「虫けらの国」の放棄

 いわゆる和平プロセスは中国、トルコ、インド等を巻き込んで錯綜をきわめるが、最終的にはアメリカとタリバーンとの直接交渉で決まり、そのときガニ政権は蚊帳の外なのだ。「テロとの戦争」では敵を交渉相手と認めないはずだが、その勝手な論理は現実の前に破綻する。西側が何と言ってもタリバーンは(他のイスラーム武装組織と違って)アフガンの地元勢力なのであり、米EU軍が20年掃討し続けても壊滅させられず、逆に勢力を盛り返して結局は米軍を完全撤収に追い込んだ。

 そして2021年8月には、アメリカが最も避けたかっただろう40年ほど前のサイゴン撤収を再現するかのように、米軍はカブールの空港からほうほうのていで引き上げた。タリバーンの復帰を恐れて軍用機に縋りつこうとする「アメリカのよき友」たるアフガン人たちを振り切りながら。

 このとき、アシュラフ・ガニは(アメリカに命じられてかどうか)政府保有の米ドルすべてをトラック数台に積んで国外に逃亡した。タリバーンがカブールに復帰したとき、国庫は空っぽだったということだ。その上、アメリカ(とEU)はアフガニスタンの海外資産を凍結し、「テロリスト政権」に対して厳しい経済制裁を課す。これではタリバーンは統治を回復しようにもそのための資金がない。旧政府関係者や行政経験者にも国家再建への協力を呼びかけたが、アメリカ協力への報復を恐れてはかばかしくない。だがハミド・カルザイはこのとき、アフガニスタン再建のために協力すると表明しカブールに残った。

 その年の冬、国連の難民高等弁務官事務所は、アフガニスタンにおける「史上最悪の人道的危機」の到来を警告した。しかし欧米諸国はアフガニスタン新政権を認めることもなく、経済制裁を解いて人道支援に動く様子はまったく見せなかった。

 アフガニスタンの人びとを野蛮なイスラーム原理主義支配から「解放」し「自由国家」を作るというのがこの「戦争」の「大義」だったはずだが、それはアメリカ国家の世界統治の論理にすぎず、結局のところ西側先進国は現地の住民(アフガニスタンを故地として生きる人びと)のことなどどうでもよかったのである。

 そしてアフガニスタンの人道危機は、翌年2月にヨーロッパの近傍で始まった「ロシアのウクライナ侵攻」を機に叫ばれる「ウクライナの人道危機」の喧騒に紛れてまったく忘れられてしまう。米欧諸国の政府筋だけでなく、その拡声機たる西側メディアは、自分たちを苦い目に合わせた「西アジアの最貧国」のことなどいち早く忘れたいかのように。

「体制転換」政策の破綻

 アメリカ合州国にとってはこの戦争はベトナム戦争をはるかに超える史上最長の戦争になった。この戦争を何と呼ぶのか? ベトナム戦争にならえばアフガン戦争だろうか? つまり米軍がアフガニスタンに遠征して戦った戦争だ。だが「公式」には戦争ではない。相手は「テロリスト集団」だからだ。それを掃討し殲滅することだけがこの「相手のない戦争」の目標だった。それが「テロとの戦争」である。

 だが、当時のアメリカにとっての最重要課題はイラクを叩き、その「体制変換」を実現することだった。だから「大量破壊兵器の違法な保有」という虚偽の理由で2003年3月にはイラクに進攻し(「衝撃と恐怖」作戦)、バグダッドを一挙に叩いてサダム・フセイン体制を崩壊させた。しかしそれは中東のパンドラの箱を乱暴に潰すようなことで、その後イラクは収拾のつかない混乱状態に陥り、アメリカはそれに乗じて石油の権益をイラクから「解放」しただけで、現地住民蔑視の果てにIS(イスラーム国)のような「化け物」集団を生み出してしまった。それがさらに中東全域の混迷を深めた。そんな事情がアフガニスタンにおける「戦争」継続にも跳ね返ってきていたが、その詳細については他の専門書に譲ることとしたい。ここでは、アフガニスタンの20年戦争をまとめることで、現代世界の形成プロセスを確認するにとどめたい。