ハマスはもともとガザ地区の住民の生活支援をするイスラームの互助組織(エジプトのイスラーム同胞団の流れを汲むムスリムの生活共同体)だった。それが80年代後半から対イスラエル抵抗運動を担うようになり、軍事部門を創設した(カッサム旅団)。これはイラン革命以来の中東全域に広がったイスラーム化の流れの上にあり、PLOが亡命政権のように国外にあって指令するだけの組織になったのに対し、パレスチナ住民・難民の日々の生活を現場で支えるのは、イデオロギーではなくいわば土俗のムスリム共同体になっていたということだ(もちろん1950年以来活動する国連機関UNRWAの支援はいつもあった)。

 2000年秋のインティファーダはアルアクサー・インティファーダと呼ばれる。それはこの蜂起が、イスラエル首相アリエル・シャロンが東エルサレムにあるアルアクサー・モスクに公然と足を踏み入れた(ここもイスラエル統治下だという示威)ことがきっかけだったからだ。シャロンはこのインティファーダを徹底的に弾圧した。それに対抗するためにバレスチナの若者たちによる「カミカゼ」(自爆テロ)が頻出し、状況の閉塞からついに女性の「カミカゼ」さえ登場するようになった(イスラームの伝統では女性の「殉教」は認められていないが、赤新月社――アラブ地域の赤十字社――のある看護婦は日々イスラエルの理不尽な弾圧の犠牲者たちの惨状に接しながら、ついに自らの体に爆弾を巻いてトラックでイスラエル軍の拠点に突っ込む道を選んだ)。

「テロとの戦争」の隠れた原型

 2001年秋、9・11を契機にアメリカが「テロとの戦争」を宣言して、「無法な敵」に対する超法規的な殲滅戦を世界規模で始めると、シャロンはイスラエルの軍事行動こそ「テロとの戦争」だと主張したのである。たしかに70年代以来、イスラエルはパレスチナの「テロリスト」と戦ってきたが(その前線にいたのが諜報機関モサドだ)、アメリカの唱えた「テロとの戦争」は、「敵」を「テロリスト」と見なせばその根絶のためには、ひとつの国を「石器時代に返す」(ラムズフェルド)ほど破壊し殺し尽してもいいというお墨付きだった。それ以来、イスラエルは自国に対する攻撃(パレスチナ人の抵抗)を「テロ」と指弾し、自国の安全を脅かす「テロリスト」の殲滅をみずからの権利として要求するようになる。

 アメリカは爾来(じらい)、「テロ支援国家」を指定するだけでなく、大統領令で世界の「テロ組織」を指定し、関係者に個人的な制裁も課している(もちろんハマスも指定され、国際的な解体の対象とされている)。だが、制裁などと言わなくても機会さえあれば殺害するのもかまわない(そうして実際、アメリカはイランの要人をミサイル攻撃で殺害している)。「テロリスト」指定はもともと「イスラーム過激派」が対象だったが、人種的かつ宗教的「差別」にならないように、そこは抽象化して範囲を広げている(だから日本人でも「テロリスト」指定されることはありうる)。

 だが、「テロとの戦争」は21世紀のグローバル世界秩序に現れた異教の「敵」を、国家の枠を超えて掃討するために発案された「新しい」戦争レジームだというわけではない。「新世紀アメリカの戦争」と当時アメリカ・メディアに銘打たれたこの「戦争」には原型がある。

 2011年6月にパキスタン領内に潜伏していたオサマ・ビンラディンを米海軍の特殊部隊が急襲殺害したが、ホワイト・ハウスにも実況中継されてオバマ大統領に「奴をしとめた(We got him !)」と叫ばせたこの奇襲作戦では、ビンラディンには「ジェロニモ」というコード・ネームが付けられていた。つまり現代の「テロリストの親玉」は、19世紀末、アメリカ西部フロンティアの消滅が語られた頃、最後まで抵抗を続けて合州国南西部の安寧を脅かし続けたアパッチ族のリーダーに擬されていたのである。

アメリカの建国原理

 アメリカ合州国には建国以来の縮痾(しゅくあ)として黒人問題があるが(今日の社会分断の元、人種問題の軸にもなっている)、じつはそれ以前にアメリカには「先住民の排除と抹消」という「原罪」がある。ここでは詳細は省いて要所だけ述べるにとどめよう。

 17世紀から北アメリカに移住してきたヨーロッパ人(とくにイギリス人)は、彼らが「アメリカ」と呼ぶこの地に土地所有権という法制度を持ち込んだ。天地自然に育まれその恵みで生きるという世界観のなかに生きていた先住民たちにとっては、土地が私的かつ排他的に所有され(あるいは領有され)、自由に売買されるというのはまったく不条理なことだった。そんな観念などなかったからこそ、彼らは渡来したヨーロッパ白人が彼らの大地に移住することを受け入れたのである。

 だが、この新参者は入植地を柵で囲ってそこから先住民を締め出す。渡来者に寛容で鷹揚だったとされる先住民(初期探検者たちの記録は一様にその大らかさを認めている)は、渡来者たちの独善的な権利観念に不信を抱き、そこから土地と生存をめぐる抗争が始まる。アメリカの歴史学では「インディアン戦争」とも呼ばれるその抗争は、アメリカ合州国がイギリスの統治を脱して東部13州で独立し、その後百年足らずのうちに大陸全土を帯状に領有するにいたり、残存したわずかな先住民諸部族を狭い辺鄙な居留地に閉じ込めるまで約二世紀半にわたって続いた。その間に、北アメリカの広大な大地と自然は、国家の登記簿上に登録され、所有権のもとに自由売買され開拓される「不動産」に書き換えられた。それがアメリカ合州国を発展させる足元の「資産」になる。

 このプロセスとその意味については拙著『アメリカ、異形の制度空間』(講談社メチエ、2016年)を参照していただくとして、この「先住民世界抹消」の最終期に、最後の部族的抵抗を指導していたのが、アパッチ族のジェロニモである。土地の私的所有権と自由の法制度を楯に、国法の外の化外(けがい)の民として生存の場を奪われ追いつめられた先住民(彼らは「インディアン」と勝手に呼ばれ、その生存の場を奪っていたのが「アメリカ人」である)、その先住民が圧倒的な武力の差を厭わず蜂起し抵抗すると、合州国政府は「野蛮で残忍な土人」、文明化した街の市民生活を脅かす「恐怖のもと(テロリスト)」として、「地の果てまでも追いかけて」(2001年にブッシュ大統領が「テロリスト」に対して言ったことだ)殲滅する。

 「自由の国」アメリカ合州国はこのように、私的所有権で誰のものでもなかった広大な大地を、売り買い可能な不動産に書き換え、それを資産化し、先住民を排除・抹消した「空白」そのものを「自由の天地」として成立した、諸国競合の「古いヨーロッパ」とは異なる「新世界」の「新しい国家」なのである(宗主国として税を取ろうとしたイギリス本国から独立することで、アメリカの「自由」は十全なものになった)。

アメリカとイスラエル、国家創設の相同性

 この過程には、フランスやイギリスそしてアメリカ植民地と先住民諸部族との錯綜した利害をめぐる抗争も絡んでいた。けれどもアメリカ合州国には、それらすべてを漂白する建国神話がある。初期のニューイングランド植民地、プリマス植民地、バージニア植民地等々に相通じるものだが、本国イギリスで宗教的迫害を受けた清教徒たちが、迫害を逃れ信仰の自由を求めて、旧約聖書の「出エジプト」になぞらえられる大西洋越えの試練を経て、かの地に「新しいイスラエル」を築く。そしてそこを「世界から仰ぎ見られる丘の上の街」にするという、『旧約聖書』の記述に基づく崇高な使命の神話だ(詳しくはロバート・N・ベラー『破られた契約、アメリカ宗教思想の伝統と試練』未来社、1983年を参照)。建国から約150年でアメリカ合州国はじっさい「世界から仰ぎ見られる国」になったのだが、この建国史のうちには先住民の存在する場は一切ない。

 もう明らかだろうが、イスラエルとはアメリカ合州国と国家創設の原理を同じくしているのである。

 アメリカがなぜ最後の一国になってもイスラエルの殲滅戦を支持し兵器を供与し続けるのか。それはアメリカ国内のユダヤ系圧力団体が強力だからでも、石油産出地域である中東におけるイスラエルの戦略的重要性のためでもない。もちろん現実的にはそうした要因が米のイスラエル支援に大きく働いているだろうが、それ以上に、原理的にイスラエルの戦争を否定することはアメリカ国家の成立原理を否定することになるからである。

 イスラエルは第二次大戦後、ヨーロッパでホロコーストを経験したことを理由にパレスチナにユダヤ人国家を作り、先住のパレスチナ人を排除して「難民化」した。その「難民」が居住権と帰還を要求して抵抗することを、イスラエルは自国の安全を脅かす「テロリスト」として掃討しようとする。それは「新大陸」への移住者が、その地を「空白」の「処女地」とみなして開拓し、そこに自分たちの「自由の共和国」を「アメリカ合州国」として築き、先住民の抵抗を自らの秩序への侵害、安全への脅威として「合法的」に排除し尽したこととまったく重なる。それがイスラエル・パレスチナ抗争の本質であり、現在展開されているのは「新国家」の独善による「先住民」殲滅のための「最終戦争」なのである。

 つい先日、ハマス代表(かつて2006年にパレスチナの議会選挙で勝利し、西側の介入がなければパレスチナの首相になったはずの人物だ)イスマエル・ハニヤが、イラン訪問中に爆殺された。だが彼は「最後」ではなく、すぐに新たな「ジェロニモ」が登場することだろう(付言すれば、ジェロニモは生きて「捕獲」され、アメリカ市民の好奇の目の餌になるべく写真を撮られたり、「あのインディアン」として見世物になるために各地を巡業させられた果てに衰弱して亡くなった。1886年投降、1906年没。)

※この項はキリスト教ヨーロッパと反ユダヤ主義、その中東への輸出という項を加えないと十全な展開にはならないが、すでに長くなっており、それは次回に繰り延べたい。