これまで2回に渡って、サン・ヴィターレ聖堂のモザイク装飾を見てきましたが、今回は主祭壇に最も近い場所、プレスビテリウム(内陣)側壁の最下層部[図1 赤線枠内]を見ていきたいと思います。

[図1]プレスビテリウムとアプスの装飾 547年頃 サン・ヴィターレ聖堂

 右側壁の装飾

 ルネッタと呼ばれる半円形の壁面には、旧約聖書の『創世記』に記されたエピソードが表されていますが、まずは右側の壁面[図2]に注目してみましょう。

[図2]プレスビテリウム右側壁下層部の装飾 サン・ヴィターレ聖堂

 緑の大地に質素な小屋と、それとは対照的な荘厳な神殿が置かれ、青い空にはいくつもの雲が浮かんでいます。そのため一見すると、古代絵画のように現実世界が写実的に再現されているように見えますが、よく見ると大地と空の境界はあいまいで、建築モティーフは記号のように平面的に表されています。さらに中央の祭壇では、奥に向かうごとに広がる逆遠近法が採用されており、アプス下層部の《皇帝ユスティニアヌスと側近たち》(第14回  図2)に通じる中世的な表現になっています。

 巨大な祭壇の上には、ワインの入った杯とふたつのパンが置かれ、左側のアベルは羊を、右側のメルキセデクはパンを掲げ、それらに対して雲間から現れた手(神の象徴)が祝福を与えています。このモザイクはひとつの場面を表現しているように見えますが、実際には画面左側は「アベルの献げ物」、右側は「メルキセデクの祝福」といった、後述するふたつの異なる主題によって構成されているのです。

「アベルの献げ物」

 神との契約を破り、知識の木の実を食べてしまったアダムとエヴァは楽園から追放され、ふたりの息子をもうけました。長男カインは農耕者、次男アベルは羊飼いとなり、ある日、彼らは神に対してそれぞれ「土の実り」と「肥えた初子(ういご)」を献げることにしました。すると神は「アベルとその献げ物に目を留められたが、カインとその献げ物には目を留められなかった」のです[図3]。そのため、カインは嫉妬心から弟を殺害してしまいました(『創世記』 4:1-8)。

[図3]図2の細部

 このエピソードはモンレアーレ大聖堂のモザイク[図4]のように、祭壇を挟んで左側にアベル、右側にカインを配し、神はアベルのみを祝福するように表されるのが一般的です。

[図4]《カインとアベルの献げ物》 12世紀後半 モンレアーレ大聖堂

 ですがここでは祭壇の右側には、カインの代わりにメルキセデクが置かれ、別のエピソードである「メルキセデクの祝福」が表されています。

 聖書学では、新約聖書と旧約聖書の主題を関連付けることを「タイポロジー(予型)」と呼んでいますが、羊飼いアベルの死は「キリストの磔刑」のタイポロジーと考えられています。というのもガッラ・プラチーディア廟堂の装飾で見られるように、イエスは自身のことを「羊飼い」にたとえているからです(参考:第10回コラム)。また洗礼者ヨハネがイエスのことを「世の罪を取り除く神の小羊」(『ヨハネによる福音書』1:29)と形容していることから、アベルによって献げられた羊は「贖い主キリスト」の象徴なのです(参考:第13回コラム)。

 「メルキセデクの祝福」

 イスラエル人とアラブ人のどちらもの父祖とされるアブラハムが、まだアブラムと名乗っていた時、エラム(現在のイランの南西部)王ケドルラオメルの同盟軍は、ソドムとゴモラを征圧し、その都市の住民の財産と食料を掠奪しました。その際、ソドムに住んでいたアブラムの甥ロトは、捕虜として連れ去られたのです。そこでアブラムは318人の兵を率いてケドルラオメル王を撃破し、ロトとソドムの人々の財産すべてを取り戻すことに成功します。サレム(後のエルサレム)の王であり祭司でもあったメルキセデクはパンとワインでアブラムを祝福し、次のように言いました。「天地の造り主、いと高き神にアブラムは祝福されますように。敵をあなたの手に渡されたいと高き神がたたえられますように」(『創世記』 14:1-20)。

 サン・ヴィターレ聖堂のモザイクでは、祝福を受けるアブラムは表されず、パンを神に献げるメルキセデクのみが登場しています[図5]

[図5]図2の細部

 祭壇に置かれたパンとワインは、キリスト教の司祭による「聖餐」(参考:第14回コラム)を強く想起させます。実際に本聖堂では、このモザイクのすぐ近くに設けられた主祭壇において、日々、「聖餐」が行われていました。祭壇の右側にカインではなくメルキセデクを配した理由は、信徒たちにこの秘跡(サクラメント)の意義を再認識させるためであったように思われます。

左側壁の装飾

 さて次にプレスビテリウムの左側壁下層部[図6]に目を向けてみましょう。

[図6]プレスビテリウム左側壁下層部の装飾 サン・ヴィターレ聖堂

  半円形の壁面のほぼ全てが緑系の色彩で覆われ、大地と空の境界は不明瞭です。反対側壁面の左端に表されていたあばら家はここでも同じ位置で繰り返され、中央には向かい側の祭壇と対応するように、パンがのせられた木製のテーブルが置かれています。画面上には7人の人物が登場していますが、いずれも前景に横並びで配されているため、空間上の広がりはあまり感じられません。

 ここでも2つの異なる場面が一画面中に表されていますが、今度は同一人物に関するエピソードです。メルキセデクから祝福を授かったアブラムが99歳になった時、神からアブラハムと名乗るように命じられます。このモザイクでは左側に「アブラハムへの告知」、そして右側には「イサクの犠牲」が表されています。

「アブラハムへの告知」

 ある暑い昼間、アブラハムが天幕の前で座っていると3人の人物が現れたので、彼はパンと子牛の料理で彼らを歓迎します。するとそのうちのひとりが妻サラに男の子ができると告げるのです[図7]

[図7]図6の細部

  アブラハムとサラは結婚生活が長かったのですが、子宝に恵まれませんでした。年老いたサラはこの言葉を信じることができず笑ってしまいます。するとその人はアブラハムに対して次のように言いました。「なぜサラは笑ったのか。なぜ年をとった自分に子供が生まれるはずがないと思ったのだ。主に不可能なことがあろうか。来年の今ごろ、私はここに戻ってくる。そのころ、サラには必ず男の子が生まれている」(『創世記』 18:13-14)。

 天使として表された3人の人物の手前にはパンが置かれ、彼らのもとにアブラハムは子牛の料理を届ける一方で、サラは家の前で笑っています。この主題は3人の人物が唯一なる神の3つの位格の象徴として捉えられ、「三位一体」を表すと考えられています。ですがこのモザイクでは、テーブルの上に目立つように置かれているパンが「聖体」の象徴で、向かい側の「メルキセデクの祝福」と同様、「聖餐」との関連性で表されているように思われます。

「イサクの犠牲」

 告知されていた通りにサラは男の子を生み、イサクと名付けられました。その数年後、神はアブラハムに命じます。「あなたの息子、あなたの愛する独り子イサクを連れて、モリヤの地に行きなさい。わたしが命じる山の一つに登り、彼を焼き尽くす献げ物としてささげなさい」(『創世記 22:2』。

 この時のアブラハムの心情について聖書はまったく言及していませんが、愛するひとり息子を献げるように命じられた彼は激しく動揺し、苦しんだのではないかと思われます。ともあれアブラハムは神の指示通りに祭壇上に薪を置き、イサクをそこに載せて刃物で殺そうとしました。その時、天使がアブラハムにこう呼びかけます。「その子に手を下すな。何もしてはならない。あなたが神を畏れる者であることが、今、分かったからだ。あなたは、自分の独り子である息子すら、わたしにささげることを惜しまなかった」(『創世記』 22:12)。そこでアブラハムは近くの茂みに角が引っ掛かっていた雄羊を捕らえ、イサクの代わりに「焼き尽くす献げ物」として神に献上しました。

 本聖堂のモザイク[図8]では、イサクの頭を押さえつけながら剣を振り下ろそうとするアブラハムに対して、雲間から出現した神の手がその行為を直ちにやめるように命じています。アブラハムの足元には、すでに木の茂みから取り出された雄羊が準備され、イサクを見つめています。

[図8]図6の細部

  この主題はイサクのために何の罪もない羊が神に献げられるということから、罪を重ねる人々に代わって犠牲となった「キリストの磔刑」のタイポロジーと考えられています。この点において、本モザイクは対面の壁に表されている「アベルの献げ物」と共通しているのです。

聖書のタイポロジーに基づいた装飾プログラム

 こうして見てくると、プレスビテリウムの天井と側壁下層部は聖書のタイポロジーに基づいて空間デザインが行われていることがわかります。

 天井のモザイクは第13回のコラムで見たように、ガッラ・プラチーディア廟堂の天井装飾同様、昇天後のイエスを中心とする天を象徴的に表現しています。ガッラ・プラチーディア廟堂において十字架で表されていたイエスは、サン・ヴィターレ聖堂では小羊に変更されていますが[図9]、それは洗礼者ヨハネがイエスを「世の罪を取り除く神の小羊」(『ヨハネによる福音書』 1:29)にたとえているからです。

[図9]プレスビテリウムの天井装飾 547年頃 サン・ヴィターレ聖堂

 このことにより、下層部で視覚化された旧約聖書の主題との関連性が明確化されることになりました。

 左右の側壁のアプス寄りに配された「アベルの献げ物」と「イサクの犠牲」は前述したように、「キリストの磔刑」のタイポロジーと考えられています。どちらの場面でも、犠牲の羊が目立つように表されており、そのことによって天井の「神の小羊」と緊密に結びつけられているのです[図10]

[図10]天井装飾と側壁装飾の関係性

  一方、手前に配された「メルキセデクの祝福」と「アブラハムへの告知」において、強調されている共通モティーフはパンです。これらの主題は本聖堂の祭壇前で実際に行われていた「聖餐」、すなわちミサと結び付けられています。信徒たちは司祭によって祝福を与えられたパンを食すたびに、天にいるイエスを実感し、同時に十字架上での彼の死の意義を熟考するわけです。したがってこのふたつの主題は、祭壇を介して天井の「神の小羊」とつながるのです[図11]

[図11]天井装飾と側壁装飾と祭壇の関係性

  初期キリスト教時代に建立された聖堂において、旧約聖書と新約聖書のエピソードを壁画やモザイクで展開していくことは、旧サン・ピエトロ聖堂や旧サン・パオロ聖堂でも行われていたようですが、それらの壁画は完全に失われてしまっているので、そこに聖書のタイポロジーが応用されていたのかどうかはわかりません。ですがキリスト教信仰が認められるようになってあまり時を経ない頃になされた聖堂装飾の役割は、聖書を読むことができない大半の信徒たちに対して、その内容をできるだけわかりやすく伝えることにありました。そうであるならば5世紀までの聖堂内の壁画やモザイクは、聖書に記されたエピソードを単純に展開させていくものであったと考えるのが妥当ではないでしょうか。

 それに対して、サン・ヴィターレ聖堂のプレスビテリウムにおける装飾は、まさに聖書のタイポロジーに基づいて主題の選択と空間デザインがなされています。そのような複雑なプログラムが実践された装飾の最初期の現存作例と言えるでしょう。