この連載の記事
1. 系譜の宗教
――禅宗というと「坐禅をして悟りを開く宗教」というイメージが一般的ですね。でも、先生はそうではないとおっしゃっています。まず、そのあたりから教えていただけますか。
2. おにぎりで見る悟り
次に出てきたのは、馬祖という人の禅です。馬祖禅でも人は本来仏だという前提は変わらないのですが、自己の中に迷いの部分と悟りの部分があるという二分法で考えない。迷っていようが、悩んでいようが、この生き身の自己の全体がまるごとそのまま仏だ、ありのままで仏なんだ、そう考えた。
3. 360度の転換
――禅では本来の自己と現実の自己の関係づけが、「梅干しおにぎり」「五目おにぎり」「天むす」と変遷していったわけですね。
4. 無を根底とする
――ここでちょっと20世紀の禅についてもお聞きしたいのですが。西田幾多郎や鈴木大拙は明治以降の文明社会への対抗原理として、西洋列強諸国に対する日本人のアイデンティティのひとつとして禅を捉えていたのではないかとのことですが、その西田や大拙の考えとはどのようなものだったのでしょうか。