オシオス・ルカス修道院には、アテネ近郊のダフニ修道院やヒオス島のネア・モニ修道院と共に、中世の東ローマ帝国を代表する聖堂と装飾が残っています。そのうち今回は、中央聖堂[図1]の最も重要な空間に施されている装飾を中心に見ていくことにしましょう。

[図1]オシオス・ルカス修道院 中央聖堂の外観

聖堂空間におけるヒエラルキー

 本堂は中期ビザンティン聖堂でよく見られるスキンチ式プラン(前回コラム参照)で建てられています。そこではナルテクス(玄関間)から本堂に入ると、視線はまず大きな円蓋(メイン・ドーム)へと向けられます[図2]

[図2]オシオス・ルカス修道院 中央聖堂の内観

 この床から天井への垂直軸が、堂内空間のヒエラルキー(階級)を決定しています。つまり堂内で最も高いところにある主円蓋が最重要空間であり、それを四方で支えているスキンチ、そしてその下層部と、床に近くなればなるほどランクが低くなっていくのです。その一方で、ラテン十字式プランの聖堂と同様に、入口から祭壇へ向けての水平軸も関係しており、聖堂の奥の方がより上位となります。

 この原則に基づくと、中期ビザンティン聖堂内の空間は3つのランクに分けることができます。第1ランクは最上層部の大円蓋[図3,Ⅰa]、最深部のアプス(後陣)[図3,Ⅰb]、そして主祭壇周辺のプレスビテリウム(内陣)[図3,Ⅰc]になります。続く第2ランクに属するのは、大円蓋とその土台の隙間にできる空間[図3,Ⅱ]、すなわちスキンチであり、第3ランクは下層の天井[図3,Ⅲ]や側壁、そしてナルテクスとなります。

[図3]中央聖堂内部における3つのランク

 ビザンティン美術の権威であるオットー・デームス(1948年)によると、聖堂のどこに何が表されるのかといった装飾プログラムは、上記のヒエラルキーに応じて、ある程度、決められているということです。

 今回は最も重要とされる第1ランクの空間の装飾に込められた意味を見ていくことにしましょう。

主円蓋の装飾

 本堂に足を踏み入れた来訪者の目を最初に引きつけるのは、直径9メートル程の大円蓋でしょう。そこには壮麗なモザイクが施されていたのですが、残念なことに1593年の地震によってすべて崩落してしまい、現在はその後に描かれた壁画[図4]のみが残っています。その図像は、かつてモザイクで表されていたものを基本的には再現していると考えられています。

[図4]《パントクラトールのキリスト》 中央聖堂の大円蓋 1593年以後

 円蓋中央には巨大な半身像のイエス・キリストがメダイヨン内に表され、左手に聖書を抱え、右手は祝福のポーズを取っています。これは昇天したイエスが天の中心において神と一体化した「パントクラトール(万物の創造主)のキリスト」と呼ばれる図像です。メダイヨンの周囲には、両手を挙げて祈る聖母マリアと5人の天使たちが放射状に並べられていますが、それはここが神に最も近い場であることを示しています。下方の明り窓の層には旧約聖書に登場する16人の預言者が全身立像で描かれていますが、彼らは救世主(メシア)の到来や、罪の悔い改めを伝えているのです。

 アテネ近郊のダフニ修道院中央聖堂では、現在でも建立時(11世紀末)のモザイク装飾がかなり良い状態で残っています。大円蓋には光輝く金地背景に、威厳溢れる巨大なパントクラトールのキリスト像[図5]が表されていますが、おそらくオシオス・ルカス修道院においても当初はこのようなモザイクが聖堂を訪れる者たちを圧倒していたに違いありません。

[図5]《パントクラトールのキリスト》 ダフニ修道院中央聖堂の大円蓋 11世紀末

 紀元1000年を迎えた後のキリスト教徒は、天のイエス・キリストが近々、地上に再臨し、「最後の審判」を行うのではないかという不安と期待が入り混じった気持ちで日々、過ごしていたと思われます。そうした信徒たちに対して、この大きな目を見開いて厳しい表情をした「パントクラトールのキリスト」は、彼らのあらゆる行いを監視しているようです。その鋭い眼差しに見つめられた修道士や信徒たちは、キリストによって選ばれて天国に入るために、清く正しく生きていこうと思ったに違いありません。

 アプスの装飾

 聖堂の最も奥に位置するアプスにおいて、上層部の湾曲した壁面はコンチと呼ばれています。そこには聖母マリアが荘厳な玉座に腰かけ、その膝に座す幼児イエスは右手の親指と薬指を合わせる祝福のポーズをとっています[図6]

[図6]《玉座の聖母子》 中央聖堂のアプス 11世紀前半

 このような正面性の強い「玉座の聖母子」の図像は、東ローマ帝国では本聖堂同様、アプスのコンチに表されることが多く、例えばポレッチのエウフラシウス聖堂(560年頃)や首都コンスタンティノポリスのハギア・ソフィア大聖堂(867年)のアプスでも見ることができます(第16回コラム 図6, 7)。

 ここではイエスはあくまで聖母マリアの息子として表されており、円蓋に大きく描かれた有髭(ゆうぜん)の半身像のイエス[図4]とはまったく異なります。というのも、「パントクラトールのキリスト」は天上で神と一体化したイエスであるのに対して、「玉座の聖母子」の幼子は人の子としての姿だからです。

 イエスが神なのか、それとも人なのかといった議論は、ローマ帝国においてキリスト教信仰が許されるようになった313年のミラノ勅令以降、盛んに行われ、451年のカルケドン公会議でイエスの両性がキリスト教会の正式な考えとして承認されます。本聖堂では、大円蓋の「パントクラトールのキリスト」とアプスの「幼子キリスト」によって、イエス・キリストの両性を可視化しているのです。

 それでは第1ランクのもうひとつの空間であるプレスビテリウムには、どのような主題が表されているのでしょうか。

プレスビテリウムの装飾

 円蓋の中心には、聖霊の象徴である白い鳩が玉座にとまり、そこから使徒たちのもとに「炎のような舌」が下る様子が表されています[図7]。聖霊に満たされた彼らはそれまで話すことがなかった他の国々の言語を突然、話し始めました(『使徒言行録』2:1-4)。

[図7]《聖霊降臨》 中央聖堂のプレスビテリウム 11世紀前半

 「聖霊降臨」と呼ばれるこの出来事の10日前、イエスは弟子たちの目の前で昇天したのですが、その直前に彼らに次のように予言しています。「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そしてエルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリヤの全土で、また地の果てに至るまで、わたしの証人となる」(1:8)。

 そのためペテロは、彼らが様々な言語で話す様子に驚いている大勢のユダヤ教徒たちに対して、イエスこそが神から遣わされたメシアであると証言するのです。そして自身の罪を悔い改め、イエス・キリストの名によって洗礼を受ければ、各々の罪は赦され、誰もが聖霊を受けることができると語りました。このペテロの言葉に群衆は心を打たれ、その日のうちに3000人ほどが洗礼を受けました(2:41)。彼によると聖霊は天の神のもとから地上の人間に向けて授けられる神の「賜物」ということです。

 最重要空間の装飾の意味

 本来、ユダヤ・キリスト教の神は人間には見ることができない超越的で唯一絶対なる存在ですが、それと同時に3つの位格(ペルソナ)を持っていると考えられています。すなわち、天の中心にいる「父なる神」、そして人の肉体を与えられて地上に存在していた「子なる神」であるイエス・キリスト、さらに天からの神の意志を示す「聖霊」です。本質的には唯一の存在だが、実際には3つの位格を備えているという「三位一体」と呼ばれるこの概念は、325年の「ニカイア信条」以来、キリスト教会において最も重要で基本的な考えであり続けています。

 本聖堂では、パントクラトールのキリスト像で「父なる神」を、聖母に抱かれた幼児キリスト像で「子なる神」を表しているため、装飾の構成者は大円蓋を天界、アプスのコンチを地上界に見立てているように思われます。そうであるならば、両空間に挟まれたプレスビテリウムの小円蓋は、天と地をつなぐ「聖霊」が支配する領域ということになるでしょう[図8]

[図8]可視化された「三位一体」

 したがって本聖堂の第1ランクにあたる3つの空間の装飾は、難解な「三位一体」という概念を、聖堂を訪れる者にできるだけわかりやすく伝えようとしたものなのです。

 

 次回は第2ランクにあたるスキンチの装飾を見ていくことにします。