ところが、ヨーロッパ人が大西洋を越えて外の世界に進出するようになると、彼らは聖書の記述の届かない異習俗の人びとに出会うことになる。そこでの「布教」の可能性は大いに議論の的となるが、実際にはあられもない討伐や「征服」が進行する。新大陸アメリカやアフリカでのこの種の経験から「人種」の概念が生み出される。人間の違いは「信仰」によって区別されるのではなく、生存様態や「文明度」で識別される「人種」の違いなのだと。

 この異世界の経験から博物誌(自然誌)が生れ、さらに一九世紀になると生き物を対象とする学問、生物学が生れ、その生物種を発展的に系統づける進化論も芽生える。「人種」概念はそんな生物学にも裏打ちされるようになるが、じつはその人種区別の基準は必ずしも(というよりまったく)科学的なものではない。

 一八世紀末に英植民地インドの言語研究から、インド・ヨーロピアン語族という理念が生まれると、印欧にわたるその語系の共通の担い手としてアーリア人なるものが想定され、近代ヨーロッパを作り出したゲルマン諸族がその継承者だという考えが生じる。ヨーロッパは基本的にそのアーリア人によって担われている。だがそのヨーロッパの発展や繁栄を脅かす(内側から腐敗させる)異物が混じっている。それが別系語族のセム人だというのだ。

 セム・ハムというのは、大洪水を生き延びたノアの息子たちで(他にヤペテがいる)、言語学はこれを語族区分に用いた。大ざっぱにいってセム語族は西アジア系、ハム語族はアフリカ系とされる。この区分ではヘブライ語もアラビア語もセム語族だが、当時ヨーロッパで問題とされていたのはユダヤ人であり、その異質性を際立たせるために、「高貴(アーリアの語源)」で優れたアーリア人に対して、それとは違うハム族としてユダヤ人が括られるようになった。つまり、比較言語学の俗流化がアーリア人とセム人とをそのように区別し、ユダヤ人に関する一見学問的な新たなマーク付けを供給したのである。

 そのような風潮を反映して、一九世紀半ばから非宗教化するヨーロッパで再び活性化したユダヤ人排斥の傾向は、近代人種概念を支えとして「反セム主義」を自称するに至った(インド・ヨーロッパ共通祖語の着想はイギリスで生れたが、アーリア人種議論は主としてドイツで展開され、社会的にはフランスで大きな潮流になる。その主要な担い手はゴビノー、ゴルトン、ドリュモン等だった)。

神話的ナショナリズムとしてのシオニズム

 こうして「ユダヤ人」は宗教的カテゴリーから、近代の疑似科学的な人種カテゴリーになった。そうなると、「ユダヤ人」は改宗させたところでユダヤ人であることに変わりはなく(今風にいうなら、DNAが「ユダヤ人」を決定している)、その「問題」の解決は、「人種抹消」(DNA除去)しかなくなる。20世紀のヨーロッパの「内破」としての欧州大戦(第一次世界大戦)の後に、ナチズム(ヒトラーのドイツ)は「ユダヤ人問題の解決」という課題を政治社会的に現実化することになるが、この人種的「反セム主義」を生み出したのは、世俗化と合理化と科学化・産業化のなかでもユダヤ人排斥を自己画定(自己展開)の歪んだ動力として手放さなかったヨーロッパ自身なのである。

 くり返せば、一九世紀後半に非宗教化してもなおユダヤ人が迫害された大きな要因は、国民国家化したヨーロッパでユダヤ人が「国をもたない民」だったことだった。

 東欧やロシアでは、地域で何か問題(何らかの災厄)が起きるとユダヤ人集落が襲われ、危機の際の「贖罪の羊」として「屠られる」ことがあった。「ポグロム」と呼ばれるそのユダヤ人迫害は、辺境のキリスト教社会でほとんど習俗化したものだった。

 それは、ユダヤ人がまとまって居住しながら自分たちを守る国(国家権力)を持たないからだと考える人びとは、西洋に移り住みながらユダヤ人の安住できる国家の創設を夢想した(半世紀ほど先立って、やはり古代以降自分たちの国をもたなかったギリシア人は、ヨーロッパにおける「ギリシア礼賛」とナショナリズム(国民国家原理)の風潮に促されて、バイエルンの王子を借りてバルカン半島のオスマン・トルコ領内にギリシア王国を建国した――1832年)。そこから、『旧約聖書』の伝統に基づいて「シオンの地」(エルサレム、神殿の丘)にユダヤ人国家を作ろうとする運動が起こる。これがシオニズムで、東欧から来たテオドール・ヘルツル(1860-1906)らが主唱した。これにはイギリスやフランスの中東管理政策による後押しもあって、以後ユダヤ人のパレスチナ移住が始まる。

シオニズムとキリスト教ヨーロッパの野合

 この入植はナチズムのユダヤ人排斥政策(ホロコースト)に押されて加速され、第二次大戦後その入植者たちは国際社会の制止を押し切ってユダヤ人国家「イスラエル」を創設することになる。だが、この強引な建国はその地のアラブ系「先住民」の土地を奪って彼らを追放することになり、難民化した当の「パレスチナ人」からだけでなく、周辺のアラブ諸国からの反発を招き、イスラエルは当初から「創設の暴力」に取りつかれ、戦争で国を作り守りかつ広げ続けることになる。たしかに聖書におけるユダヤ人国家はそのようにして作られたが(移住民が先住民を制圧して神に約束されたユダヤ王国を作る)、その聖書的「真理」を今日ユダヤ人以外の他民族に押しつけることはとうていできない。

 しかし、その「暴力」はナチスによる「ホロコースト」の受難によって正当化される。ユダヤ人は二度とこのような憂き目に遭わないために、ナチズムさえ斥ける強力な国家を築かねばならない。ユダヤ人には聖書に刻まれたようにその権利があり、イスラエルの「安全」を脅かすものは、何人たりとも「無力化」するという主張だ。

 だがそれは二重の倒錯である。まず、聖書の記述はユダヤ・キリスト教を伝統とするところでしか通用しないということ。ただ、アラブ世界はイスラーム化しているために同じく「経典の民」ではあるが、経典(旧約聖書)の伝統によって(イシュマエルは庶子でイサクがアブラハムの嫡男)ユダヤ人が現代アラブ人を排除しうるという論はまったく成り立たない。それに、自らをイシュマエルの末裔に擬したムハンマドの眷属には別の経典、旧約を超える『コーラン』がある。それが現在まで続くイスラーム世界を作ってきた。その世界はいまなし崩しに進む「西洋化」の波に抗がっている。

 それに、千年以上にわたってユダヤ人を迫害の運命に置き、その「最終的解決」として「ホロコースト」を引き起こしたのは、キリスト教的伝統に立つヨーロッパである。そのヨーロッパにおける「受難」を口実に、パレスチナ人に新たな「受難」(1948年の「ナクバ」)を引き起こし、それを永続化させるのは暴力的な「運命」の転嫁だと言わざるをえない。

 世界中で少なからぬユダヤ人――「国なき民」のすぐれた伝統を深く理解する――が、その倒錯のためにイスラエル国家を批判している。だがその声は「西洋的」政治やメディアのなかで掻き消されがちだ(「イスラーム・テロリスト」を擁護して「ユダヤ人の祖国」を傷つけるのかと批判される)。