――コミュニティが形成される過程についてはよくわかりましたが、それを踏まえた上で、日本のコミュニティにはどのような特徴がありますか。
私はコミュニティというものを考えるときに、農村型と都市型というのが重要なポイントになると思っています。農村型コミュニティというのは、先ほどもお話した通り農耕のために結成されたコミュニティで、集団内部での同質化が非常に強く、ともすれば個人が埋没するというか、コミュニティの中に溶けていくようなあり方です。
これに対して都市型コミュニティというのは、もう少し個人が独立していて、それぞれのコミュニティの枠を超えて個人と個人が交流していく。これがさっきの重層社会ともつながるんですけど、都市というのはそういうものです。コミュニティに属しながら、その外ともつながっていくというあり方ですね。
農村型コミュニティと都市型コミュニティはどっちがいいというのでなく、両方のバランスが大事なんですけど、日本社会は弥生時代から2千年の稲作の歴史があるので――私は比喩的に「稲作の遺伝子」と言っていますが――農村型コミュニティの要素が良くも悪くも強い。最近の言葉で言うと「空気」とか「忖度」ですね。私はそれが今の日本社会の非常に大きな問題であり、従って、都市型コミュニティ的なあり方、すなわち個人がコミュニティや集団を超えてつながっていくという方向性が必要だと考えています。
――先ほど、農耕による余剰生産物ができるようになった段階で都市が生まれたというお話もありましたが、そのときの都市とはどういうものなんですか。
これもまた非常に面白いテーマなんですけども、確認的に言いますと、1万年前にメソポタミアで農業が始まりました。じゃあ都市はどうかというと、これはほぼ定説になっていますけど、大体5000年前ぐらいにこれもメソポタミアで生まれたんですね。シュメールとかアッカドといわれる都市です。
大きな流れを見ると、まずアフリカでホモサピエンスが生まれ、狩猟採集が始まった。それが地球全体に広がっていくわけですけど、狩猟採集で暮らしていけるのは豊かな地域だけなんです。極端に言うと、何もしなくても木の実が上から落ちてくるみたいな。
やがて人類はそうではない場所にも出ていくんですけど、そうは言っても砂漠のような所は厳しいので、その中間くらいということで、アフリカの近くにあったのがメソポタミア。チグリス、ユーフラテス川という大きな川が流れていて、ある程度豊かなこの地域で1万年前に農業が生まれた。先ほど、生産力が上がることで余剰が生まれたと言いましたが、もう少し正確に言うと、複数のコミュニティがその余剰を交換し始めるんですね。あっちのコミュニティにはこっちにないものがあるぞ、ということで交流が始まり、そこに市場ができる。それが都市の本質だと言っていいと思います。
――複数のコミュニティが交流するところが都市なんですね。
だから都市にはもともと異質な人、いろんなコミュニティからきた人がいるわけです。そこでは農村型コミュニティのように「空気で伝わる」とか以心伝心なんて言ってたらダメで、ちゃんと言葉を使って説明したり、理念を共有したりといった「都市の論理」が求められる。
農村型コミュニティだけだと、その中での一体感という面ではいいんですけど、コミュニティの外の人を排除して、閉鎖的になっていく恐れがある。その傾向が強い日本では、コミュニティの枠を超えて人をつないでいく都市型コミュニティという考え方が非常に重要になってくる思います。
――いまのお話をお聞きしててちょっと思ったんですけど、コミュニティと社会の違いというか。たとえば、それこそ弥生時代とかに、他の村と一切交流のない100人の村があったとしたら、その場合はその100人がコミュニティであり社会だということになるんでしょうか。
それは非常に鋭い質問ですね。さっき私は人間の特徴として重層社会、すなわち個人と社会の間にコミュニティがあると言いましたが、それと少し矛盾して聞こえるかもしれないんですけど、実際にはコミュニティと社会のどちらかに偏ってしまう場合が多いと思うんですね。
特に、いま言われたように、農村で他のコミュニティと交流しなくても生活していくことができるのなら、そこだけで完結してしまう。とはいえ家族はあるわけですから、その場合は家族がコミュニティで村が社会ということになり、重層社会であるということには変わりないと思いますが、江戸時代やそれ以前というのは、社会というものよりコミュニティというものが前面に出る性格が強かったのではないかと思います。
――農村型コミュニティと都市型コミュニティというお話ともつながってきますけど、日本の場合は社会よりもコミュニティという感じがしますね。
それは言葉を換えると「共同性」(common)と「公共性」(public)というふうに言えると思うんですね。コミュニティに対応するのが共同性で、社会や都市に対応するのが公共性。結局は同じことなんですけど、日本の場合は共同性の意識が強く、公共性が弱いというのが現状です。
話が急に現実的な例になりますけど、日本政府の借金は今1000兆円を超えているんですね。GDPが大体500兆円なので、倍くらいの借金を将来世代に先送りしてるわけです。高齢化で医療や福祉の費用はどんどん大きくなり、社会保障だけでも毎年120兆円くらいかかる。
それを税金や社会保険料によってみんなで負担しているわけですけど、日本人は税金というのは「お上に徴収されるもの」という感じで、自分たちの社会のために使われているんだ、みんなで支え合っているんだという意識を持っている人が非常に少ない。税金というのは、簡単に言うと、家族を超えたレベルでの支え合いということだと思うんですけど、その意識が薄いというのは、借金を将来世代に先送りしているという点も含めて、非常に大きな問題だと思います。