地球上で豊かに暮らし続けるために現代文明のありようを見直すなら、農耕の始まりに問題があったということが見えてきました。それを土から考え直すことで、土木・環境ともつながる文明全体の見直しができるはずであるという見通しも立ちました。このような見直しに必要なのは、拡大・成長・進歩と支配・征服・操作からの脱却です。これらは、人間が自然の外にあり、自然を手なずけ、飼いならす存在になるということですし、この延長上では人間自身も飼いならされる存在になります。
「私たち生きものの中の私」は自然の中にあるわけですから、近代化の路線から外れて自然を巧みに生かした循環の中で豊かさを求める道を探ることになり、ここで浮かび上がるのが土なのです。文化・文明をもつ人間としての生活は、まず農耕から始まりますが、食べものづくりだけが生活でないのはもちろんです。家族が共に暮らす家づくり(土木・建築)に始まり、さまざまな道具、更には機械をつくる作業が必要です。生活を支えるエネルギーも不可欠です。土に注目して農業を始める新しいサピエンス史は、家も道具もエネルギーも土から離れずに考えていくことになるでしょう。このような社会の大枠を見ていきます。
土を育てる
拡大・成長・進歩・支配・征服・操作という言葉を排除する(念のため、進歩ではなく進化をしますので、新しいものを生み出していくことはもちろんです。生きものがバクテリアから人間まで多様なものを生み出してきたように)なら、基本は生きものとして生きるのに適した地域コミュニティの集合体として社会を構成するほかありません。地球上のさまざまな地域の特性を生かした多様な社会です。進歩から進化への転換の鍵は多様です。
それぞれの地域が、その地の自然に合った形で足腰の強い、豊かな、持続する生活基盤をまず農業でつくります。土を生かす農業については最近多くの試みがなされており、本もたくさん書かれていますが、ここでは『土を育てる』を参考にします。著者ブラウンは、アメリカノースダコタ州にある、義父母から譲られた農地で農業を始めます。数年後、友人から土の力を生かす「不耕起栽培」を勧められた時、それを理にかなっていると受け止めます。農家出身でないために先入観を持っていなかったのがよかったと書いています。最初の4年間は「壊滅的」(著者の言です)だったけれど、神を信じて過ごしたとのことです。しかし結局、地球上にあるすべての命は土あってこそのものであると分かり、土を育てる道を選ぶのです。今ではそれを広める役割をしています。体験から得た健康な土を保つ5原則は、次の通りです。
1.土をかき乱さない
土にある団粒構造(水はけがよく保水性に富む微小な塊状)や孔隙(水が浸みこむ隙間)など、土本来の構造を壊すと、土壌流出が起きる。
2.土を覆う
植物で覆うこと。これがないと、水や風で土が流され飛ばされる。覆いがあれば土の温度変化が和らぐ。これが植物にとってベストな生育環境をつくる。
3.多様性を高める
自然は多様なものだ。農業では寒さと暑さそれぞれに強いイネ科作物と広葉作物、つまり4種の作物を作るとよい。植物の多様性は7〜8種類になると相乗効果が生まれ、健康状態、機能、収量が向上する。
4.土の中に「生きた根」を保つ
いつも植物があるようにすることで土に炭素を送り込むこと。もう一つの目的は菌根菌をふやすこと。
5.動物を組み込む
ウシやブタやニワトリなどが草を食べている状態をつくることで、土の炭素量が増え収益性が向上した。
この5項目が満たされていると、水・炭素・ミネラルの循環、エネルギーの流れ、生態系における生物の複合的な関係が自ずと良好になることが分かりました。数値を計測して管理するのでなく、すべてが自然に動いていくようにするわけです。
「脱炭素」という言葉があらゆる場面に登場する昨今ですが、『土を育てる』では「土に炭素を送りこむこと」が最良のこととして語られています。土の中に有用な炭素が充分にあればそこから豊かな作物が生まれ、それを食べた私たちが健康に暮らせるのです。炭素は私たちにとってそのように重要な存在として語られるはずのものなのです。「脱炭素」は機械論で動く技術の中にどっぷり浸かっている人から出てくる言葉であり、「私たち生きものの中の私」としての生き方から離れたものであることをここで再確認しておきます。
アメリカの広大な農場を30年かけて「工業型農業」から「自然に近い農業」へと変身させた体験を書いたという著者は、この原則はどこにもあてはまるが、あなたはあなたで考えて欲しいと言っています。これが重要です。ここにこれからの道が示されているのは確かであり、事実この流れはできています。けれどもここで重要なのは、一人一人が私として考えることであり、これからの社会はこのような形になっていくことでしょう。まさにこれはその具体的な姿です。
著者は、日本の農哲学者、福岡正信の『自然農法 わら一本の革命』を大きな支えとしてきたと言っています。この本は私の本棚にもあります。福岡正信の4大原則は、不耕起、無肥料、無農薬、無除草です。ブラウンと基本は同じですし、日本ではこの流れで、自分で考えながら自然を生かす農業をしている方たちが少なからず存在します(ここでは名前はあげませんが)。ただ、ブラウンが科学の方を向き、その成果を取り入れる態度を明確にしているのに対し、日本では、自然農法はストイックなイメージで受け止められ、広がりが難しい状況になっているような気がします。誰にでもできるという位置づけが重要です。
先回触れた農民作家、山下惣一さんの考えをまとめた『聞き書き 振り返れば未来』には、「農業は総合理性」だという立場からの日本での農業の実態と、土を生かした自然農法の重要性が指摘されています。このような捉え方をして、これからの日本の農業を科学を基盤に置きながら自然を生かすという流れで考えていくことが未来を明るくするのではないでしょうか。
山下さんの考え方を象徴する言葉が「百姓」です。差別用語のように言われていますが、本来、貴族以外の普通の人を指していたものであり、むしろ農家として分離され、それが更に専業だ兼業だと分けられるのでなく、生活する者として百姓という言葉を使いたいという考え方です。分離せずに私たちとして考えていくというところは、この連載での考え方と同じです。
自然に目を向けたもう一つの流れとして、「アグロエコロジー」があります。生態系全体を意識し、土や水を生かすという考え方で、具体的には有機栽培を行うという取り組みであり、ブラジルを初め、いわゆる「途上国」での実践が進んでいるのが興味深いところです。一方、フランスが2014年に制定した農業基本法には、アグロエコロジーが経済と環境を両立させる地産地消型小規模農業として位置づけられているなど、ヨーロッパにも広がりつつあります。
サピエンスとしての歴史を見直す
近代化に合わせて進歩や自然の支配に象徴される価値観を持ち、世界各地で一律化の方向に向かい、工業化してきた農業に対して、土に根ざした本来の農業を求める動きが、さまざまな形で出ていることを見てきました。それでもこれが現在の農業のあり方の根本的な見直しという農業全体の動きにならないのは、現代社会を支える世界観が転換していないからです。現在、サピエンスの歴史は「機械論的世界観」で動いているのであり、その中でこれまで示してきたような農業のあり方を提案しても、全体を動かすものにはなりません。
「私たち生きものの中の私」、つまり「生命誌論的世界観」を持つことがこれを可能にするというのが、この連載での提案です。考えたいのは農業の転換ではなく、農耕社会から始まったサピエンスとしての歴史の見直しです。1万年前に農耕を始めた時は、恐らく日常感覚として「私たち生きものの中の私」であったでしょう。いわゆるアニミズムです。けれども、進歩と支配という価値観の中で国家権力が生まれ、科学革命、産業革命の中でそれは消されてしまいました。
21世紀になって、科学に基づいて生まれた知である生命誌が、新しく「私たち生きものの中の私」を浮かび上がらせたのです。そこで行われる農耕は、自ずと今回紹介した形のものになるはずです。土についてよく知り、そこで育てる動植物についての研究を進め、作る人、食べる人共に豊かさを感じられる暮らしを生み出すと共に、動植物たちも生きものとして生き生きと存在する姿を見せている状態を思い描きます。「生きものとしての農耕」と呼びたいと思います。
アグロエコロジーを「水や土や生態系全体の一部としての農業の営み」と位置づける著書の中で、農業・資源経済学の西川芳昭龍谷大教授が生命誌に言及しています。本稿でも紹介した内発的発展論と近代科学を結ぶものとして生命誌を取り上げ、これを農学原論の基本に置き、山下さんが語る百姓のもつ「天地有情」の世界観を共有できる時、近代化農業とは異なる新しい農業、実は本来の農業となるという考え方を示しています。農業経済の専門家が同じ考え方を出して下さっていることを心強く思います。
「生きものとしての」暮らしを考える
農耕と同時に、家に始まる集落作りなど、さまざまな暮らしを支える土木もまた「生きものとしての土木」が行えるだけでなく、現実に行われていることは先回紹介しました。
エネルギーも、この流れの中で考えるなら、地産地消が原則です。二酸化炭素の排出抑制は喫緊の課題であり、今後もそれを続けなければなりませんが、大型の原子力発電所は、福島での事故を体験した今、そのままの形での運転は考えられません。事故から12年経過した今も、まだ明確な対応策が出されておらず、事故の実態が明らかになればなるほど、予測不能の事態が起きることを考えないわけにはいかないからです。廃棄物の問題も含めて、核分裂によるエネルギーの活用は、「生きものとしての技術」として可能なのかということを基本から考えて、納得のいく答えを探す必要があります。科学技術としての徹底議論をせずに現在の技術を使い続けることは許されないでしょう。
ここで太陽・風・水・植物など自然界のエネルギーの活用に眼を向けるのは当然ですが、ここでも拡大指向を止め、「生きものとしての」という判断、つまり「生命誌的世界観」への転換が前提です。太陽エネルギーはフルに活用することが望まれますが、忘れてはならないのは遍在性です。もちろん気候によって日射は異なりますから、地域ごとに具体的な活用度は異なりますが、日本列島を考えたら、太陽熱温水器の全国での活用が出発点になるでしょう。
太陽というとソーラー発電、しかもメガソーラー発電となりますが、そこで生まれた電気は電力会社を通して家庭に届けられ、お湯を沸かすことにも使われます。私の子ども時代には、夏に庭にたらいを置いておき、温まったお湯で行水を楽しむという風景が見られました。遊び感覚ですが、これを体系化すれば、それなりの効果が出るはずです。小さなこと、一人一人が自分のこととして参加し責任をもつことが、「生きものとしての」技術の基本です。連載の最初に書いた「他人事はどこにもない」という社会です。
朝起きて着換えをする時寒くないように、寝室を空調で暖めておくのが今の暮らし方でしょうが、私は小さな電気ヒーターの前で着換えます。ベッドメイキングまで含めて10分足らず。以後この部屋は夜まで使いませんから、暖かい必要はないのです。大事なのは私が寒くないことであって、部屋全体が暖かいことではないと考えて行動すると、セーターを一枚着ることが答えになる場合もあります。震えながら暮らす必要はありませんが、部屋中、時には建物中の空気を暖めることが快適に暮らすことであると思い込むと、「生きものとしての」暮らしにはなりません。
エネルギー問題を考えるところで、みみっちいと言われそうな話になってしまいましたが、エネルギー・ミックスなど大きな話はたくさん出されていても、「あなたはどのように暮らしますか」という問いなしにそれを語ることには意味がないと思ってのことです。
昭和の頃に大工さんが建てた、近隣の森の樹からつくった柱と土の壁の家を再生している建築事務所の方が、そのような家に暮らす若者が、どこかなつかしいと言い、家の中で風を感じることを楽しむようになると話してくれました。ゲノムの中に何かがあるのでしょうかと問われてもハイとは答えられませんが、「生きものとしての私」の中に五感、いや六感で自然を感じとるものがあることは確かであり、それが暮らしの中でどのように現れるかは、環境によるとは言えます。
生きものという切り口で考えることの大切さを思うと、いつも頭に浮かぶのが子どもたちです。東京と京都の間の新幹線往復を26年間、毎週続けてきた中での小さな体験はたくさんありますが、その一つに子どもたちの変化があります。以前は電車の中を走りまわったり、お母さんに大きな声で話しかけるので、夏休みなど、今日は子どもがたくさん乗っていると分かったものでした。ところが最近静かなのです。小さな人もスマホやタブレットを見ていることが多く、ほとんどそこから目を離さない様子に驚きます。富士山が見えているからちょっと目を上げるといいのにと、余計なことを考えることもよくありました。
そのような状況ですけれど、実際に生きものが長い時間をかけて進化してきた話をすると、目を輝かせて聞いてくれて、その中からハチやアリなど自分が実際に見たことのある生きものの話を楽しそうに話してくれます。この感覚は誰もが持っているものであり、生きものと接する機会さえあれば育つものです。道端のダンゴムシ、駐車場の隅で小さな花をつけているカタバミなどでもよいのです。子どもたちを土から離さないことは、大げさでなく人類のこれからにとって大事なことです。生命誌を通して、世代が違っても同じものを見ているという確信がもてるのはありがたいことです。
検討しなければならないことはまだまだありますが、現代文明、特に現在の新自由主義、金融資本主義、科学技術振興で進歩・拡大・支配を進めていく姿の先に未来は見えません。ここで、そのオルタナティブを探るのではない未来を描き、現実にしていく必要があります。オルタナティブ、「もう一つの道」ではないのです。レイチェル・カーソンは、いみじくも「別の道」という言葉を使いました。それは原点に戻って、「生きものである人間」として考える道です。
農耕を始めとして生活のすべてを考えなければなりません。それを一つ一つ進める作業は、現実に起きている変化の中に芽を見出していくことです。当初考えていた2年を過ぎましたので、今回の連載はここで終えます。次は「私たち生きものの中の私」という視点で農業、土木、教育などの具体を見ていく作業をします。やらなければならないことは見えてきていますし、それらを重視している人の実際の活動に学びながらどんな社会が作れるか考えていきたいと思っています。それらがまとまったらまた聞いて下さい。次回、これまでを振り返ってまとめを書き、連載を一度終わらせていただきます。コメントなどいただけましたらありがたく思います(info@toibito.comまでお送りください)。よろしくお願いいたします。
<参考図書>
(1)『土を育てる』ゲイブ・ブラウン:著 服部雄一郎:訳(NHK出版)
(2)『自然農法 わら一本の革命』福岡正信:著(春秋社)
(3)『聞き書き 振り返れば未来』聞き手:佐藤弘(不知火書房)
(4)『人新世の開発言論・農学原論 ─内発的発展とアグロエコロジー─』北野收・西川芳昭:編著(農林統計出版)