤ人が、私利私欲の追及にかまけて、「ふつう」の国民に割を食わせているとか、口先三寸で社会道徳を混乱させているとか、何より忠誠心を欠いて国家を食いつぶしているとか……。そんな世情に掉さして登場するのが冒頭で触れた「反セム主義(antisemitism)」である。なぜ「反セム主義」なのか?

 確認しておくべきことは、一九世紀には社会的論議におけるユダヤ人の位置づけが性格を変えていたということである。ユダヤ人とはそれまでは宗教的カテゴリー(宗教による区分)だった。つまり「ユダヤ人」とは父祖伝来の祭壇を祀りヤーヴェの神を崇める人びとであり、そのユダヤ人も「改宗」して三位一体の神に帰依する、つまり信仰告白すれば「キリスト教徒」になれる。

 もちろん、前述したマラーノのように偽装改宗を疑われ、その「偽り=裏切り」こそがユダヤ人の本性だとローマ教会から追及されることもあった。だが、その追及の任に当たった当人たち、つまり異端審問官がしばしば改宗ユダヤ人だったという事実もある。彼らは「真の宗教」に改宗し、かつての同朋ユダヤ人を本気で目覚めさせ、迷妄の「罪」からその魂を救おうとして、「裏切者」の肉体を痛めつけかつその財産を剥ぎ取っていたのである。スペインの初代異端審問官に任ぜられたトルケマダは、コンベルソ(改宗者)出身でドミニコ会修道士として重きをなしていた。

宗教的カテゴリーから「人種」概念へ

 要するに「ユダヤ人」とはもともと、神への信仰があたりまえであるキリスト教世界での信仰を受け入れない異教徒だったのである。その意味ではムスリムと変わらない――しかし、いずれも「経典の民」(聖書とアブラハムの神を分有する)であり、だから宗旨替えし、信仰告白をすれば「無徴の人」であるキリスト教徒になれた。