「二つの戦争」?

 ウクライナで戦争が続き、そこにイスラエルのガザ攻撃(ハマス掃討戦)が重なったため、同じような戦争が起こっている(軍事大国が小国を不法に攻撃している)とみなされ、並べて語られる。ロシアとイスラエルが強権国家で、ロシアの侵略を受けるウクライナ国民の「受難」が、殲滅戦にさらされるガザ住民の悲劇と重ねられるというのだ。

 だがこの二つの「戦争」はまったく性質が異なる。前者は曲がりなりにも国家間戦争だが(両政府が当事者、戦闘は基本的に軍同士が行い、NATO諸国がウクライナを全面支援してロシアに経済制裁を課すとともに大量の兵器を供給している)、パレスチナ・ガザの場合は国家をもたない「難民」を、彼らを「難民化」したイスラエル国家の軍隊が殲滅的攻撃にさらしているのだ。

 米国はこのイスラエルの作戦を「自衛権」として擁護し、大量の攻撃用兵器を供与し続けるが、西側諸国はどこもパレスチナやガザ住民を助けようとはしない(それどころか、パレスチナを支援しようとするアラブ諸国は牽制され、とりわけイランはイスラエルの敵として米イスラエル双方から非合法の攻撃を受け続ける)。ガザ住民の続く飢餓や苦境(病院・学校の破壊)に極限的な「人道危機」の警告を発するのは国連を代表するグテーレス事務総長だけだ(それにイスラエルは反発し、米国は偏っているとして取り合わない)。

ハマスは何故?

 今も続くこの「二つの戦争」に関係があるとしたら、それは、西側諸国挙げてのウクライナ支援への没入が2023年10月7日(1974年ヨム・キプール戦争の記念日)にハマス等イスラーム武装組織が「決起」する背景になったということだ。

 23年初頭、イスラエルでは汚職で失脚していたネタニヤフが宗教右派勢力との連立で政権に返り咲き、ガザに対する締め付けを強めると同時に、パレスチナ自治政府管理下のヨルダン川西岸への違法入植(国連ではこの入植そのものが違法とされている)を軍の支援で強化推進し、抵抗する者たちを次々に収監、パレスチナ人の実質的な排除を進めていた。将来のパレスチナ国家の基盤を根こそぎにするようなネタニヤフ政権のこの政策は、西側諸国がウクライナ対応にかまけて中東に目が向かないときに推進された。

 そのような状況を打開するため、ハマスはイスラエル人が戦争記念を祝う日にかつてなかった大規模な直接攻撃を仕掛けたのだ(といっても戦車も戦闘機もない、ロケット弾とオートバイの「野蛮」な襲撃であり、「人質」を取ったのはすでに何千人ものパレスチナ人が不当に収監されていたからだ)。

 これを機にネタニヤフはガザを「実効支配する」(と西側メディアはいう)ハマス撲滅と「ガザ最終戦争」を宣言し、ハマスの政治部門が統治しているガザ地区の猛攻撃に乗り出した。もちろん、ハマスはそれを見越していただろう。これまでもイスラエル人に1人の犠牲者が出ると、報復としてパレスチナ人が100人単位あるいはそれ以上の死者を出す「反撃」をしてきた。二度と反抗を起こさせないための「懲罰」としてだ。

 その過剰な報復は「テロとの戦争」として正当化されてきた。ハマスはイスラエルの「安全」を脅かす「テロリスト集団」であって、存在を許してはいけないというわけだ(ゼレンスキーもそう言ってしばしばロシア軍を非難する)。だが、この「戦争」はあまりに「非対称」だ。ハマスを掃討するとして、武装組織は数千人規模で、その撲滅のために狭い地域に230万人の「難民」がひしめくガザ地区を、水も電気も食糧搬入も遮断して、逃げ場のない人びとを逃げ惑わせたまま地区ごと爆撃破壊するのだから。

 ただし、それが「テロとの戦争」の常道だ。数人の「テロリスト」が潜むからといって、街全体を破壊する。他の住民を保護することよりテロリスト殺害が優先される。なぜならテロリストは秩序全体を脅かす「絶対的病巣」だからだ。市民の犠牲? それは病巣除去のための「副次的被害」であって、巻き添えになるようなところにいる者が悪い。テロ掃討作戦の邪魔になる者は「人間の楯」としてテロリストを護ることになる。だからそれは無視して、あるいはそれも除去してテロリストを撲滅する、それが「テロとの戦争」の論理である。近代国際法と戦争法は、非武装の市民の攻撃を禁止しむしろその保護を要請している。その制約を取り払って殲滅戦を正当化する、それがグローバル世界でアメリカが設定した「テロとの戦争」の最大のメリットなのだ。

ジェノサイド――未来を壊す

 「ガザ最終戦争」の報道に世界は震撼させられる。いくら「人質解放」という大義を掲げていても、文字どおりジェノサイドと言うべきこのような国家暴力が許されるはずはない。ここで起こる事実に関してはそれなりにまともな報道をする西側のメディアをみても、イスラエルの暴挙は目に余る。中東メディアのアルジャジーラは締め出したが(その他にすでに100人に及ぶジャーナリストがイスラエル軍の攻撃で犠牲になっている)、一月後には国連のグテーレス事務総長も「前例のない人道危機」について警告し、イスラエルを牽制してみずからエジプト国境のラファ検問所に赴き、最低限の支援物資の搬入を促した(イスラエルはガザ住民を国外に追い出したいのだろうが、エジプトは国内事情もあって受け入れないし、ガザ住民にはもともとここに生きる権利がある)。

 狭いガザ地区の北部は廃墟と化し、住民は南部に追いやられるが、そこでもまたハマス狩りと称した大規模な爆撃と地上軍による掃討がある。病院はハマスの拠点だとして攻撃され、施設は破壊されて病人や負傷者の治療ばかりか、子供そして新生児の救命もできない。さらに避難民で溢れる国連運営の学校も、ハマスの拠点だとして次々に爆撃破壊される。おそらくここは、第二次大戦以来もっとも凄惨な「戦場」である(大部分の犠牲者が非戦闘員である点で、比肩しうるのは広島・長崎、小規模だがベトナム戦争時のソンミ村、そしてイラク戦争時のファルージャなどだ……)。

 ガザ住民の飢餓状態が国連から警告されてすでに数カ月が経つ(国連の支援組織UNHCRをイスラエルは敵対組織とみなしている)。アメリカなら、戦場から帰った兵士たちは自らの残虐行為のトラウマに悩まされてもPTSD患者として手厚く保護されるだろうが、ここでは子供たちが、日々砲弾の下を逃げ惑い、保護してくれるはずの親や親戚を失い、乏しい配給の食べものに何とかありつきながら(小さな子供が家族のために鍋でスープを運ぶ)、泥水を避けることもできないテントに身を寄せて不安な眠りを取ることしかできない。そのわずかな眠りが、子供たちにとっては生きている最後の証しであり安らぎだろう。そんな日々を何か月も生きなければならない(幸いにして生きている)子供たちはトラウマなどと言う余地もない。彼らにはどんな「未来」があるというのか。

 それでもイスラエルでは「人質」を取り戻せという声は聞こえるが、「人質」以下の境遇に置かれているガザの住民、そしてその同朋であるヨルダン川西岸のパレスチナ人を救え、といった声はほとんど起きないようだ。イスラエルは二度とホロコーストを許さない、その可能性を根絶するための権利を行使する「安全国家」なのだからと。イスラエルに加害するハマスはナチスと同じく許容できず、ガザの子供たちはみな「まむしの子はまむし」、徹底的に叩いておかないと牙をむく「悪魔」の卵なのだ。そのイスラエル人の一般的心情がネタニヤフの「最終戦争」を支えている。

オスロ合意以降の抵抗運動のイスラーム化

 現在のバレスチナの状況を理解するには、少なくともオスロ合意以降の経過を概略でも知っておかなければならない。冷戦期はご他聞にもれずバレスチナの抵抗運動も「民族解放闘争」と意味づけられ、主としてソ連(それと一部アラブ諸国)の支援を受けて「バレスチナ解放戦線(PLO)」が担っていた。

 ところが1991年にソ連が崩壊して後ろ楯を失っただけでなく、湾岸戦争でイラクを支持したため「国際社会」の信用を失い、尾羽打ち枯らしたPLOのヤセル・アラファトは、1993年にアメリカ大統領クリントンの仲介を受け入れ、イスラエルのイツハク・ラビン首相とオスロ合意を取り交わすことになる。それはPLOがイスラエル国家を承認して闘争を止め、その代わり近い将来のパレスチナ国家建設に向けて暫定自治政府を作り、ヨルダン川西岸とガザ地区を統治するというものだった。いわゆる二国家案と言われるもので、それは国連の承認も受けることになった。

 けれども、イスラエル国内には根強い反対派がおり、数か月後にイツハク・ラビンは暗殺され、その後は強硬派(バレスチナ国家を認めない)のリクードが政権を握って「占領地」(ヨルダン川西岸とガザ地区)に多数の入植者を送り込み、パレスチナ自治区の切り崩しを押し進めてきた。それに対して、イスラエル占領下で「合法的」地位をもつPLOはなすすべもなく、日々の生存の基盤や「将来」さえ潰されるパレスチナの若者たちは、2000年秋にイスラエル軍に一斉に石を投げるインティファーダ(民衆蜂起)に立ちあがった。その民衆蜂起を指導したのが「イスラーム解放運動」通称ハマスである。