アテネから東に100キロほどのところにあるオシオス・ルカス修道院は克肖者(=聖人に付される称号)ルカスによって10世紀前半に創設されました。この地を訪れた巡礼者たちの寄進を基に11世紀前半に建立されたのが、中期ビザンティン聖堂を代表する中央聖堂です。
本聖堂内の空間は重要度により3つのランクに分けられ、それぞれの場にはそのランクにふさわしいテーマが設定されているように思われます。前回、取り上げた第1ランクにあたる主円蓋、アプス(後陣)、プレスビテリウム(内陣)では、キリスト教会における最重要概念である「三位一体」が可視化されていました(第17回コラム)。そこで今回は、第2ランクのスキンチ(主円蓋と正方形土台の間のスペース)[図1 オレンジ色の部分]における装飾を見ていくことにしましょう。
祭壇側左スキンチ
祭壇側左スキンチの装飾は完全に消失してしまっていますが、アテネ近郊のダフニ修道院中央聖堂では、同じ区画に《受胎告知》[図2]が表されていることから、本聖堂でも同主題のモザイクが施されていたと思われます。ここではダフニ修道院の作品をもとに、その主題の内容と図像について考察してみましょう。
「受胎告知」は『ルカによる福音書』(1:26-38)に記されています。神の遣いとしてナザレに住むマリアのもとに現れた大天使ガブリエルは、次のように挨拶をします。「おめでとう、恵まれた方、主があなたと共におられる」。この言葉にマリアは戸惑い、挨拶の意味を考えようとします。するとガブリエルは、「マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい」と告げます。
これに対してマリアは、自分は処女なのでそのようなことはありえないと反論します。そこでガブリエルが「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる」と説明すると、マリアは「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように」とお告げを受け入れるのです。
このように大天使の言葉に対するマリアの反応が、「戸惑い」から「反論」、「従順」へと変化するので、そのなかのどの段階を視覚化するかによって、「受胎告知」の図像は変わってきます。11世紀の東ローマ帝国では、ダフニ修道院で見られるように、マリアは右手を胸のあたりに置き、少々、身を引くようなポーズで「戸惑い」を示す姿で表されるのが一般的だったようです。マリアがひざまずき、胸の前で手を合わせて「従順」を表す図像は、ジョットがパドヴァのスクロヴェーニ礼拝堂凱旋アーチに描いた壁画[図3]以降、広まっていく新しい表現です。
またルネサンス期の「受胎告知」をテーマにした作品では、マリアの処女性の象徴として白百合がしばしば添えられていますが、福音書自体にはこの花に関する記述はなく、ダフニ修道院のモザイク[図2]でも見られません。白百合を「受胎告知」の場面に表すようになるのはおそらく13世紀からで、その初期の作例のひとつとして、ローマのサンタ・マリア・イン・トラステーヴェレ聖堂のモザイク[図4]が挙げられるでしょう。
ジョットの《受胎告知》[図3]が「従順」を表していることからもわかるように、1300年前後から中世の伝統的な図像にアレンジを加えることがある程度、認められるようになったのです。
祭壇側右スキンチ
祭壇側の右スキンチには、《キリストの降誕》[図5]が表されています。中世における聖堂装飾は、聖書を読むことができない庶民たちにその内容を正確に伝えることを主目的としていたため、聖書の記述を忠実に視覚化することが基本でした。しかしながら「キリストの降誕」は、福音書には簡潔にしか語られていないため、早い時期から外典(聖書正典から外された書)も参考にして図像が構成されたのです。
本聖堂のモザイクでは、洞窟が舞台になっていますが、これは『ヤコブ原福音書』(2世紀)に初めて登場します。そこではマリアがベツレヘムの洞窟で産気づいた時、ヨセフが産婆を連れて戻ってくる様子が記されています。その際に洞窟内部は雲で覆われていましたが、一瞬にしてそれが消え失せると、ある場所から強烈な光が放たれ、その輝きが弱まるとそこにイエスが誕生していたというのです。本モザイクでは天の星から洞窟内のイエスに向けて光線が降っていますが、それはこの外典の記述に加えて、天の神と地上のイエスの両者が聖霊によって結びつけられていることを強調しているように見えます。
また幼児は『ルカによる福音書』(2:7)に記されている通り、布に包まれて飼い葉桶に寝かされていますが、その傍らには牛とロバが置かれています。これは『偽マタイ福音書』(7-8世紀)に、降誕の3日後に聖家族が洞窟から家畜小屋に移った際、牡牛とロバがイエスを崇めたとあるからです。
画面右側には、『ルカによる福音書』(2:8-16)に記されている「羊飼いへのお告げ」[図6]が表されています。ベツレヘム周辺で夜通し羊の番をしていた者たちに対して、天使は次のように告げます。「今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそメシアである。あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう」。本モザイクでは、天使はそのまま向きを変えて、羊飼いたちにイエスを指し示しています。
一方、画面左側には、『マタイによる福音書』(2:1-11)に記されている「東方博士の礼拝」[図7]が表されています。東方の占星術者たちは未来のユダヤ王の誕生を祝うために、最初、エルサレムのヘロデ王を訪れます。すると律法学者たちが、メシアはベツレヘムで生まれることになっていると答えたので、そこに向かうことにしました。彼らをイエスのところへ導いたのは星だったので、ここでも2人の学者たちは天を見上げています。
中央の「降誕」の左右に「羊飼いへのお告げ」と「東方博士の礼拝」を加えているのは、イエスが「神の子」であるばかりでなく、「メシア(救い主)」でもあることを示したかったからでしょう。
入口側右スキンチ
『ルカによる福音書』(2:22-38)には、「キリストの降誕」、「羊飼いの礼拝」に続いて、ヨセフとマリアがイエスを神に献げるためにエルサレムの神殿にやってくるエピソードが記されています。この《神殿奉献》[図8]は入口側の右スキンチに表されています。
エルサレムに住む信仰心の篤いシメオンという男は、神が遣わすメシアに会うまでは死ぬことができないというお告げを聖霊から受けていました。そして彼が聖霊に導かれて神殿に入った時、イエスの姿を見て次のように言いました。「主よ、今こそあなたは、お言葉どおり、この僕(しもべ)を安らかに去らせてくださいます」。つまりシメオンは、イエスこそが待ち望まれていたメシアであることを証言しているのです。そしてこの様子を見ていた女預言者アンナは、メシアの誕生をエルサレムの人々に伝えたということです。
本聖堂のモザイクでは、ユダヤの神殿というよりも、キリスト教会の祭壇とチボリウム(天蓋)が中央に再現されているように見えます。そしてその前で、シメオンがマリアからイエスを両腕で受け取ろうとしています。右側ではヨセフが神へ献げるつがいの鳩を抱え、左側には女預言者アンナがシメオンやイエスの様子を熱心に見ています。
入口側左スキンチ
ここまでの3つのスキンチでは、イエスの誕生前後のエピソードが表されていましたが、入口側左スキンチには、いきなり青年になったイエスが登場する《キリストの洗礼》[図9]が配されています。
「幼児キリスト伝」というテーマで統一しようとするならば、『マタイによる福音書』に記された「エジプト逃避」(2:13-15)や「嬰児虐殺」(2:16-18)、あるいは「神殿奉献」に続くエピソードということであれば、「ナザレへの帰還」(ルカ2:29-40)もしくは「神殿における博士たちとの議論」(2:41-50)ということになるでしょう。それではどうして「キリストの洗礼」が取り上げられることになったのでしょうか。
実はイエスの降誕前後のエピソードは4人の福音書記者(マタイ・マルコ・ルカ・ヨハネ)の内、マタイとルカしか言及していませんし、それも最初の2章までのみです。どちらの福音書も3章になると、いきなり洗礼者ヨハネが民衆に説教する話になります。その時期は『ルカによる福音書』には「皇帝ティベリウスの治世の第十五年」とあります。ティベリウス帝は14年にローマ皇帝となるので、この記述が正しいとすれば紀元28年ということになります。ですから、「神殿奉献」から「キリストの洗礼」までには30年前後の時間が経過しているのですが、『ルカによる福音書』では2章の終わりから3章といった具合に、両主題の間に大きな隔たりがあるわけではありません。つまり福音書にはイエスの幼少期や少年時代のエピソードは全くと言っていいほど記されていないのです。
画面中央では全裸のイエスが肩までヨルダン川に浸かっており、洗礼者ヨハネから水をかけてもらっています。その頭上には祝福のしぐさをした手と白い鳩が表されています。『マタイによる福音書』(3:16-17)には、イエスがヨルダン川で洗礼を授かった後、水から上がってくると、天が開いて神の霊が鳩のように自分に降って来るのを見たとあります。そして天から、「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声が聞こえたということです。本モザイクでは、天の神は右手で、聖霊は鳩で象徴され、それが一直線上に置かれることで、「三位一体」を明示しようとしているのです。
主題選択の意図
以上の4つの主題が主円蓋の周辺に配されているのは[図10]、単にマタイとルカによる福音書の1~3章に記されているエピソードを、記述順に従って表したということではありません。天からの聖霊によって神の子を生むことが告げられる「受胎告知」、その預言がベツレヘムで実現する「キリストの降誕」、そしてヨルダン川で洗礼を授かったイエスに聖霊が鳩のように降り、神が自らイエスを自身の子であると認める「キリストの洗礼」は、いずれも「三位一体」の概念と密接に結びつくエピソードです。
一方、「神殿奉献」はイエスこそがメシアであることを示す主題です。メシアの到来をあらかじめ述べ伝えていた預言者たちは、《パントクラトールのキリスト》が描かれた主円蓋の下の明り窓の層に配されています。それはスキンチのすぐ上方に位置します。
東ローマ帝国では本聖堂のようにスキンチ式プランやギリシア十字型プランが一般的ですが、そこでは側壁に十分なスペースがないため、福音書の記述を時系列に則して多くの場面を連続的に展開していくことは困難です。そこで第1ランクに相応する3つの空間(主円蓋、アプス、プレスビテリウム)で展開している「三位一体」、および「イエス=メシア」という概念と密接に関連する主題を4つ選択し、それらをスキンチで展開していると考えられます[図11]。したがって建築構造同様、主題の上でも第2ランクは第1ランクをサポートしていると言えるでしょう。
オシオス・ルカス修道院の中央聖堂では、本堂手前のナルテクス(玄関間)にイエスの「受難」と「復活」をテーマにしたモザイクが施されているのですが、これらについては次回、検討していくことにしましょう。