たしかに、サダム・フセインは「暴君」というか、権力奪取・確保のためには手段を選ばない(暴力と権力の区別のない)「ならず者」である(だが、その点ではロナルド・ラムズフェルドのようなアメリカの有力者たちも変わらない)。だが、その人物を排除するために一国を潰すというのはどうだろうか。いまやアメリカの軍事力は往時の比ではなく、核兵器に代わるあらゆる兵器が開発されており、そのうえ「味方」の被害を最小限にしながら「敵」の破壊を極大化するためIT技術を駆使するという「ミリタリー革命(MR)」も進んでいた。米軍はこのとき、ベトナム戦争以降できなくなっていた本格戦争を実施する機会をえた。この戦争が冷戦期の旧式兵器のバーゲン・セールと言われたゆえんである。
アメリカは国連を舞台にフェイク・キャンペーン(クウェート大使の娘を使って)をはり、グローバル・メディアとして登場したCNNにフセインの戦争が環境問題にも深刻な影響をおよぼすという映像(石油まみれの海鵜)を流させ、フセイン打倒の機運を高めた。しかしこの時は結局、フセインをクウェートから撤退させることはできても、追い詰めることはできなかった(降伏したらそれ以上戦争を続けることはできないが、軍隊を送る代わりに厳しい経済制裁を課して国民を窮乏化させ、政権の弱体化を図る)。
イラクの「解放」に向けて
湾岸戦争は冷戦後の「世界新秩序」の試金石でもあった。国連を背景にアメリカが「世界の警察官(保安官)」を演じるというのである。当時サミュエル・ハンチントンはイデオロギー衝突に代わってこれからは「文明間の衝突」だというビジョンを出したが、そこに想定されていたのは主として西洋キリスト教世界と、復興するイスラーム世界、そして台頭する中華儒教圏との対立が課題になるという見方だった。それは一定の妥当性がないでもなかったが、冷戦で勝利しグローバル化した「西側」主導の国際秩序にあっては、現状の国家間秩序を破って出没するイスラーム主義勢力が、最大かつ深刻な不安定要因となっていた(サダム・フセインも降伏後は、世俗アラブ色を棄ててしだいにイスラーム色を強く出すようになる)。
そうこうするうちに、アラブ・アフリカ地域の随所でアメリカ軍基地や政府施設に対するイスラーム過激派組織の攻撃が繰り返され、ソマリアでは米軍基地が襲撃され多数の犠牲を出すといった事態もあり、アメリカはこの地域の「保安」負担を厭うようになる(日本が「応分の負担」ということで、国連PKOの枠組みで海外派兵を始めるのはこの頃だ)。
そこに「9・11」というアメリカ史上未曾有の大惨事が起こった(アメリカにとっての「衝撃と恐怖(Shock & Fear)」)。これがイスラーム過激派組織の仕業であるとして、とうとうアメリカは国家ではない「テロリスト集団」に対して国家を動員した「戦争」を布告することになる(第8回参照)。それも「文明諸国家」はこの「戦争」に参加すべきものとして(「敵につくか、われわれにつくか」)。
このとき、アメリカ(ブッシュjr.政権)はまず9・11の首謀者ウサマ・ビンラディンを匿っているとしてアフガニスタンを攻撃し、タリバン政権を壊走させてEU諸国とともに新政府(国家)を作ったことはすでにふれた(第11回)。しかしブッシュjr.政権にとって「テロとの戦争」の「本ボシ」は、10年前に息の根を止めることのできなかったイラクのサダム・フセインだった。
だから、アフガニスタンがタリバン政権崩壊で「再建」プロセスに入ると、ブッシュjr.はイラクとイランと北朝鮮を「テロ支援国家」あるいは「ならず者国家」として焦点化し、「悪の枢軸」と呼んだ。この呼称は第二次大戦時の「連合国vs.枢軸国」になぞらえたものだった。
三カ国が「悪」である所以は、核兵器開発をしている――あるいは大量破壊兵器(化学兵器など)を隠している――からだという(あるいはテロリストを操り支援している)。つまり、大量破壊兵器は世界秩序に責任をもつ米国等しかもってはいけないのだ(冷戦後は核不拡散が国際社会の要請になった)。それは世界の平和を脅かし、人びとを怯えさせる恐怖の元になるもの(テロル!)だからだ。
それともうひとつ、湾岸戦争後の厳しい経済制裁の下で、サダム・フセインは相変わらずの独裁体制の下とりわけクルド人の迫害を続けている。だからこの危険で暴力的な体制を崩壊させ、イラク国民と少数民族を「解放」して地域の安定をもたらすのは国際社会の義務だというわけだ(ついでに言えば、このときイラクをサダムの独裁から「解放」し「民主国家」を作る、その「占領・民主化」のモデルは日本だとも言われていた。アメリカの占領統治でイラクは戦後の日本のような親米繁栄国になるだろうということだ)。
「衝撃と恐怖」作戦
敵を極度に悪魔化し、戦争を懲罰的に構えるのは、冷戦以来のアメリカの戦争の特徴である。それが力の行使を正義とする超大国の悪癖だ。そのためにあらゆるメディアが働かされるが、ブッシュjr.政権以降に進化した米政府の特徴は、政治用語やアピール表現をマーケティングに長けたPR会社に作らせることだ。
あまりに前のめりなブッシュに、フランスやロシアは反対し、冷戦後の世界を飛び回って平和教宣に努めたローマ教皇ジャン=ポール二世も、高齢をおして説得しようとしたが甲斐なく、米軍は英軍とともに2003年3月20日「衝撃と恐怖」作戦に打って出た。バグダッドの夜はB2ステルス爆撃機の爆撃とトマホークの大量発射で明けた。首都の主要施設が一挙に破壊されただけでなく、電信施設、水道、主要道路など、生活インフラが破壊され、街の人びとは予想されたとはいえついにやってきた地獄の日々に震え上がった。