――最初から雑な質問で申し訳ないのですが、まずは音楽がどのように生まれ、人間の歴史の中でどんな役割を果たしてきたのか、といったあたりから教えていただけますか。
その前にお伝えしておくと、このサイトでお話されている研究者はアカデミックな方が多いと思うんです。大学の教員はしていますが、私自身は大学で音楽を学んだことは一度もなく、これまで野放図に、野良猫のようにやってきたので、いわゆる音楽の専門の学とはスタンスが少し異なると思います。その上で話しますよ、ということをお断りしておきたいのです。
――わかりました。
音楽の話というと、ほとんどの人は音楽というものが無条件にあると思ってる。音楽家もそうだし、音楽について考えている人もそう……。でも、音楽ってそんなに当たり前のものじゃないんじゃないかといつも思っていて。ふつうは、音楽とは何かということについては考えない、学校の授業でも何でも。だからはじめから、たとえば音楽のジャンルの話でもすれば差しさわりがないのかもしれない。そうなんだけど、そこに引っかかりを感じてしまうんです。
――仮にある音が鳴っていたとして、それが音楽なのか、それともただの音なのかをどう判断するのか、という問いはありますよね。
結論はないに等しいんだけど、そこには必ず人が介在している。動物はそういうふうには考えないだろうし、じゃあAIはどうかっていうと、あれは人間がプログラミングするものだから、結局は人間の認識を根拠に判断するだろうと思うんです。つまり、音楽は人間に特有のものではあるかなと。
――そういう意味では中国の六芸に「楽=音楽」が入ってるっていうのが示唆的というか、音楽は古代から人間を陶冶するものだったんだなと思いました。
音楽は昔からいろんなところで発生していたと思いますけど、そのほとんどは民衆がそこら辺にあるものを叩いたり、弾いたりして、好きなようにやっていたものでしょう。そのうちに、音は物体が振動することで発生するといった、いわゆる音響的なことを考えるようになったり、あるいは、音というのは時間の流れの中で展開するものだという発想をする人が出てくる。すると、ただ音を鳴らせばいいというのではなく、法則性が見出されるようになる。
そうした中で音楽をある種のシステム――六芸もそのひとつだと思いますが――であったり、あるいは天体の運行といったものと結びつけたりする。それはどちらかというと権力側の発想ですが、それによってただ楽しむのとは異なるレベルのものも生まれてきたわけです。
――エンタメとして生まれた音楽がしだいに制度化、あるいは体系化されていったわけですね。
あわせて、音楽は古くから魔術としても用いられてきました。それは音と感情の結びつきに起因しています。人の感情は、それ自体がよくわからないものですが、音によって非常に揺さぶられる。音は物理学的にいえば波動であり、周波数などに置き換えることで、一つひとつの音は「データ」として処理することができます。であるにもかかわらず、音によってなぜか私たちに喜怒哀楽が生じる。フィジカル面とメンタル面が同時にあるというのが面白い。昔の人もそのことに気づいていた。
ただ、そのバランスは時代や地域、あるいは階層によっても違っていて、民衆のレベルでは一般的に感情のほうが強い。対して、たとえばギリシャ哲学とかインド古代思想なんかでは、よりフィジカルな、数理的な側面の方が重視されています。
――なるほど。
人間はたぶん、言葉をもったときに人間になると思われています。それ以前にも何かを表現するということはあったのでしょうけど、言葉によってそれが飛躍的に増大した。その言葉でも表せないというものがあり、その一つが音じゃないか、だから音は言葉の外側、あるいは内側でもいいんだけど、とにかく別のところにあるものだという認識が、あるときは魔術に、またあるときには数理的なシステムの構築につながったんじゃないでしょうか。想像にすぎませんが。