ミクロ、マクロ、マルクス

――私が何も知らないので基本的なことからお聞きしたいのですが、よく耳にする「ミクロ経済学」と「マクロ経済学」というのはそれぞれどのようなものなんですか。

 まず、ミクロ経済学では「個人」を単位にして経済活動を見ていきます。その根底にあるのは個人主義で、つまり、社会を要素に還元していくと最終的には個人が残ると。そもそもこの理屈が合っているかどうかも大きな問題ですが、一旦置いておくと、消費を担う個人と生産を担う企業、この両者がそれぞれの動機を持ち、市場でモノやサービスを介して出会うことをモデル化して見ていく。これがミクロ経済学で、端的に言うと市場の分析をする学問ということになります。

 一方のマクロ経済学は国家を単位としていて、国全体でどれだけのものを生産しているか、国内の雇用状況や景気の動向はどうか、企業が資金を調達し、どれだけの投資を行ったのかといったことを見ていきます。そのときに用いられるのがGDP(国内総生産)やGNP(国民総生産)といった指標で、これらの数値の変化のメカニズムを解明したり、一国の経済の動きを捉えたりするものです。

 ――個人や企業を単位とするのがミクロで、国を単位とするのがマクロだと。もうひとつ、「マルクス経済学」というものもありますよね。

 マルクスは一人の経済学者というか哲学者なので、それでいうと経済学者の数だけ○○経済学があることになりますが、彼が『資本論』で取り組んだ資本主義の分析が、その後の経済学者はもちろん、各国の体制や政策などに大きな影響を及ぼしたので、特別にこのように呼ばれています。その後マルクスの議論とミクロの「ゲーム理論」を組み合わせるなど、いろいろなバリエーションが出てきましたが、基本的には資本主義を批判するために分析するという立場です。

  マルクス経済学は資本主義について、「先進国」が強引に推し進めてきたものとして批判する立場をとりますので、負の影響を被る国々やコミュニティーなど、かつての「第三世界」や「新興国」と呼ばれる側の視座に立ちます。かつてマルクスは「万国の労働者よ、団結せよ!」と呼びかけましたが、現在ではその「万国」のあり方も一様ではありません。今や、新興国の人びとなどが欧米的な世界観・価値観へのカウンターを形成する理論的支柱を、マルクス経済学やそこから発展した考え方が担っているという状況です。

――ミクロとマクロは資本主義の下でどのように市場を広げ、国の経済成長を実現するかという学問であるのに対し、マルクス経済学は資本主義そのものを批判するわけですね。

 そうですね。経済学の誕生には諸説あるのですが、大枠をつくったのがアダム・スミス(1723-1790)だとして、スミスが生きた時代はまさに資本主義や市場経済が大きく発展していった時期でした。その時期に経済とは何か、あるいは富を蓄積するとはどういうことかといった問いから経済学が始まり、まずは富の蓄積のメカニズムの解明を目指して、後にその問いの前提への批判的な議論が生まれました。およそ自然な流れだと思います。

 ホモ・エコノミクスの「誕生」

 スミスが主著の『国富論』を著したのは1776年ですが、人類の歴史で見ると、この18世紀というのは地球上の人口が飛躍的に増加していくとば口にあたります。さきがけとなったのがイギリスで、産業革命によって生活に必要なものが大量に生産できるようになり、ロンドンなどの都市も近代的に整備されていきました。

 スミスが生きた時代はまだ農業が中心でしたが、インダストリーが徐々に存在感を増していく時期で、彼は生産や労働がどのように変化していくのかを見ようとしたのでした。自然を相手に作物を育てる農業と、工場に人を集めて原料(=自然から搾取した物)を加工する工業とでは、働き方がまったく異なりますから。

 スミスは元々モラル・センチメント(道徳感情)を研究しており、主著の『国富論』の前に『道徳感情論』(1759年)という本を書いています。つまり彼は人間の中のことから次第に、外界つまり自然と人間あるいは自然と社会との関係に目を向けていったといえるでしょう。いまの言葉で言うエコロジーの観点を含んでいますね。そうした視座から、インダストリーによる人間や社会の変化を捉えようとしたのです。

 ――ちょっと意外ですね。スミスといえば「見えざる手」なので、市場主義の権化のような人物かと思っていました。

  スミスは慧眼で、200年先を見通していたとも言われています。彼がインダストリーによる変化を捉えるためにモデルとしたのが「ホモ・エコノミクス」、つまり自己の利得を最大化するように行動する人間のモデルです。

 農業社会では、ほとんどの人が生まれた土地で一生を送るので、そこで共に生きる他者へのシンパシー(同情)やエンパシー(共感)が重要な要素だったと考えられます。しかし、産業化・工業化によって人びとが「自由」に移動できるようになると共にそれらが薄まり、自分自身の利益や欲求を考えて行動することが必要になっていきました。これをモデル化したのがホモ・エコノミクスで、さらにはそれが、さきほどミクロのところでお話した「個人」につながっていくわけです。

 とはいえ、ホモ・エコノミクスはあくまでも抽象化した人間像であり、現実の人間にはモラル・センチメントも、他者への共感感情も、あるいは階級による意識の違い(イギリスは階級社会なので)も、もちろんあります。スミスはそれらをすべて踏まえた上で、富を蓄積する人間の思考や行動が社会にどのような影響を及ぼすのか、考えたかったのでしょう。

――社会の産業化が進んだことで、他人への思いやりより、どうすれば金を儲けられるかが大きな関心ごとになっていったわけですね。でも、自分がつくった農作物や日用品を市場で売ってお金にするということは、ずっと前から行われていたと思うのですが。

 はい。シルクロードを思い出すとわかるように、市場や貿易といったものは紀元前からありました。では18世紀以降で何が変わったのかというと、市場に並ぶものの大部分が「商品」になったのです。つまり、自分たちで消費するためではなく、最初から市場で売って儲けるために作るようになった。これが社会の産業化であり、商品の飛躍的拡大を支えたのが、工場による大量生産です。大量生産には多くの人手(=工員)が必要となるので、それを確保するために「賃金」というものも一般的になりました。

 ――庶民の生活が、自給自足から、工場労働による賃金で商品を購入するものへと変わっていったわけですね。『国富論』(原題は『The Wealth of Nations』)にある「富」(wealth)という概念が出てきたのもその頃だと考えていいですか。

 そうですね。「富」は元々、ある所に物がいっぱいあるとか、国に人がたくさんいるという意味だったのですけど、スミス以降、商品として売れるものが富だというのが次第に一般的な認識へと変わっていきました。そして、いかにして富を蓄積するかが経済学のメインテーマになっていったわけです。もっともイギリスの中でも、19世紀になってからでも、ジョン・ラスキン(1819‐1900)のように「生なくして富なし」、つまりいのちこそが富であると主張した人もいました。とはいえそれは少数派でした。 

――結果、お金さえ払えば手に入る商品(人間の労働力も含め)が世の中の大半を占めるようになっていった。

 そのことを基本的に肯定的に捉えていたのがスミスやデヴィッド・リカード(1772-1823)、ジョン・スチュアート・ミル(1805-1873)らであり、一方で商品が内包する問題を見抜き、資本主義を徹頭徹尾、批判的な立場から語り直していったのがマルクスでした。

 マルクスの発想は20世紀のジョン・メイナード・ケインズ(1883-1946)にも一部引き継がれているといえます。ケインズは資本主義が根本的に駄目だとまでは言いませんが、個人の消費より国や社会の大きなダイナミズムに目を向け、また人間には富の蓄積よりも大切な活動が他にあると考えていました。これらの点では、マルクスにも通じるものがあると思われます。