冷戦と核兵器

「冷戦」という用語は、20世紀世界におけるメディアの役割に注目させた『世論』で知られる評論家ウォーター・リップマンが著書(『冷戦――合衆国の外交政策研究』)で用いて世界的に広まったものだが、文字どおり「戦火を交えない戦争」という意味である。米ソ対立、あるいは「東西冷戦」とも言われるが、それはアメリカを盟主とする資本主義・自由主義陣営とソ連を盟主とする共産主義・社会主義陣営とが、世界を二分して対峙した対決構図を言う。

 相対する主要国同士が直接に戦火は交えないが、国際関係そのものは軍事的対立状態にあり、世界情勢は戦争の論理で動いているということだ。戦後に作られた国際平和のための国連体制も、当初からこの枠組みの圧力を受けることになった。とくに、双方の影響圏の確保・拡大をめぐって、地域限定の「代理戦争」が起こった。戦後には、それまで植民地支配の下にあった国々が相次いで独立することになるが、旧宗主国は西ヨーロッパ諸国であり、その権益保持も絡んで、しばしば独立闘争は米ソの「代理戦争」の舞台となった。その最大ケースがベトナム戦争だったが、ここでは各地の植民地独立闘争やベトナム戦争の詳細には踏み込まない。

 この時代を規定したのが「冷戦」だったことには二重の理由がある。当然のことだが、第二次大戦以降、戦争の禁止が国際規範になった。だから公然たる武力行使や他国の侵略はできない。ただし、それは額面上の理由である。何より決定的だったのは、核兵器が出現したことである。

 核兵器は総力戦に対応する究極兵器として開発された。一般市民(非戦闘員)による工場での兵器生産にみられるように産業社会を総動員して遂行される戦争に対して、「敵国力」とみなされる大都市を一気に破壊・消滅させる兵器は、アメリカの国家プロジェクトとして開発された(他国も開発を試みたが、戦時中で余力がなかった)。その破壊力はTNT火薬換算で示されるが、広島型は25㏏と言われた。火薬は化学反応としての燃焼エネルギーの凝縮に頼る。しかし原子爆弾は自然界の物質を構成する基礎単位である原子核を、人為的に破壊することで桁違いのエネルギーを「解放」する。そのため、従来兵器に較べて桁違いの破壊力をもつものだっだ。

 この技術は、それまで自然と見なされていた諸現象の基本単位である原子を破壊するもので、言ってみれば、人間の環界である自然の底板を踏み破るようなものだった。しかし、自然の枠を踏み破って異次元のエネルギーを放出させることはできても、それによって始まる原子核の崩壊を制御することはできなかった。ウラン原子の破壊によって始まる放射性崩壊は、それが「自然」に安定するまで止まらない。これはいわば、自然の結界を壊しながら、あとは自然に委ねるほかない、結果に責任を取らない科学技術である。

 その責任の喪失は、開発計画に加わったあらゆる科学者・技術者にも通じる。この巨大計画に関わった者は、そのプロジェクトの部分担当者ではあっても、全体を視野に入れていた者はごくわずかだった。もはや科学技術に携わる者は、自分が何をしているのかが分からない、そんな事業だったのだ(これ以降、あらゆる先端技術分野での技術者の仕事はそうなる)。

 ナチス・ドイツの先行を恐れて米政府に原爆開発を提言したアインシュタインも、開発計画を主導したロバート・オッペンハイマーも、完成した原爆の実験結果をみて(知って)、ただちに使用の停止を米政府に訴えたが、後の祭りだった。

 ヤルタ会談の席上で実験成功の秘密報告を受けたトルーマン米大統領は、すでに敵対するのが分かっていたソ連にその成果を誇示するために、日本への原爆投下を必要とみなしていたようだ。ソ連に対する「抑止効果」を狙ったのである。この爆弾を使った戦争は、未曾有の「人間の廃墟」を作り出す。相手がそれを保持していることが分かっている限り、敵対はできないだろうというわけだ。

 「使い途のない否定性」

 産業化時代の総力戦は、人的にも物的にも戦争の広がりと強度を最大化した。その総力戦に見合うかたちで、敵の戦闘能力をその生活基盤そのものから無化する兵器として核兵器は開発された。一方だけが持つのなら、それは敵を屈服させる最強の兵器になる。しかし科学技術は専有できず必ず拡散し、次の戦争では双方が核兵器を抱えて対峙することになる。そうなったら双方の破滅である。

 もう一度、クラウゼヴィッツの見解に戻るなら、「戦争とは別の手段をもってする政治の延長」で、結局は政治目的実現のためのある種の手段とされていた。だが、クラウゼヴィッツはこうも言っていた。戦争にはそれに内在する独自の傾向があり、それは双方の破壊力の競り上げで、その競り上げが嵩じて政治目的が吹き飛んでしまうことがある。それを彼は、戦争に内在する相互破壊の論理が露出する「純粋戦争」と呼んだ。

 だが、クラウゼヴィッツは、「現実の戦争」はそうはならず、基本的には政治の論理に収まると考えていた。じつは「総力戦」がすでに倒錯的な、政治(国家・国民の維持統治)の戦争への没入だったのだが、総力戦に対応する核兵器の開発は、「没政治」を超えて人間の生存そのものを危機に陥れる事態だったと言える。

 核兵器は戦争そのものの論理が求めた兵器ではあるが、現実的にも(損得勘定でも、あるいは合理的に考えても)、道徳的にも(殺戮を超えて生存を破壊する殲滅手段だから)「使えない」兵器である。それは科学的であれ何であれ「理性」が生み出したものだが、その域を超えて「狂気」と戯れる産物になっている。だからその使用ばかりか存在(所有)そのものが、粉飾なしには正当化できなくなっているのだ。

 ヘーゲルは、理性があまねく世界を照らし出して闇を把握しうる実在に転化し、世界を「人間的」なものにするプロセスを「理性(精神)の自己実現」として語った。そのとき「理性」は闇の中の「否定性」として現れ、周囲の自然を「否定」して人間の世界へと転化する。それは言いかえれば、アドルノ=ホルクハイマーが語った「啓蒙」のプロセスでもある(『啓蒙の弁証法』)。けれども、全世界が理性の光によって照らし出された(解明され、文明化された)としても、それで「光」は務めを終えて昇華され中性化されたわけではなかった。それはもはや「役に立たない否定性」として、政治を脱ぎ去った「目を焼きつぶす灼熱の光」として虚空に剥き出しの姿をさらし出す。

 それを「光の文明(西洋文明)の成就」と言ってもよいだろう。アラモゴードの実験場でロバート・オッペンハイマーに、古代インドのバガバット・ギータ(編注:ヒンドゥー教の聖典の一つ)の一節、世界を破滅させる灼熱の火の玉の件を想起させた最初の原爆は、その未聞の光輝で、自然の結界を破って人間の生存を無制約の領野に投げ込んだのである。

 ジョルジュ・バタイユはヘーゲルの論理を借りて、この戦争の力を「使い途のない否定性」(『有罪者』)と語った。「否定性」とは他の一切を「否定」して合理的現実と化し、意識を絶対知へと導く理性の力だったが、核兵器とはもはやいかなるものも生み出さない文字どおり「使い途のない否定性」なのである。

 だが、その「理性」の底板を踏み抜く兵器は実際に使用され、「戦争を終結に導いたもの」として正当化された。そしてトルーマン米大統領は、「文明の勝利」を画するものとして称賛したのである。たしかに、広島・長崎の廃墟の出現の後で、もはや戦争はできないだろう。だがそれは、文明が野蛮に勝利したということではなく、もはや文明の名の下に戦争はできない、ということである。他ならぬ「文明」が無制約の「野蛮」を生み出したのだから。

 それ以後、核技術は人類とその文明に資するものとして示されねばならない。だからただちに潜水艦用の動力源として活用する技術が開発される。そして「民生用」の原子力発電の技術として転用される。しかし、発電だろうが何だろうが、これが自然の結界を踏み抜く人間がコントロールできない技術であることに変わりはない。にもかかわらず、それをもうひとつの戦争技術であるプロパガンダ、いわゆるPRによって無理やり正当化して普及させる。さらにはそれを、経済成長に欠かせないエネルギー源として産業システムの中に組み込んでゆく。その洪水のようなPRによる推進が冷戦の期間中続くことになる。

抑止力

 米ソの核開発競争が加速し、かつそれを敵地に送り届ける大陸間弾道弾の開発競争も重なり、その勢いで宇宙開発も進んだ。宇宙開発は、人類の夢を担うものとも謳われたが、その推進力は科学技術による新たな次元「征服」の衝動だと言っていいだろう。

 この核対峙・冷戦の緊張が頂点に達したのは1962年の「キューバ危機」だった。それまでの親米軍事政権を倒して革命を達成したカストロ率いるキューバは、当初から共産主義を掲げていたわけではないが、前政権と経済的結びつきの強かったアメリカは、カストロの新政権を冷遇というより敵視し、苦境に立ったキューバはソ連の支援を受けることになる。そのとき、トルコやイタリア(NATO諸国)への米の核配備を嫌ったソ連はこれを好機ととらえ、秘密裡にキューバに核ミサイルを搬入した。これを察知したケネディ米大統領は、ソ連のフルシチョフ首相と直談判、結局、トルコ(トルコは朝鮮戦争への貢献が認められNATOに加盟していた)のミサイル撤去と引き換えにキューバのミサイルを撤去させた。しかしこの時、約一週間、世界は核戦争の現実性のなかに投げ込まれた。この危機は辛くも回避されたが、却って核配備競争は嵩じ、50メガトン級の核実験が繰り返され、宇宙開発競争も激化した。

 けれども、アメリカはベトナム戦争で経済・社会的に疲弊し、回復に時間がかかり、一方ソ連も経済社会の長期低迷期に入り、アフガン介入の失敗もあって、この軍事負担は過度の重荷になり、やがて冷戦は終結することになる。

 ところで、「核抑止」の論理とはどのようなものだったのか。その極みは「相互確証破壊(MAD)」として定式化されている。1965年に当時の米国防長官ロバート・マクナマラが打ち出したものだ。核兵器を構えて対峙する二国間で、一方が先制的に核攻撃を行った場合、相手国は破壊を免れた核戦力によって十分な報復攻撃ができる、そのような態勢を整えておけば、先制攻撃を行った国も甚大な被害を蒙ることになるため、相互確証破壊が成立した二国間では理論上(合理的に考えて)核戦争は起こらない、という想定だ。

 マクナマラは、第二次大戦中、砲弾の効率計算で日本空襲の設計に関わった人物であり、その功績から戦後フォード自動車の経営立て直しのために社長となり、ケネディ政権で国防相に抜擢されて、ベトナム戦争中は、ベトコン一人殺害するのにいくらかかるかという「キル・レーション」の発想から効率的な戦争を企画した、経済効率追求のプロである。彼はその後、やがて新自由主義経済を取り仕切る世界銀行の総裁になる。その彼が、「合理的」に想定したのが上記の相互確証破壊均衡だ。これは英語では Mutual asured destruction と言う。その略称はMADだ。合理性の極みは狂気に他ならない、ということを合理性の権化が告白(公言)している。

 『博士の異常な愛情、または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか』というスタンリー・キューブリックの卓抜な映画がある(1964年)。社会のエリート数千人が何十年か生き残れるシェルターを用意して、ナチの流れを汲むストレインジラブ博士はもはや水爆戦争を恐れる必要はない。二大国の首脳たちが自身の私生活とないまぜになった国の命運に慌てふためくのをよそに、NATO軍司令部では戦争狂の将軍とまともな副官とがせめぎ合い、核弾頭搭載機(B52)の機長は理不尽な指令を軍人らしく忠実に実行しようとして迷うが、最後の中止命令は間に合わず、落ちない弾頭を手動で落とそうとあがいたあげく、とうとう核弾頭にまたがったまま「また会う日まで」の響くスクリーンの中を、地上に向かって落下してゆく。MADの世界を笑えない、それでも笑わずにいられない爆笑コメディーに仕立てている。