世界戦争から80年
第二次世界大戦が核兵器の圧倒的な衝撃とともに終息して八十年が経とうとしている。
戦争の国民化により戦闘が万人の関与事になって一世紀半、国家を挙げた総力戦に見合うこの殲滅兵器が、科学技術の総力結集によって生れた。初めは25㏏と小規模だったが10数年で50Mtと2000倍規模の破壊力を示すようになり、それが長距離ミサイルに搭載されて全地球的に配備される。
これで戦争は技術的にできなくなるはずだった。だが、戦争によって自己主張する諸国家の意向と、殲滅の対象となる「万人」(諸国民あるいは人類)の意向とは乖離するようになる。あるいは戦争は国家間ではなく、「正当」な権利・権限をもつ国家と、いまだ国家をもたない地域民との自立をめぐる争いになる(植民地解放闘争以後)。その抗争図式に、既存国家間の国家原理をめぐる対立が世界分断の枠組みとして覆いかぶさる。
一方はひとつの社会原理を国家的に組織しようとし(階級闘争による権力奪取と国家統制)、他方は私的自由の確保を旗印に、いくつもの利益集団の競合が利益追及の枠組みとして国家を活用する(これを「コーポラティズム国家」と呼ぶ論者もいる)。その二つの傾向(社会主義vs.自由主義)が国家陣営として核対峙するのが「冷戦」の時代だった(第4回参照)。
だが、一方のソ連が崩壊すると、私的自由とそれに基づく市場原理(数の民主主義?)がグローバル国際秩序の規範となり、そこから締め出される非文明的かつ非経済的な「異教」の亡霊たちとの新たな対立が見えないかたちで生じる。そこで「国家の専権事項」としての戦争は、この「見えない(存在を認められない)敵」に対して発動されるようになる(第9回参照)。
戦争は再び、「テロリスト(文明秩序に存在してはならない非人間)の撲滅」という論理を得て正当化される。あとは国家間秩序を強国の都合によって形式的に擁護する「国際法」だ。
「核戦争」という「絶対悪」としての究極の姿をさらけ出した西洋近代以来の戦争への傾斜は、その「悪」を闇の非存在に投影して、みずからを遂行的に正当化するようになった。こうして、もはや「できない」はずの戦争は80年経って(あるいはわずか80年で)、国際秩序の維持のため、あるいは文明の維持・推進のため「なすべき戦争」「やらねばならない戦争」となった。
ヨーロッパの「なすべき戦争」
現在の戦争は道義的に「やらなければならない」。「負けてはいけない」、あるいは「敵を勝たせてはいけない」、「次はわれわれ自身が侵略されるから」――これはロシアの侵攻に際してEU(NATO)諸国が掲げる一方的な標語である。たしかに、ロシアは2022年2月にウクライナに軍事侵攻した。しかしその前にはソ連崩壊に伴う両国の独立以来の関係変化の経緯があり、そこにアメリカとその軍事同盟NATO(および民主化ファンド)の深い関与があり、2014年以降のウクライナの分裂と内戦化があった。そこにはウクライナの西側への取り込みとロシアの孤立化・弱体化への、とりわけアメリカの強い働きかけがあったのである(敗戦国として分断され、冷戦後に再統一を果たしたドイツは、西側への負い目を抱えてその工作に引き裂かれることになった)。
ロシアの侵攻は国際法違反だが、そうせざるをえないほど「国際規範」を掲げる米NATO諸国は、規範外のさまざまな圧力(NATOの対ロシアを想定した大規模な軍事演習もある)でロシアを追い込んできた。そして西側諸国は、ロシアの侵攻を突発的起点であるかのようにして「侵略戦争」と断罪し、国連を動員して強力な経済制裁を課し、ウクライナの抗戦(もはやその域にとどまらないが)を支援している。
その戦争は、国際秩序維持のために「やらなければならない」戦争なのだと言う。戦争をとにかく止める(高性能兵器の時代に、破壊と殺戮を止める)ためには、仲介しなければならないのに、今の「国際社会」は「手を出した方」を絶対悪としてよってたかって叩き潰そうとする(潰せなくても「極力弱体化」しようとする)。しかしNATOが直接軍事介入するとロシアと全面戦争になるから、それだけは避けたいとして、ウクライナに使いきれないほどの兵器を与えてロシアと戦わせ、一方でG7を筆頭にロシアを世界経済から締め出そうとする。
結局この戦争は、反ロ親西派が牛耳るウクライナを使った、米NATO諸国の対ロシア戦争、NATOにとってはヨーロッパ防衛戦争だということになる。
イスラエルの「建国戦争」
そしてもう一つの戦争がある。これは第二次大戦後にできたイスラエルがその「建国」の延長で続けてきたものだ。初めは、一方的な建国に異を唱える近隣諸国との戦争だったが、やがて(とくに冷戦後に)、建国の際に掃討・追放した難民(とその子孫)の存続を嫌って「先住民」の根絶をはかる戦争、「テロとの戦争」へと変化した。
西洋諸国は、ユダヤ人がこの地に国を作る口実とした「ホロコースト」の元凶であったにもかかわらず、あるいはその「罪」(歴史的な反ユダヤ主義)を新たなイスラエルの「敵」に転嫁するため、イスラエルの建国・戦争を支持し支援する。
最も強固にイスラエルを支持するのは(国連で、最後の一国になってもイスラエル非難決議を拒否する)、世界戦争でも勝ち残り、最強国となってその後も戦争を世界統治の手段とし続けたアメリカ合州国である。それもそのはず、アメリカは、聖書にのっとり神の約束した地の先住民を駆逐して「自由の地」を切り拓き作り上げた国だったからだ。つまりアメリカは、ユダヤ・キリスト教世界(ヨーロッパ)の神話的土壌の中ではイスラエルの先触れだったからだ。
イスラエルは今何をしているのか? 一方で、すでに一年に渡ってガザ地区でハマス根絶の口実のもと地区全体の難民たちの掃討戦を続けながら、「停戦」を拒否するばかりか、パレスチナ側だと見なされるレバノンのヒズボラを攻撃し、その後ろ楯と言われるイランにも攻撃を仕掛け(前大統領の葬儀に訪れたハマスのハニヤ代表を殺害した)、イランの反撃を誘ってイスラエル防衛を約束する米欧の軍事介入を呼び込もうとしている。
さらにヒズボラの人徳篤いと評判の指導者ナスララ師もレバノンへのミサイル攻撃で爆殺、それに対して一定の対抗手段をもつイランが「抑制された報復攻撃」に出ると、それをイスラエルへの侵害としてイランの核施設や石油施設に対して「報復攻撃」するという構えだ(核施設を攻撃するとは、核爆弾をいくつも落とすのと同じ効果を生じさせる)。
メディアは戦争をどう語るか
だが、世界のメディアはいまの事態をどのように伝えているだろうか。ガザ侵攻は10月7日にイスラエルの市民がハマスの残虐な戦闘員によって襲撃され、「ホロコースト以来」の惨劇を見た(イスラエル当局)からであり、イスラエルには「自衛の権利」があり、イスラエルは「二度と惨事が繰り返されないよう」「テロリスト集団ハマス」が根絶されねばならない、ガザ地区掃討はそのためであり、4万5千の死者と200万住民の飢えと困窮の原因はハマスにある、と言う。
そして隣国のヒズボラを撃ちレバノンに侵攻するのは、ヒズボラによるガザ支援の攻撃でイスラエル北部住民6万が避難しており、その帰還を保障するためだという。だから、1年に及ぶガザ住民200万人への無慈悲な攻撃―― 一部では「緩慢なヒロシマ」とさえ呼ばれる生存環境の破壊――は、対ハマス戦争として正当化され、イスラエル政府の反発に遠慮してそれを「ジェノサイド」と呼ぶことさえしない。
ハマスやヒズボラはもともとイスラエルの占領支配に対抗する地域の互助組織なのに、共にイランが背後にいる傀儡(かいらい)の武装組織で、そのイランが反イスラエルの黒幕だという扱いである。そしてイランは、中東で核開発を進め(ちなみにイスラエルは核保有国だ)、国際的な制裁を受けているだけでなく、「テロ」の元締めになっているイスラーム原理主義政権の危険な国だというのだ。
なぜ、そういう状況になっているのかの説明はほとんどなく、ニュースはそれを前提に作られる(現代イランの成立についてはすでにふれたが〈第8回参照〉、82年にレバノンで結成されたヒズボラは、右派民兵による「サブラ・シャティーラ難民キャンプ」での大虐殺とイスラエル軍の侵攻を受けて、疲弊困窮していたレバノンの貧民たちを助けるためにイスラーム地域互助組織をもとに作られたもので、それを同じイスラームのイランが支援しているということだ。当然、「自衛のため」対イスラエルの武装をしている)。