――ここ最近のAIの発展に伴って、AIが人間の知能を上回るみたいな議論がありますが、それについてはどう思われますか。

 AIは機械の世界、人間は生きものの世界です。超えるわけがないじゃありませんか。

 もちろん、人間にはできないほど大量のデータ処理をしてくれるのは助かりますよ。特に、生きもののことは式で書けませんから、データをたくさん処理して答えを出すより仕方がないところがあります。AIがそれをお手伝いしてくれるのは有難い。でもそれは人間を超えることではないでしょう。

 もしもAIを研究している方が「人間を超える」という言葉を使ったとしたら、その時の人間とはなにかを定義してくださらなければなりません。「人間とはなにか」はわかっていないと思うのです。わかなりものを超えるとは言いません。

 違うカテゴリーのもの同士を比べることを「カテゴリー・ミステイク」といいますね。生きものの場合、アリとライオンを比べてどっちが優れているかといっても仕方がないでしょう? アリの社会生活はなかなかみごとですよ。アリは世界中にいます。地球上でアリがいないところはない。そういう意味でいったら、アリはすごいです。でもライオンは百獣の王で、やっぱりすごい。それでいいじゃないですか。

 同じように、「AIはAIで優れているね。人間は人間で、へんてこだけど、素晴らしいところ、面白いところがあるよね」と言えばいい。このふたつを一緒にして、一方がもう一方を超えるとか超えないとかいうこと自体が間違ってる。

――なるほど。AIと人間を比較すること自体がそもそも間違いなんですね。

 私が今、悩んでいるのは、アンドロイドのことです。私は、アンドロイドの開発はモラトリアムに、いったん止めて考えたいと思っています。決してつくってはいけないかどうかはわかりません。でも、いったん止めるべきだと思います。美空ひばりさんの、ご覧になりました?

――生前の美空ひばりの姿を、AIとホログラムえ再現したもののことですよね。見ました。

 どうお思いになります?

――あまりいい気持ちはしなかったですね。

 私は冒涜(ぼうとく)だと思います。人型のロボットはいいんですよ。OriHimeとかASIMOといった人型のロボットがお手伝いしてくれる。これはさまざまな形で活躍してほしい。でも、アンドロイドはやる意味がない。人間の世界は人間の世界、ロボットの世界はロボットの世界にしましょう。

――この場合のアンドロイドというのは、特定の個人をつくるってことですね。

 そう。そっくりさんを作って、本人と同じようなことをさせる。これはやっぱりどうなんだろうと思います。

 ろう人形ってありますよね。私はあれもあまり好きではないのですが、あれは人間とはまったく違う世界だというのがはっきりしてるから、みんな納得してるんです。だけど、声帯まで調べて同じような声を出させたり、歌を歌わせたりというのは……。アンドロイドの夏目漱石にしゃべらせるのは、漱石さんへの冒瀆だと思います。さっきも言った通り、唯一無二なんです、人間って。そこから考えたら、まったく同じものをつくるという発想は出てこない。

 ただ、これは私の意見です。正しいか正しくないかは、私は決められません。だからいったん止めて、みんなで考えていただきたいんです。このままなし崩しにやっていったら、社会が壊れると思います。

――機械の世界と生きものの世界を混ぜてしまってはいけない、ということですね。

 そう思います。私の言っていることが絶対正しいなどとは申しません。

 私は生きものが大好きで、長い間生きもののことを考えてきました。生きものってへんてこりんで、面倒くさいけど、面白い。だから私は生きものの世界で生きていたいし、この世界に機械の世界のものを混ぜてほしくない。それは私の願いです。みんなもそう考えなさいなんて言うつもりはありません。正しいか正しくないかはわからない。

 この頃はペットのクローンをつくるといった動きも出てきています。人間のクローンは倫理的にNOだけど、ワンちゃんやネコちゃんなら……。そういう願望を持つのはわかります。可愛がっていたペットが死んでしまった。なんとか戻ってきてほしい。それで、もしもクローンがつくれるならと。ただ、恐らくあまりうまくいってないんだと思います。もしもうまくいってたら、もっと広がっているでしょう。先ほども申したように個体は唯一無二にできていいるので、実はクローンをつくってもまったく同じ個体にはなりませんし。

 私自身はそんなことをやるつもりもないし、しないほうがいいとは思いますけど、頭から否定はしません。ただ死というものを考えると、それのもつ大きな意味がありますね。亡くなった人やペットが思い出の中で生きることの意味を奪うのは恐いです。

 最低限、アンドロイドはモラトリアム、いったん止めてみんなで考えませんか、ということだけは、今提言したいですね。

人間だけの能力

――人間は生きものなんだから、生きものとして生きるべきというのはおっしゃる通りだと思います。一方で生きものには「多様性」があり、人間にもやはり人間だけの性質があると思うのですが、それがあるとすれば、どのような点だとお考えですか。

 生きものがへんてこりんだという話は最初にもしましたけど、人間はもうもうへんてこりんの究極ですよね。

 人間には「明日」というものがありますが、他の生きものにはありません。みんな今を生きてるんです。実は私もあまり未来のことを考えない、子どもの頃から大人になったらなにになるかなんて考えたことがないんですが、それはともかく、他の生きものは先のことを考えて思い悩むことはありません。人間以外の生きものは、今を生きることに一生懸命。自分が生きていく、そして子どもに命をつなげることで一生懸命です。

 でも人間は明日や未来を考えたり、お金というものをつくってそれを儲けようとしたり、権力の座につこうと画策したり……、面倒なことをいっぱいしていますよね。こういうのも含めてどう生きるかを考えなければならないので、こんな面倒くさいヤツはいない。でも、そんな人間のことを考えるのが私にとってはある意味楽しいというか、考えることがいっぱいあるな、という気持ちになるんです。

 ――人間だけが「今ここ」から離れることができるわけですね。

 そういう想像力を持っているのが人間だけなんです。「明日」というのは現実にはないわけですけれど、人間はそのないものを考えることができる。

 チンパンジーは人間に一番近いといわれており、本当に賢いですよ。認知能力は人間よりも上です。チンパンジーのアイちゃんと認知能力のテストで競争をしたことがありますが、完璧に負けました。かれらは森の中で果物を見分けなければいけないから、認知能力がとても重要なんです。

 チンパンジーだけじゃなくカラスだって賢いし、生きものはそれぞれみんな賢い。でも、人間だけにできることはなにかといわれたら、やっぱりイマジネーションですね。 

――「今ここ」から離れるイマジネーションの力……たしかにそれは、いくら賢いチンパンジーにもなさそうです。 

 イマジネーションというのは、明日だけじゃなく、他の場所でなにが起きているかということも考えられるわけですよね。

 私たちは今食べる物がちゃんとあるけれど、アフリカの子どもたちはどうなんだろう。アフリカまで行かなくたって、日本にも今、ご飯が食べられない子どもがいる。こうやって、目の前のことだけじゃなく、いろいろなことを考える能力が私たちだけに与えられている。それをフルに生かすのが私たちのやることです。

 私が今の時代に生きてて良かったなと思うのは、世界がイメージできることです。昔はこの山の向こうに誰がいるかわからない、もしかするととんでもないヤツがいるかもしれないからといって戦ったり、まだ誰のものでもない土地があったから、早く行って取ろう、みたいなことがあった。

 私が子どもの頃はまだ、世界地図のアフリカの辺りには白いところがありましたよ。リヴィングストンという人がアフリカを探検をしましたという文が国語の教科書に載っていました。それが今ではGoogleマップを見れば、全部見渡せるわけでしょう? こんな時代に私たちはいるんですよ。

 そこで想像力を働かせれば、アフリカのことだってイラクのことだってインドのことだって、自分のこととして考えられるじゃないですか。それなのに戦争をするなんて、私はないと思う。

 ――精度の高いイマジネーションができるようになったのに、戦争はなくなっていませんね……。 

 生物学は78億人の先祖はひとつだということを明らかにしました。だから戦争は全部きょうだいげんかなんです。きょうだいでも小競り合いとか、あまり生意気なことしたら頭をこつんとやるとか、それくらいのことはありますよ。でも、核兵器を使って殺し合うなんて、それはないでしょう。 

――おっしゃる通りですね。戦争はきょうだいでの殺し合いだといわれると、より馬鹿らしいことに思えてきます。

 人間は他の生きものと共通する部分と、とんでもなく異なる部分を持っている。それを重ね合わせた存在としてどう生きるかを考えるのが私のテーマです。答えは多分ないでしょう。

 でも考えなければいけない。毎日考え続けるしかない。「みなさん、こういうことでございます。ですのでこうなさってください」という本が書けるとは思いません。でも、考え続けることが大事ですよと申し上げることはできるし、考え続けない人が今多すぎませんかと言うことはできます。