――今日は「言霊」とはどういうものかということについて、いろいろお聞きできればと思います。先生は言霊の底流にはアニミズム的な言語観があるとおっしゃっていますね。アニミズムというとふつうは生き物ではない物体や物質に生命を見出すものだと思ってしまうんですが、それだけではなく、風や雷といった自然界の音にまで生命を感じたのが言霊の起源ということになるのでしょうか。
生命をどう捉えるかというときに、ふつうは有機体的な、つまりある関係性を持って互いにフィードバックし合うような、そして、自己組織化や自己複製といったものを行うことのできる力と構造みたいなものが生命だ、というのが現代の一般的な理解だと思うんですよね。そういうフィジカルな生命観がある一方、さまざまな物がダイナミックに流動してる世界にはフィジカルではないものにも生命があるんじゃないか、というのが古代からの考え方です。
――フィジカルではない、つまり物質的ではない生命もあると。
言い方を変えると、われわれは二元的に「フィジカルとスピリチュアル」というふうに分けてしまいますけど、そういう分け方ではない、もっと混然一体とした世界の捉え方があったと思うんですよ。
われわれはコミュニケーションをしますが、今だとコミュニケーションはいくつかの次元に分かれていますよね。バーバルコミュニケーションとノンバーバルコミュニケーションとか、サインのようなコミュニケーションと言語的に分節された世界のコミュニケーション。そこに知性や認識がどう作用するかということを認知科学や心理学、神経科学といった領域でやってるわけです。
でも、そういう分け方、近現代的な分け方を超えて、われわれの世界の構造というものをもっとざっくりと、あらゆるものが生きている宇宙エネルギーの変容とか流動といったものとして捉える世界観が考えられるんじゃないかと。
――なるほど。
言語というのは宇宙エネルギーが変容した「花」みたいなものなんですよ。なので、その花を通してすべての生命に通じることができ、力の授受や気の受け応えをすることができる。霊の世界においてもこの世の物質の世界においても、そういう流動性とフィードバックとリサイクルみたいなものが循環している。古代からのこういった世界の捉え方の中に言霊も組み込まれているということだと思います。
――すべてのものは流動的に変化して、互いにコミュニケートし合っている。
自己言及し合うというか、リアクションし合っているわけですよ。そういう反応や相互関係性みたいなもののダイナミズムを、われわれはどうしても解析したり分析したりと要素還元的に考えてしまう。ひとつひとつの要素に分解してそのメカニズムを捉えようとするわけですが、そうではなくて、この全体像の中に働いている大いなる力や大いなるエネルギーをそのまま感じ取ることだってできる。すべてはホワイトヘッドが言うように実在でもあり過程でもあるようなものであって、生命的な実在は変容する過程そのものなんです。現象即実在というか。
――言語と生命は別々のものではないと。
こういう考え方が根底にあって、その一部分がアニミズム的な、私は「言語生命観」とか「言語アニミズム」と言っていますけど、そういうふうなものだと思うんですよね。言語は人間だけに特別なものではない。動物も、草木も、石も、存在してるものはみな語る。風も雲も星も。だから、宇宙言語というものがあって、言霊というのはその宇宙言語の日本人的な捉え方の一つだと思います。
解像度
言霊思想の元になるのは人間がいかにコミュニケーションすることができるか、人間的なコミュニケーションというのはどういう幅を持っているのかという問題だと思うんですよ。宗教が生まれると神の言葉を聞くという体験が語られるようになります。これは神というふうに概念化されていきますけども、要するにわれわれの次元とは異なる世界の言語があるってことですよね。
――そうですね。
われわれの世界の次元に神の言葉が、何らかのメッセージが入ってきて、われわれの世界の言語に翻訳される。どこかに人間の次元とは異なる次元の世界があり、われわれはそこからの呼び掛けをキャッチしたり、それに応答したりすることができるわけです。
そのときふつうは神を上にして、草木や土は下に置きますよね。人間がその上にあると思ってるから。でも実際はそうじゃなくて全部同じなんだというのが根本の考えですが、仮に上下の軸を設定したとするなら、上からも下からも声は聞こえてくるよということです。
――草木も石も語るわけですもんね。
全方位が声、宇宙そのものが声なんだと。そのことを空海は『声字実相義(しょうじじっそうぎ)』の中で、「五大に皆響き有り、十界に言語を具す、六塵悉く文字なり、法身は是れ実相なり」と表しました。
――宇宙というとどうしても空間的に捉えちゃうんで、音が宇宙ってどういうことだろうって思ってたんですけど、今のお話をお聞きすると、宇宙というのは空間的なものだけではないんですね。
空間も時間も全部包含しているひとつのものですよね。
――そういうことなんですね。
空間というとわれわれは1次元なのか、2次元なのか、3次元なのかというふうに言いますよね。1次元が線の世界、2次元が平面、3次元が立体、その3次元に時間の軸を加えて4次元といったところまでがふつうにイメージできるものですけど、数学や物理学ではさらに高次元を構想してるようですから、われわれが今捉えている世界がすべてではない。この世界はわれわれの個々の感覚、いわば「解像度」によって規定されているわけなので、それをもっと開くか、あるいは変形した場合に世界が違うように見えてくるのは当然だと思うんですよ。
60年代、70年代のサイケデリックはそれをドラックによってもたらした。われわれの感覚のありようを変容することによって、瞑想もその一つの手法だと思いますが、薬物によって変容させるか、瞑想や滝行によって変容させるかは別として、そこで解像度の変化が生じるわけです。
――解像度という捉え方は面白いです。
解像度は子どもから大人になっていくときにも変わると思うんですよね。多少は日々変わってるはずなんです。言霊を感受するというのも、その解像度が開かれてる状態の一つだということになるのでしょうね。