加速する時間の先に
「テロとの戦争」が打ち出され、それが冷戦に代わる世界の戦争レジームになってからすでに四半世紀が経とうとしている。そのきっかけとなったのが2001年アメリカの「9.11」だった(日本では「アメリカ同時多発テロ」という独特の呼び方をする)。世界中の人びとがリアルタイムで目にした(衛星テレビ中継)ニューヨークのワールド・トレード・センター・ビルに二機の旅客機が突っ込んで、双子の超高層ビルが相次いで崩落するという衝撃的な光景は、その後の世界の激変とそこに溢れた虚実ないまぜの情報の濁流に押し流され、いまでは現場も忌まわしい記憶を消し去るかのようにハイパー・モダンな「記念広場」となり、出来事そのものは考古学的な発掘でもアプローチできないようになってしまった(えっ、そんなことあったの?という声さえ聞かれる)。
だが、その事件は冷戦後10年にわたって停滞していた世界の「時間」をいっきょに加速するきっかけでもあった。情報のデジタルIT化が急速に進み(民営SNSの登場とその感染性の展開)、情報は世界に溢れかえって、人びとは否応なくそのネット空間へのアクセスを促され、日常の業務のほとんどはヴァーチャル化されて(「現場」の肉体労働以外)、何かにつけ効率的な情報処理が求められるとともに、社会的生活においても人びとは急き立てられるようになる。
業務の情報化とその処理効率の追及、情報流通量の爆発的増大、そこでは生きた人間の「記憶」などというものはもはや情報処理の足手まといでしかなくなる。そんな社会の急激な変化について行けない人びとは、文字どおり「時代遅れ」になり――『時代遅れの人間』というのが、核時代の技術を問題にした哲学者ギュンター・アンダースの主著のタイトルだが、その意味は「人間である」ことが時代遅れになるということだ――、何とか流れに乗りそこに身を委ねた人びとも、足が地につかない不安を紛らわせて忘れるべく、テレビ・ネット放送・SNSを埋めつくす「エンターテインメント(娯楽・ゲーム・スポーツ)」に没頭する。そのため(どちらが原因か結果か)、演算素子・集積回路(CPU)の性能・処理スピードは加速度的に上がり(技術的な限界は見えている、だからイノヴェーションが必要…)、その分、時間当たりの情報の密度はどこまでも高くなる。
明らかに人間は(少なくとも生きて生活している個々の人間は)この膨大な量を呑み下し消化することができない。結局は情報の濁流に呑み込まれ、怒涛の水量になすすべもなく呆然と身を任せるしかなくなる。もしこれが自然にたとえられるなら、カヤックを浮かべた渓流の流れがしだいに速くなり、気がついたらもはや櫂を使うこともできなくなるとしたら、その先には大きな滝があることを覚悟しなければならない。私たち自身を乗せた時間の流れが加速する。どんどん速くなると、時間が節約できて便利なはずなのに、逆に日々はますます忙しくなる。いつも、いっそう、私たちには時間がない…。どこかで聞いたセリフだ。そう、「終わりの日は近い」(地球は沸騰している?)と誰もが言う。急げ、「悔い改めよ」…。ほどなく「時の終り」が来るのだ。何のことはない、私たちは終末論的時間のうちにすでにいる。
ということは、この科学技術による自然の克服・制御をめざす文明そのものが、産業革命、そして情報革命…と「革新」を重ねて、宗教の迷妄からの人間の解放を標榜しその勝利を謳いながら、まんまと時間の終末に向けて突き進んでいるということではないのか。
「テロとの戦争」の端緒
メディア情報環境の変化にふれながらつい終末論まで迂回したのは、情報環境の変化によって、われわれの時間意識と状況把握の条件自体が近年激変していることに注意を喚起するためだ。
時間が早く過ぎ、濃密になった〈現在〉が私たちの視界を覆うため、薄っぺらな〈現在〉に溺れるようにして20年前のことさえたちまち記憶から消え去る。今では9・11もすでにランダムな過去のデータのひとつと化し、そこから始まった「テロとの戦争」がどのような経緯をたどったかさえ忘れられている。いわゆる「Z世代」にとってはすでに生れる前の過去である。しかしそこで、世界と世界理解の仕方に激変があったことはもう一度確認しておいた方がいい。
ざっとその経緯をたどっておこう。
9・11を受けて、ブッシュjr.政権のアメリカは「テロとの戦争」を打ち出した(第8回参照)。「テロリスト」を世界の果てまで追い詰めると宣言し、とりわけ西側各国に「われわれにつくか、敵につくか」と同調を迫った。この場合「われわれ」とは「国際秩序」の側だ。そして「敵」は国家ではない不法で野蛮な武装集団ということになる。アフガニスタンのようにイスラーム武装組織タリバーンが「実効支配」(つまり政府として統治)している国は「破綻国家」であって、「国際秩序」には属さない。そのタリバーンが9・11の首謀者とされたオサマ・ビンラディンを匿っているということで、タリバーン統治のアフガニスタンを崩壊させる空爆が始まった。