「反ユダヤ主義」と「ユダヤ人問題」

 まず初めにひとつ確認しておこう。反ユダヤ主義とは一九世紀後半にヨーロッパで生れた用語「アンチセミティズム(antisemitism)」の訳語である。日本語では「セム」という語が自明ではないので、分かりやすく「反ユダヤ主義」という語が通用するようになっている。だが、じつはこれが他愛ないしかし深刻な無理解・誤解を生むもとになっている、というより、西洋的な主張の欺瞞を覆い隠すことになっている。日本では「反ユダヤ主義」があたりまえのように使われているが、それを西洋語にすれば今でも「アンチセミティズ ム(反セム主義)」である。どこがどう違うのか?それを確認しておこう。

 また、ヨーロッパでは一九世紀以来「ユダヤ人問題」がよく語られた(マルクスから20世紀のサルトルにいたるまで)。それが示しているのは、ヨーロッパでは長い間「ユダヤ人である(がいる)」ということ、つまり「ユダヤ人の存在」が問題になっていたということだ。もちろん、ここでいうヨーロッパとは、「古代ギリシア以来のヨーロッパ」(そんなものは存在しない)ではなく、かつて全面的にキリスト教化し、キリスト教の世界観を鋳型として形づくられ、その「世俗化」のプロセスを経て「近代世界」の範型となったヨーロッパのことである。そこではつねに「ユダヤ人」であることが「問題」だったのだ。

ローマ帝国とキリスト教、およびユダヤ人

 キリスト教はユダヤ教的風土から離脱するようにして生まれた。広域ローマ帝国の支配下、それまでの諸部族の慣習的掟の遵守(部族神の崇拝)を、共同体的絆を失った人びと(貧しき人びと)の唯一神に対する〈信〉へと置き換えることで、キリスト教は新しい「信仰の共同体」つまり「教会」を作った。「古い契約」(旧約)を刷新する「新しい契約」(新約)である。その信仰共同体は、初めは「地上の王」を無視するためローマ帝国によって弾圧されたが、やがてその「信の構造」が帝国の「普遍的(世界的)統治」と調和するものと認められ(コンスタンチヌスの帰依)、教会は帝国の支配秩序と合体することになった(それが歴史的にはローマ帝国の国教化といわれる)。

 その後ローマ帝国は東西に分裂し(395年)、ローマに拠点をおく西側の帝国はほどなく滅亡、東はコンスタンチノープルを拠点に皇帝の庇護の下でオーソドクス(正教)教会が存続するが、西のローマ教会は帝国の庇護を失い、文字どおり地上につける足のない(領土をもたない)「精神的権威」としてのみ帝国の跡地に浮遊する。

 それを、侵攻したゲルマン諸族の王たちが占領支配の正統性の供給源として活用(神が認めているからこの地を支配する)、そのことを通してローマ教会はしだいに西側(オクシデント)で地上の権力を超えた普遍的権威として力をもつようになり、やがてその関係を東から導入したローマ法で制度化することによって、「神の代理人の座=教皇庁」として「全世界布教(キリスト教化)」の先頭に立つことになった(11-12世紀)。

 一方、ユダヤ人(ヘブライの神の掟に従って生きる者)は、ユダヤ王国滅亡とともにその地を追放され、離散を余儀なくされるが、広大なローマ帝国内で土地をもつことを禁じられたためどこにも根付くことができなかった。そのため彼らは「書物(聖書)」だけを共通の拠り所とし、住処とし、その書物を耕しそれを糧として(聖書を教え学ぶ学校をもち)、各地の言葉に通じながらさまざまな地域の人びとの仲立ちとなり、通商や知識情報の担い手ともなって、財の流通のために携帯可能なもうひとつの「書物」を作り出す。小切手帳である。

 それが地中海世界の商業・金融業を発展させる新たな「神の書物」となった。今風に言うなら、国境や権力に囚われない自由な富の媒介(メディア)であり、そのための「財のヴァーチャル化」であり、それがのちに近代の「資本主義」と呼ばれる経済システムを作り出すもとにもなった。近代ヨーロッパの俗説で、ユダヤ人がカネと知識情報の流通に結びつけられるのはそのためだろう。

「神への信」の錯綜、ユダヤ教とキリスト教

 その成立の事情からして、キリスト教とユダヤ教とは骨絡みである。キリスト教はユダヤ人の神との関係を刷新しながらその〈信仰(faith)〉を確立した(〈信仰〉とその共同体=〈教会〉とはキリスト教の発明だと言っていい)。その更新を決定づけるのは「割礼」に代えて「洗礼」を採用したことである。割礼は神との約束(契約)を肉の身に刻むが、洗礼はそれを象徴(精神的)所作に代える。こうして因習的な掟の縛りは各人の人格的な〈信〉になる。それがキリスト教を一部族にかぎらず「万人に開かれた」信仰にした(それゆえ、諸部族を統合したローマ帝国の共通の「宗旨」たりえたのだ)。そして、繰り返される動物供犠(イサクの子羊など)はイエスの絶対的サクリファイス、つまりこれだけで全人類の罪は贖われるというキリスト(救世主)の受難(十字架刑)に置き代えられた。

 またキリスト教の聖典、イエスの言行を伝えた「福音書」によれば、イエスの受難(=万人の救済)が実現するためには、ユダの「裏切り」とユダヤ教ラビたちによるイエスのポンテオ・ピラト(編注:ローマ帝国の第5代ユダヤ属州総督。新約聖書ではイエスの処刑に関与したとされる)への引き渡しがなければならなかった。つまりユダヤ人の「罪」はキリストによる「万人救済」実現のための不可欠の契機なのだ。そのため、キリスト教の成立とユダヤ人との関係は複雑に絡むことになる。

 ただ、世界観の元になる神話的部分に関しては(「創世記」「出エジプト記」、天地創造、アダムとイヴの楽園追放、ノアの洪水、アブラハムの出奔とカナンの地への旅、さらにその先の史的説話的要素も)、キリスト教はユダヤ教の資産をそのままに引き継いでいる。そのために、ヨーロッパ(とくに時間観念や自然観など)に関してはしばしば「ユダヤ=キリスト教的伝統」が語られる。

異教としてのユダヤ教

 教義上でそのような関係をもちつつ、キリスト教はやがて帝国の皇帝はじめ万民の信仰するところとなり、西ローマの跡地に侵攻定着した異民族にも浸透し、その地上の諸王権をも包摂して、その世界観は信仰の内実というよりヨーロッパ(オクシデント)の人間や社会を造形する鋳型そのものになった。人は神の作り出したこの地上に生まれ、洗礼を受けることで名を帯びて世に迎え入れられる。そこでは信仰などあらためて問われるまでもなく、生きていることはすでに神の計らいであり、同時にそれが教会(信者の共同体)に属しているということにもなった。一方、ユダヤ教徒はいかなる地上の権力や土地の力にも見放され、イエスを売った異教徒としてキリスト教世界の周辺をさまようことになる。それが中世あたりの一般的状況だったと言っていいだろう。