田舎道、また田舎道。みな熱心にスマートフォンを見ていて、前線の最新情報を得ようとしている。ウクライナ西部は安全という多くの人びとの想定は、崩れ去った。ロシアはほぼ全域を攻撃している。周りは静寂に包まれている。車は少なく、光景は美しく、冬の木々と山があり、凍った河が見える。元妻は、これらすべての美しさに感嘆している。彼女が口に出すわけではないが、彼女の心が、この美しさを全部捨てなければならないことをめぐって血を流していることを、私は知っている。
とても静かだ。ロシアは本当にここに攻め込むのだろうか。しかしそのうちに、車の速度を低下させるためのコンクリート・ブロックを目にするようになり、脇道にも検問所や兵士の姿が見られるようになる。ロシアがいったいどうやってここまで来るのかわからないが、その疑問には、答えを出さないでおこう。最も西に位置する州のひとつ、イヴァーノ=フランキーウシクでさえ攻撃を受けている。安全を確保するためには国外に出るしかない。
橋と水力発電所がある。車の流れが止まる。すべての車が検査される。素朴に思う。「どうして紛争からこんなに離れたところで、検問をするのだろう?」。長い時間を待ち、ようやくわたしたちの順番になり、元妻の通訳のために、わたしも車外に出る。元妻は、指示されるとおりに、車のトランクを開けている。
――爆発物はありますか?
――キエフから逃げているんです。服と2匹の猫だけを入れて慌てて出てきたんです。もちろん持ってませんよ。
――ちょっと聞いてみているだけです。個人的な使用のためにお持ちの方もいますしね。聞いてみているだけです(おそらく彼は、私たちがそれを持っていて、その一部をもらおうと考えているのだろう)。
――持ってません。行ってもいいですか?
道はまだ長い。友人のひとりが、わたしたちが親戚のいる村の近くを走っていることを教えてくれた。少しためらったが宿泊予約をキャンセルする。そして車のルートを変更した。わたしは同乗者たちに言う。ボルシチをいただこう!
訪れた村は平和だった。数キロ先で紛争が生じているとは思えない。何の心配もなく、ぐっすり眠れるだろう。泊まらせてもらった家はとても広く、わたしたち一同に二部屋を与えてくれた。車内でケンカをすることもある2匹の猫を、別々の部屋にする。地元のワインを一杯いただき、温かい言葉をかけてもらい、ベッドに横たわる。翌朝、ホスト一家は、新鮮で暖かいシルニキを台所で作ってくれていた。まる一日ぶりの食事である。
状況の動向をわたしは怖れている。しばらくここにいたほうが安全ではないか?ここの人びとは、果物や野菜を育てる畑を持っている。にわとりも豚もいる。農作物を保存する大きな貯蔵庫には、ジャムやトゥションカやカンポットもある。車に、リンゴ、コンセルビ(缶詰)、そして希望を積み込む。今朝は暖かく、希望を与えてくれるので、誰も急いで出発しようとはしない。小さな国境検問所に向かうので、検問所が混むことはないだろう。家族の絆を確認するハグを、みんなずっとしている。出発したときには、昼近くになっていた。
国境までの道のりは、想像していたものと違った。国境まで一直線の道はないので、アスファルトが未舗装の回り道を走らなければならない。そんな小道であっても、車両の通行を遮るために、トラックが土を落として回っている。どこまで行けば、こんなことが終わるのだろう。この国に安全な地はないのか?最悪だったのは、わたしが選んだ国境検問所が閉鎖されていたことだ。たくさんの人が目指す主要な国境地点を避けたのに、なんと、あまり知られていない国境地点がすべて閉鎖されている。同乗者たちが国境に関する情報を求めてたくさん電話をかけるが誰も出ない。今回は運がなかった。主要な国境地点を目指そう。
ルーマニアの友人に電話をかける。今晩か明朝までに国境を越えたいと願う。だが、国境付近に着くと、事態は思いどおりではないことを知る。国境検問所の所在を知らせる電灯よりも、ずっと前の位置から、車の行列ができている。行列がどのくらい続くのか気になるが、それを知るにはひとつの方法しかない。国境まで歩いてみることだ。
国境通過・・・そう思いたい
30分歩いても国境検問所には着かない。今日は、二月とは思えないくらい暑い。でも、通常の二月の天候ではなくて、よかった。吹雪の下で待っていたら、どれだけ多くの人が倒れることか。車の列は、2列から3列に拡がり、また2列に戻っている。警察は秩序を維持しようとするものの、国境をいちはやく通過するために、列を無視して割り込む車(ほとんどがSUVや高級車に乗っている)もいる。ここから離れた地では戦争が、ここでは国から脱出するための道を取り合う戦争が、おこなわれている。ロシア人がやってくるといううわさが流れて、もっと多くの人が出国に押し寄せると、何が起こるだろう。ぞっとしながら、それを考えてみる。死者が出るのは間違いない。
国境検問所まで歩きながら、あたりの人たちにどれくらい待っているのか聞いてみる。最長で24時間。今朝の出発が遅れたことを悔やむ。あるいは昨日のうちに——何時になろうとも——国境まで来なかったことを悔やむ。でも、昨夜はよく眠れたし、シャワーを浴びることができたし、暖かいご飯を食べられた。こうしたことは、これから数日間は不可能だろう。
国境検問所に辿り着き、警備隊に通過可能なのかを聞いてみる。「大丈夫」という返事だった。通してくれるようだ。だから、わたしたちに必要なのは、並んで待つことだ。ウクライナ側に車を置き去りにして、国境を歩いて越える方法が頭の中をよぎる。その一方で、義理の両親と祖母と犬を乗せたもう一台の車は、まだ道中ではあるものの、夕方までにここに到着する予定であることを知る。道中には障害物も多いから、予想が夕方であれば、実際の到着は夜になるだろう。明日の午後になるかもしれない。けれども、かれらが来るのであれば、わたしたちは、ここで待つべきだし、かれらの国境通過を助けなければならない。
車まで戻る頃には、スマートフォンに「おめでとうございます、今日の目標10000歩を達成しました」という表示が出ている。なるほど、国境までの往復で14キロ近く歩いたわけだ。両足にマメができたが、替えの靴はない。はじめて空腹を感じる。ずっと持っていたポルトガルのビスケットは人生で最高の食事となり、フルーツジュースを一口飲んだ。
心配は尽きない。付近の店頭からは品物が段々となくなっていき、クレジットカードや電子マネーは使用できない。手持ちの現金は少ない。何泊も車中泊をする人が増えていて、水や物資が減っていくなかで、いつまで持ちこたえられるのか不安になる。
夜になり、暖かさが寒さに変わる。温もりを確保しようと服の中で丸まる。車の行列は、少しずつ進んでいるが、進行状況は不規則だ。1時間立ち往生のこともあれば、一挙に数メートル進むこともある。このままではガソリン切れになってしまうのではないかと心配になる。眠くなったら交代でハンドルを握らないと、他の車に先を越されてしまう。
前の車が動かない。運転手が寝ているか、車を離れているのだろう。ハンドルを握っていた元妻の夫は、やらないと約束していたことを実行した。車線を変えて、追い越しをはじめたのである。一台、二台、それに何台も。しかし彼が列に戻ろうとすると、本来の車線に並んでいる運転手たちはそれを妨害して、わたしたちに立ち去るように迫る。どうしよう?もう車線には戻れない。入れてもらえないのだ。前に進むしかない。車線を意識しても意味がないので、車をそのまま前に走らせるようにと、わたしは彼に伝える。車の列は2列になったり3列になったりするし、他の人たちは怒るに違いない。そうこうしているうちに、わたしたちの車は一台のトラックの後ろについた。わたしたちの車はトラックとして国境を越えることはできないので、トラック専用とおぼしき車線から移動しなければならない。
新しい友人
立ち往生している車から出て、話をしている人たちがいる。わたしは眠く、外は寒いが、いまこそ本来の車線に戻る好機のようだ。この判断は正しかった。このとき、わたしはふたつのことを成し遂げた。ひとつはトラック車線から自動車車線へと他の運転手の合意を取った上で戻ったことであり、もうひとつは新しい友人たちができたことだ。外で話をしている人びとと会話すると、ウクライナの電車で見知らぬ旅人と長時間にわたり何でも話し合った昔の日々を思い出す。マシナ・ヴレメニの歌であるrazgovor v poezdeのように。その後、寒さに震えて車内に戻るが、いまではわたしには新しい友人がいる。ムィコラーイウ出身のブルガリア人IT専門家であるドミトリー。彼は、ウクライナ政府とブルガリア政府にサービスを提供していて、ウクライナでのマネーロンダリングについて何でも知っている。ハリコフから国道48号を運転してきたアンドレイ。彼は、若いので、自分が出国できないことを承知の上で、妻と子どもたちを国境地点まで送り届けている。ウクライナは戒厳令を出していて、18歳から60歳までの男性の出国を禁じている。
16時間で800メートルだけ進んだ。インド人学生を乗せた何台かの避難バスを見かける。バスによる避難が、迅速に組織されていることに驚く。多くの人びとがさらに押し寄せていて、状況はますます緊迫している。若者たちは、行列を守らない車を止める一団を作ろうとしている。中年の男性は、彼の追い越し行動に文句を言った女性に向かって、怒鳴りつけている。検問所まで、新しい友人たちと一緒に、もう一度歩いてみることにした。今回はうちの下の子も連れていくことにする。下の子は元気があり余っていて、何かやりたそうだった。歩くことは良い解決法だ。
国境地点の状況は、昨日よりも悪化している。何台かの運転手は絶望とともに、そこで折り返してウクライナ側に戻っている。保険会社は何枚もの書式を要求するのである(ウクライナナンバーの車はEU圏に入るためには国際保険が必要になる。オンラインサービスはすべて使えなくなっているので、保険の必要書類を紙媒体で提出しなければならない)。徒歩で国境を越える人たちの列も伸びていて、もはや列ではなく群れになっており、それが入国ゲート付近まで続いている。警備隊の審査は、本当にゆっくりとしか進まない。
車まで歩いて戻る途中で、どこかでコーヒーを飲もうと友人が提案する。一軒目も二軒目も大混雑だった。三軒目では、こう言われた。「コーヒーはありますが、カップがありません。カップをお持ちでしたら、お入れします」。周辺のお店の棚からは、品物がなくなりそうで、ますます心配になる。炭酸水が一本だけ残っていて、普通の水は売り切れている。