ジェンダーとは何か

 「ジェンダー」はもともと心理学の用語でした。この言葉を生み出したのはニュージーランド出身の心理学者 ジョン・マネー(1921-2006)です。彼は性器の欠損などによって身体的、つまり生物学的には男性とも女性とも判断できない子どもが生れたときにどう育てればよいか、という問題を臨床的に研究していました。彼の主張は、生後一定の期間までにどちらかの性を割り当て、その後一貫して男性あるいは女性として育てれば本人もそれを自分の性として認識するというものです――LGBTQへの理解が広まりつつある現代とは異なり、当時はほとんどの人が、人間社会で生きていくためには男女どちらかの性に決めなければならないと考えていました――。マネーの主張で重要なのは、自分が男あるいは女だという認識が、先天的なものではなく、生後ある一定の期間のうちに形成されるものだとしたことでしょう。そしてこの性自認(=自分を男あるいは女だとする認識)のことを「ジェンダー」と呼んだのです。

 では、この「ジェンダー」がフェミニズムとどう関係してくるのでしょうか。この問いに答えるには、まず、文化人類学の研究に触れておかなければなりません。

 20世紀前半のアメリカにおいて、文化人類学は女性の活躍がめざましい分野でした――それはこの学問が19世紀後半にできたばかりのものだったことと無関係ではないでしょう――。その中の一人、マーガレット・ミード(1901-1978)は南洋諸島の文化や習俗を丹念に調査し、男性と女性の役割が島ごとに異なるということを明らかにしました。たとえば、ある島では女の仕事だとされている編み物が、別の島では男の仕事だとされているといったことがあるというのです。どの島にも「男の仕事」「女の仕事」という区別はあるが、その仕事自体にはズレがある。これは言い換えるなら、「男らしさ」「女らしさ」には絶対的な基準があるわけではなく、それぞれの社会によって異なりうるということに他なりません。

 こうしたことがわかると、身体によって一義的に決まる性差(=セックス)ではなく、「それぞれの社会や文化によって決まる性差」を指し示す言葉が欲しくなります。こうした状況を受け、イギリスの社会学者アン・オークレー(1949-)は、先述したジョン・マネーの研究に目をつけ、彼のジェンダーの定義を変えて、1972年の著書『Sex, Gender and Society』(未訳)を出版しました。――アン・オークレーは『主婦の誕生』(三省堂, 1986年)の中で専業主婦という概念が出てきたのは仕事場が家から工場に移った近代以降であり、それ以前の社会では女性も男性と同じように働いていたと書いています。このことは、戦前までの日本の農家の暮らしに置き換えてみると納得できるでしょう――。

 オークレーが「ジェンダー=それぞれの社会や文化によって決まる性差」という概念を用いたのは、フェミニズムへの批判に対抗するという狙いがありました。当時、第二波フェミニズムに対して「女が男になろうとしている」「生物学的な性差を無いものにしようとしている」といった批判が殺到していたのです。この背景にはそれまでの学問、とりわけ生物学の影響があったことは否めません。20世紀のはじめまで「女は学問すると子どもが産めなくなる」「女は800メートル走ると死ぬ」といったことが、学問の名において論じられていたのです。それにはダーウィンやフロイトといった大学者が深く関わっていたことに注意しておく必要があります。

 フェミニズムへのこうした批判に対し、そんなことを言っているのではない。男女の役割は社会や文化によってさまざまなのだから、私たちの社会に適した役割というものを考えていくべきだ。それには、生物学的な性差だけではなく、社会的・文化的な多様性をもつ性差にも目を向けるべきではないか。そうした議論のために、オークレーは「ジェンダー」という概念を使ったのです。

 こうして「ジェンダー」は第二波フェミニズムのキーワードとして、特に80年代以降、大きな影響力を持つようになります。しかし日本ではこの言葉がなかなか定着しませんでした。市民へのアンケート調査などでも、男女平等というのはわかる。しかし「ジェンダー」なんて言葉は知らないし、知ろうともしないという態度が見て取れました。「ジェンダー・バックラッシュ」は、まさにこうした状況を利用して起こされたのです。

バックラッシュ派は何をしたか

 「ジェンダー・バックラッシュ」は、冒頭にも述べた通り、1999年の「共同参画法」への反発として起こりました。もう一度かれらの言い分を見ておくと「この法律をつくった共産(共参)主義者はジェンダーという言葉を使っている。この言葉には性差は存在しないという意味が含まれている。すなわち、性差があるということが科学的に示されれば、この法律やジェンダー・フリー派の主張が誤りであることが証明される」というものでした。そこでかれらが持ち出したのは『ブレンダと呼ばれた少年』における事例です。

 後に自分の出自を知ってデビット・ライマーと名乗ることになる少年は、生後6カ月の時、包茎手術の失敗によって陰茎の大部分を切り落とされてしまいました。この子をどう育てるか迷った両親は(先述した)ジョン・マネーを頼ります。マネーは性自認の形成は3歳以降であるという当時の自分の学説に従い、女の子として育てることをアドバイスし、その方法を教えました。マネーの判断を受け入れた両親は、彼の残された陰茎や睾丸を切除する手術を受けさせ、「ブレンダ」という名前を与えて女の子として育てます。しかしブレンダと呼ばれた少年は自分を一度も女の子だとは思わず、本人も家族も次第に追い詰められていきました。14歳のときに真実を知らされたブレンダはすぐに男性として生きることを宣言し、その後はデビットと名乗るようになります。その後彼は自死します。「ブレンダと呼ばれた少年」の事例を概略すればそういうことになります。

 バックラッシュ派は、これによってジョン・マネーの学説は否定され、性差は存在しないとする「ジェンダー・フリー派」の言い分は誤りであることが一点の曇りもなく証明された、と主張しました。しかし、ここまで読んでいただいた方には、これがいかに的外れな主張であるかがおわかりになると思います。ジョン・マネーとフェミニズムでは、ジェンダー概念の定義が違うのです。性差についての考え方も、ジョン・マネーとフェミニズムでは異なりますし。そもそもフェミニズム内部でも大きく異なるのです。おそらくバックラッシュ派は、フェミニズムの混合名簿など男女平等に向けた施策実施の主張を、「ブレンダと呼ばれた少年」に対して行ったマネーの治療と同じく、「男を無理やり女にすること」「男と女の区別をなくすこと」として同一視し、否定しようと思ったのだと思いますが、このような同一視は、どう考えてもこじつけでしかなく、無理があります。

 バックラッシュ派はまた、自分たちの主張を裏付けるために、ありもしないことを捏造し、フェミニズムを攻撃しました。いわく「ジェンダー・フリー派は、小学校での着替えは男女同室でなければならない、トイレも一緒にしろ、風呂も一緒に入れと言っている。ジェンダー・フリー派の『性差はない』という主張からは、こういうことになるのだ」と。しかし、私の知る限り、こんな主張をしていたフェミニストは一人もいません。さらにかれらは「こうした思想はフリーセックスへとつながる。男も女もなく、好き勝手にセックスするのがジェンダー・フリー派のめざすことであり、これは日本転覆をはかる共産主義の陰謀である」として、攻撃の矛先を「性教育」へと向けます。その犠牲となってしまったのが、東京都日野市にある都立七生(ななお)養護学校でした。

 七生養護学校では、人形を使って性器の場所や名称を教え、こういう所を他人に触られるのはよくないことだから、もしもそういうことをされたら先生に言いなさいと授業で教えていました。これは知的障害をもつ子どもたちを性被害から守るためであり、先生方は生徒のために、本当に必死に取り組んでおられたと思います。しかし、バックラッシュ派はそれを「過激な性教育」の事例として取り上げ、性器の名前を連呼させるのが「ジェンダー・フリー派」の実態だと非難して、この授業を中止へと追いやったのです。これによってジェンダーは「過激な性教育」の代名詞にされ、以来今日に至るまで、日本ではまともな性教育が行われなくなってしまいました――尚、この事件に関して七生養護学校が東京都教育委員会と3名の東京都議会議員に対して起こした訴訟はいずれも原告の勝訴が確定し、先生方の授業が正当なものであったと認められています――。

 日本における「ジェンダー・バックラッシュ」言説の特徴は、フェミニズムへの攻撃を、ジェンダー概念を曲解し、批判することによって行おうとしたところにあります。バックラッシュ派は、性差を否定し、過激な性教育を行い、フリーセックスを推奨する「ジェンダー・フリー派」なるフェミニスト像を捏造し、「共同参画法」やフェミニズムに対する否定的な世論を喚起しました。ジェンダー研究に携わる者の一人として、私は当時、非常に奇妙な感覚に襲われました。バックラッシュ派の主張が、誰の、どういう議論に対する批判なのかというのがまるでわからないのです――上野千鶴子さんの名前は挙げられましたが、彼女の論文には一切ふれていません――。これでは論争のしようがありません。今思えば、まさにそれこそがかれらの作戦だったのでしょう。

 バックラッシュ派は、開かれた合理的議論を行うために必要なルールに関して、重大なルール違反を犯しました。何のエビデンスもない、まるでロジカルでもない言説であっても、しつこく言い続けていれば、国民にそれが事実だと信じさせることができる。そのことにかれらは気づいたのです。これがフェイクニュースや陰謀論がはびこる今日の状況へとつながっていることは、もはや言うまでもありません

 私は学術が絶対だなどとは思っていません。学術にも多くの誤りがあります――女性に対するダーウィンやフロイトの学説がそうであったように――。しかし学術にはその誤りを議論によって正していくシステムがあります。学術研究者は、自分の研究に関連する先行研究を必ず全部読むように教育されます。そうすることで先人の研究成果を――ときに批判的に――継承し、誤りがあれば正し、そこに自分が何を付け加えることができるのかを考える。そのようにして過去を今につなげ、今を未来につなげていくことが学術の歩みであり、さらに言うならば、人類の歩みなのではないでしょうか。何が正しいのかを決めることは決して容易ではありません。時代や地域によって結論が異なることもあるでしょう。しかし、いや、だからこそ、その「正しさ」を決める議論における最低限のルールは、何があっても守っていかなければならないのです。

※本稿は『争点としてのジェンダー』(ハーベスト社)第6章「ジェンダー概念をめぐる攻防を「科学コミュニケーション」の視点から読む」の内容を下地として、トイビトのインタビューへの応答を再構成したものです。