ラヴェンナにおける第三黄金期

 北イタリアのラヴェンナは、5~6世紀に西ヨーロッパで中心的役割を担った都市です。この時期はローマ帝国でキリスト教が国教化(392年)されて間もないこともあり、ラヴェンナに現存している聖堂とその装飾は極めて重要な意味を持っています。その150年程の繁栄期は大きく3つの時代に分けられますが、これまで本コラムでは西ローマ帝国の首都であった第一期(402-455年)と東ゴート王国のテオドリクス王が統治していた第二期(493-526年)を代表する聖堂装飾を見てきました(第10~12回)。

 526年にテオドリクス王が没すると、翌527年に東ローマ帝国皇帝に即位したユスティニアヌスはイタリア半島を帝国領にするため、東ゴート王国に圧力をかけていきます。皇帝は540年に将軍ベリサリウスをラヴェンナに派遣し、この町に東ローマ帝国の総督府を設置しました[図1]

[図1]ユスティニアヌス帝時代の東ローマ帝国

 その後、帝国は勢力を拡大していき、553年には東ゴート王国を滅亡へと追い込みます。総督府が置かれた540年からユスティニアヌス帝が没する565年までが、ラヴェンナの第三黄金期と言えるでしょう。

 ユスティニアヌス帝は546年にマクシミアヌスをラヴェンナ大司教に任命するのですが、この大司教によって547年に献堂式が挙げられたのが今回ご紹介するサン・ヴィターレ聖堂[図2]です。 

[図2]サン・ヴィターレ聖堂外観(左側に張り出しているのがプレスビテリウムとアプス) 

特徴的な内観

 サン・ヴィターレ聖堂のプラン(平面図)[図3]は、ローマの旧サン・ピエトロ聖堂(4世紀)[図4]のようなラテン十字型〔〕でもなければ、前回見たラヴェンナのサンタポリナーレ・ヌオーヴォ聖堂(6世紀初頭)のような長方形でもなく、八角形となっています。 

[図3](左)サン・ヴィターレ聖堂のプラン
[図4](右)旧サン・ピエトロ聖堂のプラン 

 このような集中式プラン(円、正多角形、ギリシア十字型〔+〕のプラン)は東ローマ帝国の聖堂と共通するのですが、モデルとなった聖堂を特定することはできていません。

 本聖堂の建築上の特徴は外観よりも内観に見て取れます。メイン・エントランスから祭壇側へ目を向けると、8つの大きなアーチが円蓋を支えていることがわかります[図5]。各アーチの後方には、主祭壇の置かれているプレスビテリウム(内陣)を除いて、エクセドラと呼ばれる半円形空間が広がっています。そこは二階席(周歩廊)のある上層と一階の下層に分けられ、それぞれの層は3つの小アーチによって支えられています。つまりひとつの大きなアーチの中に、6つの小さなアーチが包含されていることになります[図6]

[図5](左)サン・ヴィターレ聖堂内観(主入口側から祭壇側を望む)
[図6](右)サン・ヴィターレ聖堂内観(小アーチを包含する大アーチ)

 コロッセオ(80年)[図7]に代表される古代ローマ建築は、同じ型のアーチを基本単位とし、それを水平方向に展開していきますが、サン・ヴィターレ聖堂では小アーチを大アーチが包含するという構成になっているのです。 

[図7]ローマ コロッセオ 80年

 美術史家ゼードルマイヤー(1933年)によると、このような形式はユスティニアヌス帝の時代に登場した新しいタイプということです。つまり本聖堂は中世建築様式の幕開けを告げる建造物のひとつなのです。

 プレスビテリウムの天井装飾

 聖堂内の壁面は建立当初、どの程度、装飾が施されていたのかわかっていないのですが、現存しているのは最も重要な空間であるプレスビテリウム(内陣)とその後方のアプス(後陣)のモザイクのみです[図8]

[図8]プレスビテリウムとアプスの装飾 547年頃 サン・ヴィターレ聖堂

 まずはプレスビテリウムの天井から見ていくことにしましょう。

 天井の中心のメダイヨン(円形装飾)には、星空に包まれた小羊が表されています[図9, 10]

[図9](左)プレスビテリウムの天井装飾 547年頃 サン・ヴィターレ聖堂
[図10](右)「神の小羊」 図8の細部

 『ヨハネによる福音書』には、洗礼者ヨハネがヨルダン川で人々に洗礼を施していると、そこにイエスが現れたと記されています。その時、ヨハネはイエスのことを「世の罪を取り除く神の小羊」(1:29)と形容しました。アダムとエヴァが神との契約を破って楽園から追放されて以来、人間は神に対して罪を重ねてきました。その膨れ上がった罪を贖うために、イエスは十字架に架けられたとキリスト教会は考えているのです。したがってこの小羊は「贖い主キリスト」を意味し、それが天球上の天使たちによって支えられた星空のメダイヨン内に置かれていることから、磔刑(たっけい)後に昇天したイエスを象徴的に表現していることがわかるのです。

 ここで私たちが思い起こすのが、サン・ヴィターレ聖堂のすぐ近くに建つガッラ・プラチーディア廟堂の天井装飾(5世紀前半)[図11]です。

[図11]ガッラ・プラチーディア廟堂の天井装飾 5世紀前半

 そこでは満天の星が輝く青い空の中心に十字架が置かれていますが、これは人々の罪を贖うために磔(はりつけ)になったイエスが昇天し、天の中心において神と一体化した姿を表しているのです(第10回コラム参照)。したがってサン・ヴィターレ聖堂のプレスビテリウムの天井で具現化されたテーマは、ガッラ・プラチーディア廟堂の天井装飾と同一ということです。しかしながらその表現はかなり複雑になっています。

 「贖い主キリスト」の象徴は十字架から小羊へと変わり、星空はメダイヨン内にのみ限定され、その代わりに植物のモティーフが全体を占めています。それは大きくふたつの種類に分けられます。メダイヨンを取り囲み、天井の四隅に放射状に伸びる「花綱(はなづな)」と、それによって仕切られた4つの三角形の壁面を覆っている蔓草文(つるくさもん)です[図12]

[図12]植物文様 図8の細部

 これらはどちらも「永遠性」を表しています。というのも植物は種から出芽し、花を咲かせて実をつけた後、その種が地面に落ちて翌年にまた同じことを繰り返すからです。また天井の四隅には孔雀が置かれていますが、この鳥は死んでも肉が腐らないと言われていることから、イエスの肉体の永遠性の象徴と見なされています。したがって天井装飾全体は、イエスの存在や彼の教えが永遠に続くことを表しているのです。

 上を見上げると星空が広がるというのは、現実の世界を想起させるものであり、ガッラ・プラチーディア廟堂の天井装飾[図11]は古代美術同様、イリュージョニズムに基づいた装飾がなされています(第9回コラム参照)。そこに十字架や4体の生き物(人、獅子、牡牛、鷲)といったキリスト教の象徴が部分的に添えられているわけです。それに対しサン・ヴィターレ聖堂のモザイク[図9]は、天井全体が象徴的モティーフで埋め尽くされており、その中心にわずかに星空が見出せるのみです。それは古代様式からの脱却を明確に示しており、新たな中世ならではの表現と言えるでしょう。

四福音書記者像

  昇天したイエスの教えを地上界へと正確に伝えた4人の福音書記者は、ガッラ・プラチーディア廟堂では、象徴像として天井の四隅に配されていました。一方でサン・ヴィターレ聖堂のプレスビテリウムの相当部分には、すでに見たように孔雀が表されています。では、福音書記者はどこに移されたのでしょうか。

 プレスビテリウムには天井を支える左右の側壁があり、その上層には2本の円柱で仕切られた開放部があります。福音書記者像はこの開放部の左右の壁面に表されています[図13, 14]。彼らは自身を象徴する生き物だけではなく、書見台やペン、インクを伴っており、開かれた書物には各々の名前が記されています。上方を見上げているのは、天上のイエスの声にしっかりと耳を傾けているからでしょう。

[図13](左)プレスビテリウム左側壁 547年頃 サン・ヴィターレ聖堂
[図14](右)《福音書記者ヨハネ》 図13の細部

 先述した天井の「神の子羊」と側壁に置かれた4人の福音書記者像が創出する「ピラミッド」[図15]は、イエスの言動が天界から地上界へと伝えられていることを示しています。

[図15]「神の小羊」と四福音書記者像によって構成されるピラミッド

 その構造自体はガッラ・プラチーディア廟堂と変わりませんが、この1世紀前の装飾[図11]と比べると、天井ははるかに高く、全体の規模も大きくなっています。主祭壇周辺から視線を上へ向けた信徒たちは、天にいるイエスの言葉が福音書を通して自分たちに正確に伝わっていることを実感したに違いありません。

アプスに表されているイエス・キリスト

 一方、祭壇の後方には半円形に窪んだアプス(後陣)が広がっていますが、そのコンチ(上層の半円蓋部分)には天球に座す巨大なイエスの像が見て取れます[図16]

[図16]《楽園のイエス・キリスト》 547年頃 サン・ヴィターレ聖堂

 彼の左側に立つ天使は、ラヴェンナで殉教した聖ウィタリス(伊語:San Vitale 1~2世紀)をイエスに紹介しています。そしてこの聖人に捧げる聖堂、つまりサン・ヴィターレ聖堂を建てることを提唱したラヴェンナ司教エクレシウス(在任521-532年)が右側に置かれているのです。

 彼らの周囲は、雲や大地が見られるものの大部分が金で覆われており、非現実的な空間が広がっています。ここにはどのような世界が表されているのでしょうか。

 この場所を特定するモティーフは、イエスの足元の大地から溢れ出る水です。これは『創世記』(2:10-14)に記されている楽園に流れる4つの川(ピション、ギホン、チグリス、ユーフラテス)です。このことから、ここが「楽園(天国)」だとわかるのです。したがって天球上に座す威厳あるイエスは、この世の終わりに天から地上に再臨し、「最後の審判」を行った後、「楽園」の王となった姿なのです。そして彼の両側に置かれている聖ウィタリスと大司教エクレシウスは、「最後の審判」の際にイエスによって選ばれ、「楽園」の住人になるであろうことを示しているのです。

 装飾を通して教会が信徒に伝えようとしていること

 サン・ヴィターレ聖堂を訪れる信徒たちは祭壇の上方を見上げると、天の中心で神と一体化したイエス・キリストの姿を、神に捧げられた小羊として確認します。キリスト教を信ずる者たちにとって、この天井に表されているイエスは、装飾が施された6世紀半ばから現代に至るまで変わることなく、「現在のイエス」を表しています。それに対してアプスに配されたイエスは、終末時に天から再臨して「最後の審判」を行った後に、「楽園」の王となった「未来のイエス」の姿なのです[図17]

[図17]「現在のキリスト」と「未来のキリスト」

 教会の司祭はこれらの装飾を通して、人々の罪を贖うために小羊のように犠牲となったイエスの死の意味を、日々、熟考しながら生きていかなければならないと説いたのではないでしょうか。そしてそのことを実践できれば、聖ウィタリスや大司教エクレシウスと共に、いずれ「楽園」に入ることができるであろうと語ったはずです。こうしたメッセージは21世紀になった現在でも有効であり続けているのです。