私の「哲学病」は、いろいろな要因が重なって、だんだんと慢性化したのだと思います。最初のきっかけは、幼稚園に入る前の三度の大病でしょうか。はっきりと覚えているわけではありませんが、入院している頃の病室の光景が、寂しさとともにぼんやりと残っています。死ぬことが、私たちの存在をまるごと覆っていることを、そこで実感したのだと思います。「最後は死ぬのに、われわれはいったい、何をしているのか?」という思いも、このとき芽生えたのでしょう。

 それから、やはり、中学・高校の経験が慢性化を決定づけたと思います。親元を離れて、下宿生活だったので、一人でぽつんといろんなことを考えてしまうのです。同じ学校でも、寮生や自宅生では味わえない、ひしひしと迫る孤絶感がありました。知らない土地の孤島のような四畳半で、中学生が、夜、何をすればいいのでしょうか。本を読むことぐらいしか、することはないのではないでしょうか。

 たまたま新潮文庫の黒いカバーの太宰治にであい衝撃を受け、前年(一九七〇年)に割腹死した三島由紀夫の本を耽読し、さらに大江や安倍公房といった作家たちを毎晩のように読んでいました。そして、前にも話したように、ひょんなことから小林秀雄にであったというわけです。この頃の経験が、いまも澱のように、私のなかにたまっていて、ときどき、そこに戻ってしまうことがあります。とても豊かで底知れず孤独な時間です。

異議申し立て

 とにかく、世の中の仕組みがわかりませんでした。なぜ学校に行くのか、なぜ勉強をするのか、といったわかりやすい疑問から始まり、なぜ挨拶をするのか、なぜ笑顔をつくるのか、なぜ他人の言葉(自分で創ったわけではない母語)を使うのか、などなど、とにかく、この世界のあり方がとてつもない謎でした。ようするに、「ルールも教えられずに問答無用で、死ぬまでこんなことを、なぜ続けなければならないのか?」という疑問が根底にあったといえるでしょう。それに、一番わからなかったのは、他の人たちが、平気で暮らしていることでした。この状況は、真剣に向き合えば、いてもたってもいられなくなるはずなのに、私が会う大人たちは、焦っている風でもなく絶望してる風でもなかったからです。

 こうして、訳のわからない「まともな」世界のなかに、一人ぽつんといると、三島や太宰が特別な人のように思われてきました。なぜ「特別」だと思ったのかというと、作品もとても好きでしたが、この二人は、世の中に背を向けて、割腹や心中という最期をとげたからです。「まともな」人たちにとっては、決して理解できない訳のわからない死に方を選んだ人たちだからです。世の「まともな」人たちのことを、不思議(で能天気)な人たちだなぁと思って生きているこっちとしては、三島や太宰の方が、よほど真摯な生き方(死に方)をしていると思ったのだと思います。(現時点での私は、そうは思いません。ただ、それは、またべつの問題です)

 誰にも説明のつかないこの世界の仕組みに対して、その説明のつかなさを、より説明のつかない(「まともな」人たちにとっては、とくに)やり方で暴露することによって突き抜けたとでも言えるかも知れません。そっち(世界の仕組み)がその気なら(理不尽)、こっち(三島や太宰)もこの上なく理屈に合わない(誰にも理解できない)行為をしてやるよ、というわけです。

 三島由紀夫の死については、当時の政治家(佐藤栄作)や江藤淳の感想とは違って、小林秀雄が実に真摯に対応していて、鮮やかな対照をなしています。もちろん、私の考えていることとは根本的にちがうのでしょうが、三島の自死の直後に語った小林のつぎの言葉は、やはりさすがだと思わざるをえません。

人間を知るむつかしさを、いまさらのように痛感しました。人間の肝腎なところは謎だとはっきり言い切っていいのだね、きっと。(中略)更に言えば、それは死というものが謎である証拠でもある。(「三島君の事」『小林秀雄 江藤淳 全対話』中公文庫、170頁)

 茶化すのでもなく、不気味がるのでもなく、かといって、長々ともっともらしい説明をするのでもない。「謎」という含蓄のある強い語で、三島由紀夫に全身で対峙する小林は、私の捉え方と、(大変おこがましいですが)一脈通じている部分もあるのかも知れません。

 ようするに私がこの二人の死に感じとったのは、つぎのようなことです。太宰と三島とでは、もちろん経緯も結果も大きく異なってはいるのですが、二人の死は、この訳のわからない「まともな」世界に対する、それぞれの立場からの異議申し立てという側面があるのではないかということでした。当時、このように私は思っていたのです。

『シーシュポスの神話』 

 といった感じの暗い中学生は、どんよりと曇った日々を繰り返しながら、やっとのことで高校生になります。そして、ある本にであいます。その本にどうやってであったのかは、実はよく覚えていません。哲学者という人種がいることは、小林秀雄経由で知っていましたし、その影響でベルクソンやショーペンハウアーなどをちょくちょく読んでもいました。

 それと、いま突如思いだしたのですが、高二の頃に、赴任したての若い数学の先生のアパートに遊びに行ったとき、「中村、これ読んでみたら・・・」といわれて、たしか河出書房新社の『世界の大思想』のヘーゲルの巻を渡されました。『精神現象学』が入っている巻です。せっかく親しい先生に貰ったんだし、哲学者だし、ビッグネームだし、『精神現象学』有名だし、と思って、読み始めようとしたのですが、表紙をめくったところででてくるヘーゲルの顔写真に圧倒されたのと、大好きなショーペンハウアーが、しょっちゅうヘーゲルの悪口ばかりいっていたので、どうしても読み進められませんでした。ようするに、その頃の自分には、いろんな意味で読むのが難しかったということなのでしょう。

 さて、そういう高校生の前に、さっき予告した「ある本」が突然現れます。アルベール・カミュの『シーシュポスの神話』です。『異邦人』や『ペスト』を読んだ後なのか、その前だったのかよく覚えていませんが、とにかく(?)『シーシュポスの神話』にであいました。小林秀雄とランボーとの出会いほど劇的ではありませんが、私にとっては、充分衝撃でした。この本のなかで、いままで自分がぼんやりともっていたこの世界に対する違和感と、三島や太宰に対するこちらの勝手な思いが、はっきりと結びついたような気がしたのです。

 最初の一文に、衝撃を受けます。

真に重大な哲学上の問題はひとつしかない。自殺ということだ。人生が生きるに値するか否かを判断する、これが哲学の根本問題に答えることなのである。それ以外のこと、つまりこの世界は三次元よりなるかとか、精神には九つの範疇があるのか十二の範疇があるのかなどというのは、それ以後の問題だ。そんなものは遊戯であり、まずこの根本問題に答えなければならぬ。(清水徹訳、新潮文庫、11頁)

 私なりの解釈はこうです。われわれは、自分が望んだわけではなく、この世界に投げだされます(ハイデガーのいう「被投性」ですね)。この世界のルールも法則もわからないままに、特定の共同体の特定の個人として投げだされるのです。それなのに、<ここ>でしばらく生きていかなければならない。この根本的な「訳のわからなさ」(カミュは、「不条理」といいます)の海で溺れずに生きていかなければならないのです。

 世界の次元であるとか、人間の精神のあり方など、どうでもいい。そこがポイントじゃない。ポイントは、この世界そのものの「訳のわからなさ」なのだ、というわけです。訳がわからないままに人生を生きていくわけにはいかない、とカミュは、宣言しているのです。

 そして、その「訳のわからなさ」と対決する手段として、「自殺」があるとカミュはいいます。世界に無理やり投げだされ、そのうちにあっという間に死んでいくわれわれ。いずれも自分から進んで選んでいるわけではない。すべて受け身にすぎない。この原理的に受動的な人生をわれわれは、受けいれなければならない。その受動的な状態を断ち切る手段は、「自殺」しかないというわけです。唯一、われわれがとりうる能動的な行為だというのでしょう。

 たしかにその通りだと高校生の私は思いました。(いまは、そう思いません。なぜそう思わないかについては、機会があって、かつ、覚えていたら、お話します)これが、「哲学」だと当時の私は、衝撃を受けたのでした。

笑いとばす 

 これで終わると、あまりにも暗い終わり方になるので、もう一つだけ、思い出話をしましょう。

 当時、鹿児島市の南端の谷山というところに住んでいました。読書だけが楽しみだったので、週に一度日曜日には、大きい本屋に行くのが習慣でした。路面電車で、天文館という鹿児島の中心街に行き、吉野書店と金海堂書店(書店名は、記憶が曖昧です)で、本をどっさり買い込みます。帰りの電車のなかで、そのなかの一冊を選んで読むのが、当時の私にとっては至福の時でした。

 あるとき、買った本のなかから、ニーチェの『この人を見よ』という本を何気なくとりだした私は、電車の座席にすわって早速読みはじめました。その時のことは、いまでもよく覚えています。谷山行の路面電車は、結構混んでいました。周りに他の客がいるにもかかわらず、どうしても我慢できずにゲラゲラ笑ってしまいました。かなり暗い高校生だったので、あまり普段は笑わなかったのに、読んでいる最中は、ずっと笑いっぱなしでした。人前で相好を崩すなんて、何年ぶりだったでしょう。それぐらい、とてつもなく面白かったのです。

 『この人を見よ』は、ニーチェが精神の闇に沈む前年に書いた本で、世界中のすべての文献のなかでも、最もテンションの高い本だと私は思います。そのテンションの異様な高さに圧倒されて笑うしかなかったのです。『この人を見よ』は、いわばニーチェの究極の自画自賛の本です。自分がどれだけ凄いか、ということを、これでもか、これでもかと執拗に語りつづけます。目次だけ見ても、その迫力が伝わってくるのではないでしょうか。

なぜ私はこんなに賢いのか
なぜ私はこんなに利口なのか
なぜ私はこんなに良い本を書くのか

(当時は、岩波文庫で読んだのですが、この引用は、丘沢静也さんが訳された光文社古典新訳文庫からです。丘沢さんに感謝いたします)

 つまり、自分は、ものすごい人間だから、「自分(この人)を見よ」というわけです。何とすがすがしい本でしょう。この本を読んだとき、突然、今まで自分が苦しんできた「哲学病」にある種の光が射したと感じました。哲学の古典として、いまも読みつがれるニーチェが、こんな本を堂々と書いている。そうだとしたら、哲学の世界も捨てたもんじゃないな、と思ったのです。

 自分がかかっている「哲学病」は、たしかに慢性化して特効薬はない。一生、治りそうもない。ただ、同じ哲学の分野で、こんなに突き抜けて、とてつもなく面白いやつがいるのであれば、こういうやり方で哲学とかかわるのも、一つの手なのではないか、と思ったのです。つまり、「笑いとばす」という可能性に気づいたのです。