狩猟採集民プナンのフィールドワーク
2006年度に、当時勤めていた大学から研究休暇をもらい、1年間にわたって、マレーシア・サラワク州の狩猟採集民プナン(Penan)のフィールドワークを行いました。その後、2007年夏から2024年の春に至るまで、コロナ禍の2年半の中断を挟んで、年2回ずつ、短くて2週間、長くて1ヶ月ほどのフィールドワークを繰り返してきています。
その間私は、プナンの狩猟について行って、森の中を歩き回り、夜中には地べたに寝て、時には、道に迷ったりもしました。初めの頃は、プナンのハンターたちがヒゲイノシシやシカやサルなどの獲物を捕まえて、狩猟キャンプにそれらを持ち帰り、共同体の中で肉を均等に分配するまでを詳細に記録して、考察分析していました。狩猟キャンプでは、神話や民話、人々の日常の語りに耳を傾け、プナンの暮らしを記録したものです。
でも最近では、フィールドワークに行っても、ほとんどノートを取らず、小屋で寝っ転がって人々の話を聞いているほうが多くなってきています。そちらのほうがむしろ、プナンの考えていることややっていることがよく理解できるように思えることがあります。
その意味で、私のフィールドワークは、博士学位請求論文や査読論文のために調査している人たちや、フィールドワーク初心者にはほとんど役に立たないと思います。むしろ害悪かもしれません。寝そべって人々の話を聞いて分かることがある点に関しては、拙著『人類学者K』(亜紀書房、2023年)の中で詳しく書きましたので、ここでは割愛します。
私自身は、プナンのフィールドワーク以前に、2年間にわたって、インドネシア領西カリマンタン州(ボルネオ島)の焼畑稲作民カリス(Kalis)のフィールドワークを行ったこともあり、1990年代半ばから、かれこれ30年にわたって、フィールドワークを続けています。以下では、長年のフィールドワークの果てに最近になって新しくやり始めた試みを紹介しながら、フィールドワークの可能性を探ってみたいと思います。その試みというのは、異なる業種や専門、年齢や生活背景を持つ人たちとともに、フィールドワークに出かけるというものです。
プナンは今日を生きている
2024年1月から、有志の仲間たちと「聞き流す、人類学。」と題するYouTube番組を始めました。そのチームのメンバーである加藤志異(かとうしい)さんと喜屋武悠生(きゃんゆうき)さん、私が講師を勤めた市民講座に参加したことのある山田彩加(やまだあやか)さんとともに、2024年3月、半月ほどの予定で、プナンのフィールドワークに出かけました。
加藤さんは妖怪絵本作家で、りんごの行商などもやっている40代後半の男性で、喜屋武さんは三線の流しやバーの不定期店長などをやっている30代後半のマルチタレント、山田さんは理学療法士の資格を持ちながら、2023年秋から石川県で地域おこし協力隊員として働いている30代前半の女性です。
3人に共通しているのは、現代日本社会の中で定職に就き、すんなりと社会に適応して暮らしているのではなく、むしろそうすることが何らかの理由でできにくかったり、しないことを意図的に選択したりして、いろんな壁にぶち当りながらも様々なことに挑戦して生きているということです。彼らは、生きづらいと感じられる現代日本の現実を離れ、こだわりのない、のびのびとした人間の姿を求めて、プナンのフィールドワークに行ってみようと思ったと言います。
今回のフィールドワークの期間中、私たちは、州政府の定めたプナンの居住地と、森の中の狩猟キャンプに滞在しました。滞在から一週間が過ぎた時点で、その直前に行った3泊4日の森の狩猟キャンプでの暮らしの感想を含めて、3人に話を聞いてみました。
加藤さんは、日本では他の人たちよりは自由に生きてきたつもりだったが、プナンとともに暮らしてみて、日本国内では家賃や光熱費の支払いなど、まだまだ囚われているものが多い気がすると語ってくれました。自分では、サラリーマンのような日本人のステレオタイプからかなり逸脱して自由だと思っていたが、プナンはもっとずっと気楽に暮らしていると感じたと言います。
話を聞いたその日の朝、私たちがホームステイしていたプナンの家でプロパンガスの残りがなくなりました。彼らは、もうそろそろガスがなくなるかもしれないと事前に心配することが一切なかったのです。加藤さんにとっては、なくなってから彼らが初めてどうしようかと考え始めて、お金を持っている人を捜し出したことが印象的だったようです。「計画性のない人たち」と言ってしまえばそれまでなのですが、加藤さんには、心配や不安を抱えているふうではないプナンの暮らしぶりがうらやましく思えたようです。
私たち日本人はスケジュールを立てて収入を得ようとしますが、プナンは今日を生きることをとても大切にしているように見えると加藤さんは言います。みなで協力し、分かち合うことによってなんとか生きていこうと考えているようなのです。
他人の目を気にしないプナン
次に、喜屋武さんは、プナンの地にやって来た当初は、こんなところで暮らすのに耐えられるだろうかと感じたと話してくれました。入浴ではなく水浴びをしたり、生活に使う川の水がドロドロだったり、トイレがなく森の中で排便しなければならなかったり、蚊がたくさんいたりして、はたしてうまくやっていけるか心配だったようです。でも、だんだんとそんなことはどうでもよくなってきたと言います。
フィールドワークの最初の頃、食事をしようとすると20人くらいのプナンが集まって来て、衆人監視のもとで食事をしたことは、インパクトがあったようです。また、プナンの親子が言い合いをしているのをたくさんの人が見に来て、まるで劇場のような空間ができていたことから、プナンの社会ではあらゆることがオープンに行われていると思うようになったと言います。
喜屋武さんは日本社会での自分のことを振り返って、日本では、自分自身がつねに他人の目を気にして暮らしていることに気づいたとも言います。燃えさしの煙草を陶器の茶碗に捨てたり、屋外では平気でポイ捨てするプナンに自己を投影し、自分が日本でポイ捨てをしないのは、それが自分のポリシーに反するからではなく、他人の目を気にしていただけだったのだと。他人にどう思われるかだけを考え、そうした規則に黙々と従っていた自分に気づいたのです。
また日本社会では、不安や恐れを感じて、社会にうまくついて行くことができず、生きていくハードルが高いと感じていたが、プナンに来て、そうした呪縛から逃れてもっとラクに生きてもいいのではないかと考えるようになったと喜屋武さんは言います。自意識や自我のようなものが薄いプナンたちを見ていると、日本人のように、一人で孤独に内省する時間など持たないほうがラクになるのではないかと考えるようになったとも語ってくれました。
喜屋武さんは日本でお金がなくライフラインが止まってしまうと、自分の生存が脅かされている不安や恐れが最初に頭に浮かんでくると言います。しかしプナンではそんな時も、みんなで解決法を見つけようとするのです。協力し合い、支え合うのです。逆に言うと、物事はなるようにしかならないし、たいていの場合は不思議なことに、なんとかなるのです。プナンのやり方をそのまま日本社会で再現することは難しいでしょうが、少なくともここで感じたことのエッセンスを持ち帰りたいと話してくれました。
山田さんも、喜屋武さんと同じようなことに気づいたようです。山田さんは、川で水浴びをした後に、最初はどこで着替えをしたらいいのかと戸惑ったが、プナンは誰もそんなことを気にしておらず、ここには、全体的にプライバシーがないことに気づいたようです。身なりに気を遣わず、人前で鼻クソをほじくったりして、何ごとも気にせずに、あるがままにいるほうが、実は生きやすいのではないかと考えたようです。
「自分ときちんと向き合おう」という言葉が日本のSNSでは氾濫しているが、それってほんとうに必要なことなのだろうかと彼女は自問します。日本では、一人ひとり個別に思い悩む方向に社会が進んでいってしまったのではないか。山田さんは、プナンの人たちは、自分がどう見られているのかほとんど気にしていないようだし、そのための「術」を持っている気がすると語ってくれました。
自らの「当たり前」をひっくり返す
さて、プナンに行った3人がフィールドのど真ん中で語る言葉から、フィールドワークに関して、いったいどんなことが言えるでしょうか? 彼らは、プナンと暮らし、その暮らしぶりを見て気づいたことを、彼らの日本での日常生活に関連づけて語ってくれました。フィールドワークに行って考えるのは、目の前にいる人々と自分たちの日頃の振る舞いの違いです。私たちはフィールド(の人々)と比較しながら、自分たちのやり方や考え方を考えてみようとするのです。
加藤さんは、プナンの人たちを見て、日本で自分がいかに囚われているかを感じたようですし、プナンの、心配や不安を抱えない生き方をうらやましく思ったようです。喜屋武さんも、人々が協力し合って暮らしているプナンを見習うならば、不安や恐れを感じる日本社会での暮らしから解き放たれて、もっとラクになるのではないかと語っています。山田さんは、人がいつも周囲にいるプナンの空間を心地よく感じるようになったことから考えてみると、日本では、一人で思い悩む社会が築かれてきていることに気づいたと言います。
3人はそれぞれ、自分たちの元々の日本での暮らし方や生き方を見つめ直し始めたと言うことができるでしょう。言い換えれば、なじみの薄い土地での経験や直観を頼りにしながら、彼らは、日々暮らしている中で身に沁みついてしまった自らの「当たり前」をひっくり返そうとしたのです。「当たり前」すぎて気づかなかった日常を、フィールドでの経験を基にひっくり返してみることこそが、実はフィールドワークの効用のひとつなのです。
喜屋武さんが言うように、物事はなるようにしかならないし、たいていの場合なんとかなるというプナンの物事への対処の仕方を見て、逆に、将来の不安や恐れがつねに頭にある日本社会での生き方をひっくり返してみるのです。また、喜屋武さんと加藤さんが言うように、みなで協力し、分かち合っているプナンのやり方を見て、将来に対する不安ばかりが大きい私たち日本人のやり方をひっくり返してみるのです。
複数の自己変容に向けて
私自身がこれまで実践し考えてきたことも、この3人が今回短期間プナンを訪ねて感じ、考えたこととほとんど変わりません。人類学者は、人々「とともに」人間の生を学ぶために、自らとなじみの薄い土地で暮らすのですが、現地で得た直観や深まった理解をつうじて、慣れ親しんだ「当たり前」をひっくり返そうとしてきました。それは、私たちがなぜ今こんなやり方や考え方をしているのかの根源、いわば「ゼロ地点」にまで立ち戻って、事柄の本質を問うことなのです。
ひっくり返すことによって人類学者は、自らの社会の生きづらさや生きにくさについて考えようとしてきました。フィールドワークでは、人々とともに暮らし、彼らのやり方や考え方を肌身で感じながら、自分が生まれ育った土地で、自身に沁みついたやり方や考え方を炙り出すのです。この点に関して、より詳しくは、『ひっくり返す人類学(仮)』(筑摩書房、2024年近刊予定)をご覧ください。
もちろん単独でフィールドワークに行っても、そうしたことはできるでしょう。でも、単独で行くなら、思索は自分自身のものに限られたものになるはずです。フィールドワークを、多様なバックグラウンドを持つ参与者たちの感じ方や考え方を織り交ぜながら進めるなら、個人的に、自身のやり方や考え方の奇妙さに気づくだけではなく、複数の気づきとともに、よりその解像度を上げていくことができるのです。複数で自己変容していくことができるのです。
研究者だけで行くのではなく、フィールドワークを研究の外部へ開いて、複数の人たちと出かけることは、これまであまり行われてこなかったのではないかと思います。そこに、フィールドワークの新たな可能性が潜んでいるのかもしれません。