食べることは生きること
農耕についてあれこれ検討してきましたが、サピエンスとしてそれを始めるか否か。そこに選択の余地はありません。食べることは生きることとイコールと言ってよい行為です。もちろん、芸術はあってもなくてもよいものではありません。学問だって、もしそれがなかったら私たちの生活はどれほど味気ないものになるだろうと思います。それらはいずれも私たち人間が自ら求めてつくり出したものであり、人間らしさの表れです。けれども、災害にあってすべてを失った時にすぐにでも取り返さなければならないのは、やはり食べることでしょう。
私の体験は、太平洋戦争の時の集団疎開です。小学校三年生から六年生までが、空襲を避けるために親元を離れて集団疎開をした時の一番の関心事は食べることでした。おやつはさつまいもの小さな一切れという日が続くと、気持ちが少しずつ萎えていくのです。何ぞこれしき、少国民なんだぞと頑張り、家でのおやつを思い出して元気づけ合いましたが、それは長くは続きません。カレーライスやカツ丼などふつうの食事を子どもたちが楽しめる社会がよい社会の基本だと考えるのは、この小さな体験から来ています。
先生はもちろん、周囲の大人が子どもたちを喜ばせようと苦労していたことはよく分かっており、その時点では大人を信用していました。戦争というものがどれほどバカげた行為であるか、それを指揮している人たちは子どもたちの日常などまったく考えてはいないのだということが分かったのは、戦後になってからのことです。身近な大人が信頼できる人々だったために、この年齢になるまで人を信頼する日常を送れたのはありがたいことです。
食べることと同時に人間への信頼が、生きることの基本であることを知ったこの体験は大事にしています。そして今、それを支える農耕を「私たち生きものの中の私」という生命誌の世界観の中で最優先事項として考えたいと思うのです。農耕に注目するもう一つの理由は、これだけ科学技術化し、先回も触れたメタバースというような考え方もあるほど自然離れした現代であっても、農耕の基本は一万年近く前に始めた姿の延長上にあるということです。自然の力が頼りです。
農耕を見直す
今年、生まれて初めて稲刈りを体験しました。株をしっかり握って力を入れると、さくっと音をたてて切れてきます。だんだんリズムが生まれ、体がそれを楽しんでいるので気分もよくなります。ちょっと疲れたと思って体を立てると、黄色い穂が延々と続いているのが見え、作業はいつ終わるとも知れません。皆で頑張りましたが、結局仕上げはコンバインとなりました。全部手作業でやっていたら全員腰痛だったでしょうねと話し合いながら、機械のみごとさにただ感心するばかりでした。農薬や除草剤をなるべく使わないおコメづくりを目指しての活動ですので、現場の方たちの日常の苦労の大変さが分かった体験でした。一万年前の農耕でも、同じ思いだったでしょう。
このような意識で生命誌という知を生かした農耕を始めるとしたら、まず何を考えたらよいかを知ろうと調べてみたところ、近年、注目すべきは土という動きが盛んになっていることが見えてきました。一万年近く前に農耕を始めた時にも、重要だったのはもちろん土だったはずですが、人々はとくにそれを意識することはなかったでしょう。目の前にある土に生えている植物を見て、美味しく食べられそうなものを探し、更には栽培しやすいもの、貯蔵しやすいものなどを選んでいったわけです。
こうして農耕を続けるうちに、根を支える力や養分を供給する場としての土の役割に気づき始め、施肥が始まりました。合理化の中でそれは化学肥料になり、農薬も開発されました。農業の近代化です。この経緯の詳細は省きますが、科学技術化の中で、農業を一産業として捉え、生産性向上、効率化などを重視したあまり、そこにある生きもの性が軽んじられた歴史でした。地球生態系の持つ循環能力を超え、生態系の破壊だけでなく大気中の二酸化炭素濃度の上昇というところまで来てしまった今、ここに問題があるのは当然で、その見直しの必要性が明らかになっています。
ここで注目されるのが「有機農業」ですが、有機野菜というと特別な人が求める高価な物というイメージがあり、農業という産業をこれで成り立たせるのは難しいとされてきました。有機農業の実践者を特殊な存在にしてきたのがこれまでの社会です。農業は本来有機であるはずなのに、自然の理解が充分でないままに目の前の効率を求める現代社会に組み込まれてしまっただけなのです。異常気象と生物多様性の喪失の中で、有機農業こそこの問題を解決するという意識が少しずつ生まれ、やっと世界各地でその方向が出されてきたのは当然です。ヨーロッパは2030年までに有機農業の面積率を25%にしようとしています。
実は日本も、農林水産省が2021年5月に「みどりの食糧システム戦略」を出し、そこには2050年までに農林水産省関係のCO2ゼロエミッションを目指し、耕地面積に占める有機農業の割合を25%にするとあります。今年の4月には、これが法制度化され、食品産業や生活者も含み、皆で有機農業への転換への努力をしていく道が描き出されました。具体策が明示されているわけではありませんが、これまでの農業を見直さなければならないところにあるという意識が出てきたことは確かです。ここで、変更せざるを得なくなったので仕方ないとマイナス思考をするよりは、生きものである人間としての農耕の本来の姿を実現する挑戦と受け止めるのが正論でしょう。
土への注目
現在行われている農業からの移行と考えると、すぐに思い浮かぶのが化学肥料や農薬の低減です。しかし世界の流れを見ていると、近年大きく浮かび上がっているのが土への注目なのです。土こそ農の基本であるのに、これまでそれは目立たない存在でした。土そのものの理解が必要と気づき、その複雑さがわかってきたのは最近のことなのです。そして今、土壌革命という言葉が生まれるほどに土の重要性が浮かび上がっています。その理由は、土にあまり目を向けず、農作物の生産性を上げることだけに注目して農耕を行ってきたために土の質が落ちてきたことに気づかされたことと、複雑な土の実態の研究が進んだこととの両面があります。農耕を考えるなら土から始めなければならないというところにいるわけです。
狩猟採集から農耕への移行は「土を知るところから始めよう」というのが、生命誌の提案です。一万年前の人がそこまで気づかずに始めたのは当然ですが、ここでの試みは今持っている知識をすべて活かして始めるのであり、それを考えると「土」を見るのが一番大事ということになります。
ここでまず土とは何かを確認します。科学技術で開発されて新しく登場する機械、たとえば3Dプリンターなどと言われると、それなあにと聞くところから始めます。でも土は、一人の人間としては子どもの頃から、人類としては古代から接してきたものなので、土ってなあにと考えることはほとんどありません。ここではそれをやってみます。生命誌を意識しながら。
土とは何か
原始の地球は岩石(地殻)と水(海)であり、土壌はありませんでした。地表地殻の岩石は少しずつ破砕されていきます。これを「風化」と言い、地表の温度変化に伴う膨張・収縮や、雨・氷雪に長期間さらされて起きる「物理的風化」と、化学反応によって岩石の成分が水に溶けたり分解したりして起きる「化学的風化」があります。いずれにしても地表に小さな石ができていくのです。これだけでは土とは言えません。そこには生きものが不可欠です。
地球誕生から数億年が経って生きものが生まれます。40億年ほど前の海の中には、現在の生きものの祖先となる細胞が存在したことは確かですので、ここを出発点にします。海中での進化によって多様な生きものが誕生し、5億年ほど前になってやっと上陸が始まります。なぜ地球に生きものが存在するのかと考えると、そこに水があったからという答えになるでしょう。日常私たちは、水は必要なものと思って過ごしていますが、水の意味はそれ以上であり、水があってこその私たち生きものという関係なのです。
生命誕生から35億年近くの時間、生きものたちが海で暮らしていたのは当然です。しかし、どうも生きものには冒険心があるらしく、上陸大作戦が始まります。詳細は省きますが、まず植物、次いで昆虫たち、更に動物が上陸し、それと共に土が作られていきます。植物の枝や葉が落ち、それをミミズやシロアリなどの動物が微生物と共に分解して土ができていくという作業は今も続いており、その土が植物の生育を支え、多様で複雑な陸上生態系ができ上がっているのです。土は生きものなしには存在しませんし、生きものは土に支えられて存在しているという関係に注目し、土の力を生かすことこそ陸地での生活の基本です。
土の役割を改めて確認します。
(1)陸上の生産者である植物を支え、育てます。農耕は植物を栽培し、家畜を飼育する行為であり、土の力に支えられています。
(2)土の粒子の間隔には水と空気が貯えられ、それが植物の根から吸収されます。土中の水は地球上の水循環の重要な経路です。近年、「森は海の恋人」という言葉に代表されるように、この水循環への関心は高まっています。
(3)土中にいる無数の微生物や小動物が、生物の遺骸や排泄物、更には生ゴミも分解して植物の栄養として使われるのですが、生きものの働きを土の中の空気が助けます。
しかし土の中でのはたらきは直接目には見えませんので、土のありがたさを意識するよりも、目に見える作物や家畜をいかに思い通りのものにしていくかということが農耕の目的になっていきました。農耕がよりよいものを求めた時に、化学薬品を活用して自然を思うがままに動かそうとしてきたのが、現在につながっています。そして今、これが正解だったのだろうかという問いに向き合っているのですから、土にまで戻って考えることが不可欠であるという答えは自ずと生まれてくるものであり、世界的にその動きが出てきているのはよい兆しです。次回、土に注目した農業の現状を見ます。