――今日は戦争の歴史というか変遷史、戦争がどこでどのようにして始まり、時代と共にどう変わってきたのかについてお聞きしていきたいと思います。まず、戦争とはそもそも何なのか、といったところから教えていただけますか。
戦争については、このひと言でいろいろなことが語られますが、まずは日本語の「戦争」が何を指しているのか、これをはっきりさせないと話が始まらないんですよね。この言葉は明治期にできた造語というか翻訳語です。
この時代の日本は西洋の技術や制度を採り入れようと必死だったわけですが、それには向こうの世界観や価値観を理解し、それを日本国民に浸透させていく必要がある。そのために、たとえば「社会」とか「文化」、「自由」、「権利」、「哲学」もそうだけれど、そういった観念を日本語に取り入れなければならない。「戦争」もその一つです――ただ、戦争という言葉がまったくなかったわけではなく、昔の漢籍では少し使われています――。
それまで日本では「役」や「乱」や「変」、もっと一般的には「戦(いくさ)」といった言葉が使われていたのですが、これらでは、英語の「ウォー」やドイツ語の「クリーゲ」といった概念を表現できなかったわけです。
――「戦争」と「乱」や「変」は別ものだと。たしかに「応仁の戦争」とか「本能寺の戦争」とはいいませんね。この言葉が実際に使われるようになったのはいつからですか。
実際に使われるようになったのは日清・日露戦争以降です。それ以前にも戊辰戦争や西南戦争等があったわけですが、これらは元々は「戊辰の役」「西南の役」と呼ばれていたものが、後に戦争に置き換わったようです。
ではこの「戦争」という新しい言葉で何を言おうとしたのかというと、国家間戦争です。日清戦争・日露戦争というのは、日本が近代国家になってすぐにやった二つの対外戦争ですね。「役」や「乱」や「変」は基本的に日本の内側の争いです。ただ、「役」はいわば「夷狄(いてき)」討伐で、要するにはっきりした国境概念がないんですね。それはともかく、明治維新を経て日本は近代国家となり、政府の戦いは他国との衝突になった。そこでは「役」「乱」「変」は使えないわけです。
なので、弥生時代にも戦争はあった、という言い方ももちろんできるのですが、それは比喩的な使い方であって、「戦争」という語が本来指し示しているのは、あくまでも国家間戦争です。実際、英語の「ウォー」もこの意味で使われていたので、新語が必要になった。その際、戦争の主体は必ず国家であり、国家がやるかやらないかを決めるわけです。英語ではシビル・ウォーというのがありますが、それは「内戦」と訳されます。
ウェストファリア体制
近代のヨーロッパは国境によって分かたれた主権国家がそれぞれの領土を一括統治し、互いの主権を尊重しながら競り合うという体制を作っていました。これに関して、「国際法の父」といわれるグローティウス(1583-1645)は、『戦争と平和の法』という本を書いています。つまり、国家間では平和の秩序の中で交渉や話し合いというものがあり、それが破綻すると戦争になるけれども、戦争もやり放題ではなく、戦争には戦争のやり方があると。
つまり、戦争も一つの法状態であるとして、国際関係というのは平時の法体系と戦時の法体系の二つが組み合わさってできている、というわけです。こうした考えがベースになって、戦争を始めるときには宣言をしないといけない(宣戦布告)とか、戦争は戦闘員(兵隊)がやるものであり、軍服を着ていない市民を殺してはいけないとか、捕虜は後で交換するとかいった決まりができてきたわけです。
――戦争にもルールがあるということですね。
そう。正当な手続きを踏み、ルールに従うのであれば戦争はしてもいい。やってはいけないという決まりはなかった。むしろ、戦争をするのは国家の権利であり、お互いにルールを守って正しく戦争しましょうと。ただ、戦争をやるには何らかの目的があるわけですが、勝てる目算がなければ当然やりません。損しますから。
たとえばA国がより強大なB国との間で抗争になりそうだとすると、A国はB国と敵対しているC国と手を握るでしょう。それによって勢力がつり合えば、B国は戦争をしても勝つ目算が立たないから、ちょっとやめておくかとなる。つまり、道義的な理由というより、損得勘定の結果生じる勢力の均衡によって、戦争は自然に抑止される。これはドライで合理的な考えですが、こういう体制が宗教戦争――神の名における戦争――の時代の後にできた。主権国家によって形成されるこの秩序のことを「ウェストファリア体制」といいます。
ヨーロッパの国々はその圏内ではそうしたせめぎ合いをしながら、キリスト教を広める、つまり救済をもたらすという名目で外の世界へと進出していきます。心の底まで闇に沈んだ黒人たちに神の光をもたらしてやるといって、アフリカやアジアに展開し、植民地として支配していくわけです。「極東」はその最後になるのですが、その植民地化の波がやって来た時に日本はどうしたかというと、西洋の国際秩序を形成するメンバーに加わり、列強と競争してゆく道を選んだ。そうしなければ、対等の国家として認めてもらえなかったわけです。
――それで明治以降必死になって近代化を進め、日清・日露戦争の勝利によって、晴れて列強の仲間入りを果たしたわけですね。
そういうことです。このように、戦争が国家間の争いであるということは、国家は戦争のために、国民を一つに統合して動員する必要があるということです。つまり、戦争には必ずナショナリズムがくっついている。近代以降の戦争を考える上で、このことは非常に重要です。