「テロとの戦争」のパラドクス

 21世紀の「新しい戦争」として打ち出された「テロとの戦争」は、「テロリストの殲滅」を目的として掲げて始められたが、結果的にはかえって「テロリスト」を拡散させただけだった。そして「テロリスト」狩りを口実とした軍事行動をも世界に広げさせた。

 それもそのはず、それまでの国家間戦争と違って、非国家集団(それも実体も定かでないもの)を「敵」としたため、この「戦争」概念は国家間秩序を崩して強国の一方的な武力行使を可能にし、その「超法規性」によって「敵」を人間の埒外に追放し、問答無用の、限界を超えた破壊と殺害を許容することになった(実際、このときから作戦の成果は「テロリスト何人殺害」と公式発表される)。そして、現代の戦争が純然たる人殺しにすぎないことを露呈させただけでなく、その一方的「正義」の殺戮の荒野から、いっそう義を知らず復讐心にもえた「テロリスト」を随所に生み出すことになった。

 つまり「テロとの戦争」は、それ自体の「無法」性が古典的な戦争の枠組みを踏み越えて、国家暴力に課せられた制約(戦争法の枠組み)を解除し、国際的無秩序の火床となったのである。それは覇権国アメリカと西側先進国にとっての「文明秩序」を守るための「緊急事態」として打ち出されたのだが、この「非常時」ははじめから恒常秩序となる傾向を秘めていた(この「非常時」の片務性・一方向性――ときにユニラテラルと言われる――をほとんどの論者たちはみていない)。

 もっと分かりやすく言えば、これによって「戦争」と「平和」の区別は冷戦期以来再びなくなった。先進国は恒常的に警戒予防体制に置かれることになり、特定の後進地域はいつ何時爆撃・侵攻を受けるかも分からない。そして戦争の「暴力」には歯止めがなくなり、ただ先進国の住民についてのみ「人権・人道」云々が語られる。

 実際、「テロとの戦争」の開始以来、まずはアジア各地の主にイスラーム地域で「テロ」(無差別攻撃、爆破・銃撃)が広がるようになり、イラク戦争の頃からヨーロッパの大都市で大きな「テロ事件」が起こるようになった(マドリッド、ロンドン、パリ、ブリッセル…)。当然と言えば当然である。というのは、EUの中核諸国は「テロとの戦争」に積極的に加担して各地での爆撃や掃討作戦に加わっており、「見えない敵」に対して「戦争」を宣言し、その意味ですでに「戦時下」にあったのだから。

グローバルな監視社会化

 他所での「テロ」退治が国内に「テロ」を呼び込むというこのバラドクスは当初から明らかだった。9・11直後に、アメリカでは当局による電話・電信・行動監視や予防拘禁を可能にする「愛国者法」が制定され、監視予防態勢が強化された。人びとは密告を奨励され、監視を受けることを「愛国者」の義務だと受け入れさせられる。首謀者とされたビンラディンは国外にいても、実行犯たちはほとんどが米国内にいたからだ。

 ブッシュ政権は「テロリズムに屈しない」(日本では「テロに負けない」と言う)ためには、怖れず日常生活を続け、野球場にも通わなければならないと国民に勧めたが、それはあらゆる監視や検閲を受け入れ、「戒厳令」を日常として受け容れよということだ。「セキュリティー(安全・安心)」)はこの監視・予防態勢を受け入れることでしか保てない。「テロリズム」に国境はないのである。

 こうして「テロとの戦争」体制は、国内外での監視(予防)社会化を避けがたくする。つまり、国家の統治権力は膨れ上がるのだ。そのとき、インターネットによる情報化は事情を複雑にする。監視と統制の要は国家権力であるにもかかわらず、ネット領域のイニシアチブは「私人」(企業)にあってそれは営利で増殖するという矛盾が、さらに混乱を引き起こす。とはいえ、「テロリズム」に対する安全保障の要請は、国家によるその保障の前に人びと(国民)があらゆる基本的な権利の成否を委ねるという体制を再び可能にしたのである。再び、というのは、それが世界戦争の時代(全体主義)の社会体制だったからだ。

 あるいは、「万人の万人に対する戦いという野生状態」を収拾するため、各人が国家に権力を預けるというホッブス的な契約社会と夜警国家、そんな国家社会像が再びせり上がってきて、「安全保障(セキュリティー)」という用語が他のあらゆる統治の業務を圧迫するようになる(「セキュリティー」という語が日常的ではない日本では、それが「安全・安心」と言い換えられ、社会生活の第一の要請になる)。

 この事態が、戦争をも営利機会として活用する「新自由主義」原理と反りが合うということも念頭に置いておきたい。セキュリティーはこの頃(21世紀初頭)から、兵器・航空機産業、バイオケミカル製薬産業につぐ、産業セクターとして急速に発展する。

外科手術としての戦争?

 さらにもう一点。湾岸戦争の「新しさ」として「清潔な戦争」ということが言われた。簡単に言えば現代の戦争は、ドロ沼にはまって肉弾相撃つ凄惨なイメージが払拭され、精密誘導兵器による空からの外科手術のように手際よく、かつ血や殺戮や腐臭のような要素をきれいに洗った、嫌悪感を催さない戦争の装いをとるということだ。それは「戦争の正義」を演出するのに貢献する。

 情報が瞬時に世界に伝わる時代である。これは戦争を、メディアを通して可視化させる、見せて納得させ、承認支持させるという必要と結びついている。戦争を国家の「正しい」行動として呈示しなければならない。そのためひとつは、攻撃する側(こちら側)に極力被害が及ばない方法をとり、凄惨な場面はけっして外部に見せない。爆撃(作戦遂行)現場を世界に伝えるときは、投光器で照らし出された手術台の上で、カバーに覆われた患部だけを鋭いレーザーメスが行き来する外科手術のように、作戦は適切に行われているという、見せ方である。

 戦場の「医療」スペクタクル化といってもよいが、この措置は徹底的に「衛生的」である。人体を冒す病巣を文明の精華たる医療技術が適切に処置する、そのような治療パラダイムとして「文明のための戦争」が演出される。「手術」を見せるのはもちろん世界の、つまり西側先進国のメディアであり、世界の人びとはそのスペクタクルの観客となる。

 「公衆衛生維持としての戦争」とでも言おうか。湾岸戦争はこのように、冷戦以後の新しい「文明の戦争」として演出・呈示された。そこにあったのは、国家間の相互的な対立ではなく、世界秩序を冒す病巣、悪性の異物を主導国(と有志国)が摘出除去するという、まさに非対称的な「戦争」の捉え方である。これは、東西のイデオロギー対立が終わって成立したグローバルな一元秩序を守る、という意識の反映でもあるだろう。

 平和が望ましい常態(正常)だとすると、戦争を引き起こすのは異常で、健全な状態を乱す病とみなされる。そこに近代医学の見方が重なってくる。西洋の近代医学は症状から病因を特定し、それを物理的に除去することで患者の健康を取り戻そうとする(特定病因論という)。手段は薬物・化学療法だったり、外科的処置だったりする。しかし病因が細菌やウィルスなど身体内に侵入した異物だとみなされると、その異物排除が治療の方法になる。その種の病気の研究から、免疫のメカニズムが発見され、20世紀以降、免疫学が医学の基本的なパラダイムになる。免疫とは、身体が個としての同質的統合を維持するため、自己以外のものを排除しようとする生体のメカニズムだ。いわゆる生理的同質性(アイデンティティ)保持のためのメカニズムである。

 そのメカニズムの危機が病気(発熱、種々の機能不全)を引き起こす。というので、医療と病因との間で、「身体を戦場にして」(ロイ・ポーターの医療の歴史を扱った書物のタイトルだ)、「ミクロ圏の戦い」が繰り広げられ、その有効な武器としてワクチンが開発される。

医療と戦争

 医療が戦争の比喩を使うのか、戦争が医療に準[なぞら]えられるのか(その際、人間世界の秩序が身体に対応することになる)、どちらなのか。その問いにはすでに答えがある。西洋近代の科学技術(近代医学もそこに含まれる)は「自然の解明」を課題とし、その「克服」を使命ともしてきた。自然は人間に障害をもたらす悪であり、それを人間は克服して善用し、役立つ資源に転化して文明世界を築く。それが「啓蒙」の基本的考え方でもある。

 また、ギリシアの昔から「戦い(ポレモス)は万物の父」という考えもあった。つまり、西洋では知と技術の獲得(文明)そのものが「自然との戦い」という戦争のパラダイムで語られてきた。それを近代に集約したのがヘーゲルの「戦いの哲学」、二項対立を克服(止揚)して「人間」が自己実現する(文明世界を築く)という弁証法哲学である。

 こういった経緯があるから西洋医学は戦争を語るのになじんでいる。一方で、近代外科医学の発展にも戦争は大きく貢献した。一六世紀にフランス王室医となったアンボワーズ・パレは、軍医の経験から「我包帯す、神癒したもう」の言葉を残したが、包帯の前に弾丸摘出等の手術をする。パレの時代は手術をするのは人でも「癒す」のは神だったが、やがて人間(身体)機械論が優勢となって、産業化の時代には外科手術は機械修理に準えられ、回復も身体の機能調整によるものとみなされるようになる。

 ちなみに、中国の医学(学=サイエンスというより医に関する知恵)は初めから自然に対抗せず、むしろ自然に頼り(薬草)、健康を回復・保持するのにも身体の「自然」を生かそうとする。人間の生きる力そのものが自然のたまものだと考えられるからだ。世界の多くの古い医学は(じつはギリシアのヒポクラテスも含めて)そういう発想をもっていた。

 だが、西洋近代の医学は(キリスト教の影響もあって)自然をままならぬ「悪」として捉え、それを人間が克服・制御するのが役割だとみなした。そして「自然」の解明と対処(侵襲的治療という)を発達させた。実際それがもたらした実用的効能はめざましく、西洋が世界化するにつれ、西洋医学は世界中の伝統医療を「迷妄」として駆逐して、今では最先端の「生命科学」の成果であらゆる病気や「老い」までも「治療」しようとしている。生まれて死に、途中で病んだりする人間の「不備」を咎めて糺すかのように(その反動がいま各所で生れているが)。

予防と免疫

 現代医学の基軸は免疫学だと言ったが、そこでは「自然」は細菌・ウィルスといった人体に侵入する異物として捉えられる。それを駆逐するのが医療の役割だ。しかしその異物が人体を冒し尽してしまうと、その人を隔離しなければならなくなる。そうしないと他の人びとを「感染」させ、人間世界を脅かすことになるからだ。

 サダム・フセインのような有害な「独裁者」というイメージは、そうした医療的反応と無縁ではない。なぜなら、「悪」「苦痛」「病」「害毒」などは西洋語では同根であり、意味的につながっているからだ。サダムのような人物は、ひとつになった世界の秩序を脅かす危険な病源であり、影響力・感染力をもたせてはならない。文明世界の秩序を保つためには、技術を結集して正しく「除去」しなければならない。「湾岸戦争」を可能にしたのは、国連を場にしたどんなご都合主義的な(その上強引なウソで押し切るような)議論よりも、そのような西洋的な思考のパラダイムが生み出す「気分」だったと言っていいだろう。それを当時のグローバル・メディアは、みごとな同時進行のスペクタクルとして世界に見せつけたのである。

 「テロリスト」とはそのような病原体にほかならず、「社会防衛」(フーコー)の第一の対象なのである。「病気」(この場合は「テロリズム」や「テロ事件」)の再発を防ぐには、社会に予防措置を講じること、そして恒常的に「免疫力」を高めることが必要だということになる。この場合、免疫力を高めるとはどういうことか? 社会という同質体を守るため「テロは許さない」という気風を強化することである。怪しい者や異物に対する警戒、そして排斥反応、それが政府の不断の広報(PR)によって広められる。

 「テロ事件」が起きた。それに対して「なぜ?」などと問うてはいけないのだ。それは「敵」を利する、あるいはテロリストに同調することになる。「テロはテロ、絶対に許さない」、その問答無用の即座の判断が「免疫」である。つまり思考停止、条件反射を身につけることだ。メディアやそこに引っ張り出される学者・専門家たちがその判断にお墨付きを与え、流布し、待てよ、ちょっと考えてみよう、という声を押し流す。それが現代世界、とりわけ文明国といわれる先進国社会を防衛する「免疫力」である。

 「テロとの戦争」がうやむやのうちに「終わった」ことになった頃、世界には新たな疫病がほんとうに登場した(2020年以来のコロナ・ウィルス禍)。「コロナ禍」の出現が現代の人間世界の生存状況と関係があるとしても、政治に関係しているわけではない(それでもこれを「中国起源」として政治化しようとする動きもあったが)。関係しているとしたら、それは地球環境の劣化を引き起こしていると言われるより広範な現代文明との関連である。だが、人間世界が政治を医療化して「免疫」と戯れることに対する「自然の逆襲」だとは言えるかもしれない。

 *「テロリスト」とは、病原体というよりむしろハリウッドの想像力の生み出した「エーリアン」(地球外異生物)に親和性がある。人間ではない生命体として、殺し方もわからない存在で、人間に侵入して異物化させたり、破壊しても飛び散って増殖したりするからだ。しかし、その「エーリアン」も、人間との関係では未知の微生物(モンスター)と同じような存在であることは確かで、人間外的自然(宇宙)を敵対的かつ征服すべき異物とみなす「あまりに人間的な」科学的想像力の生み出す妄想だろう(「文明人」はその恐怖を遊技場の「絶叫マシーン」のように愉しむ)。

*戦争が「医療化」するもうひとつの要件は「医療管理社会」である。19世紀の半ばに国民国家体制ができると、国家は人口管理のため(産業労働力確保)、保健衛生を行政の枢軸に据えるようになる。そこで国民を医療管理のもとにおくようになり、「公衆衛生」という考えで医療も社会化する(その「先進国」はドイツだった)。都市の、そして個々人の「消毒」が大事になる。

 徴兵される軍の兵士ともなると健康維持はなおのこと重要になる。日本はそのために万能薬「征露丸」を発明した(「慰安所」も男性兵士の「活力」を維持するその一環として用意された)。ただ、タガの外れた戦争のなかでは、健康維持どころか、兵士もただの消耗品になる。アジア太平洋戦争での日本兵の犠牲者の過半は餓死だったという。