――中国はもともと儒教の国なので、インドから仏教が持ち込まれた時に反発が生じたという話を聞いたことがあります。
家族を捨てるとは何事だと。ほら、お釈迦様は出家をして悟ったでしょう。父母を大事にして跡取りを残し、一族を栄えさせるのが儒教だから、家族を捨てるのはとんでもないことなんです。
それに対して仏教側は必死で言い訳をする。『孝経(こうぎょう)』という親孝行を説いた儒教の経典に、一番の親孝行は親を有名にすることだと書いてある。お釈迦様ほど親を有名にした人がいるかと。
――なるほど(笑)
そもそも、「孝」という言葉はインドにはないんです。恩返しっていう言葉はあるけど。親、兄弟、先輩、先生、王様……、誰に対してもインドは恩返し。でも「孝」は親だけ。中国ではとにかく親は特別です。
それともう一つの違いは、中国では国王の力が強い。インドは国王も強いけど、それより宗教者のほうが権威は上です。
――『ヴェーダ』の影響ですね。
本当に偉いバラモンと接するとき、インドの王様は、そのバラモンのドロだらけの足に頭を付けなければいけない。でも、中国ではそんなことはしません。日本でも絶対にしない。王の方が上です。すると、王をいかに擁護するかというのが仏教の仕事になる。
仏教が入ったころの中国では、偉いお坊さんのいる国は栄えるという考えが広まっていました。すると、そうしたお坊さんを奪い取るために戦争する、といったすごいことになるわけです。
――家族を捨てて修行しなさいというのは、インドの部派仏教の考え方ですか。
釈尊の仏教と部派仏教がそうでした。大乗仏教の方は、家の中で修行をしていてもいいわけです。ただ、後になると大乗でも出家して修行する人たちが出てきます。
――それで中国では、大乗仏教が主流になっていくと。
やっぱり儒教的な面が重要でしょうね。儒教は、上から目線ですけど、他人のこと、民衆のことを考えてあげなければいけない。それが、すべての人を救うという大乗の考え方とマッチした。むろん、仏教を受容する際は、逆説的な老荘思想と否定の多い般若思想が似ていたといった面や、神仙思想との類似なども大きいです。仏は、最初は神仙思想の影響で、空飛ぶ仙人のようなイメージで受け止められますし。
それと、大乗経典を漢訳した鳩摩羅什(くまらじゅう)の役割が大きい。中国でも、伝統派の中には、大乗仏教は悪魔の説だと言う人がいました。でも鳩摩羅什が『法華経』『般若経』『維摩経』その他を訳し、大乗を推奨したことで、結局大乗が主流になっていったんです。実はインドでは最後まで部派仏教の方が有力だったんですけど、中国の人はそんな実情を知りませんからね。最も優秀な羅什が言うんだからそうなんだろうと。
――儒教というのは簡単にいうとどういう教えなんでしょう。
儒教は現世主義であの世のことは考えない。分からないことは言うな、神秘的なことは言うな、この世で励むのだと。第一に親孝行、次に忠義、仲間内では信義を守り、自分より下の人は思いやってあげる。徹底して現世での生き方の指針です。
――親孝行をいちばん重視するのはなぜですか?
中国では「孝」は宗教なんですよ。日本で親を大切にしないといったら不道徳ですよね。でも、中国の場合は罪、犯罪なんです。親が自分の子どもを「不孝」で訴えるわけです。うちの息子は嫁の言うことばかり聞いて私に仕えない、不孝であるって訴えると、役人が息子を連れて行って罰するわけですから。
――法律みたいですね。
法律で、かつ世界の根本原理なんですよ。
――そこには権力が民衆を支配するため、という側面もありますか。
皇帝は「民衆の父」という位置づけですからね。ただし皇帝より、本当の父のほうが上です。どっちを取るかと言ったら、儒教は自分の父を取る。
――そうなんですか!?
『論語』にはっきり書いてあります。君主がもしも間違ったことを言ったら3回諫めて、それでも聞かなかったら国を出なさい。親の場合は3回諫めて、受け入れられなければ泣いて従いなさないと。
――それほどまでに、親は絶対なんですね。
韓国もそうですよ。日本だと自分の親は下げないといけないので、私が目上の人と話すときは「うちの父はこれこれしております」ですけど、韓国では大統領と話すときでも、「私のお父様は何々していらっしゃいます」です。孝がなによりも上。
――それは仏教が入ってきても変わらなかったと。
韓国がそうした儒教国家になったのは李朝あたりからですが、中国では仏教が入って来た頃は既に儒教が主流でした。だから、仏教こそ本当の親孝行の教えであるといった擬経(インドの経典になぞらえて中国で作成されたお経)をどんどん作った。そして、仏教は地獄や餓鬼の世界で苦しんでいるかもしれない親を救ってあげるのだから、こんな親孝行なものはないと説いたわけです。
神と仏
――仏教は朝鮮半島を通って日本に伝わったとのことですけど、朝鮮半島の仏教の特色としては何がありますか。
いくつかありますけど、一つは護国仏教だということ。朝鮮半島にはいくつもの国があって対立し、しばしば戦争していたうえ、中国からも攻めてくるわけですから、国を守るというのが大事なんです。それと、在来の民間信仰とくっついて混ざる。これはどこの国でもそうなんですけれども、韓国では特に強い。
花郎という新羅の青年修養団体が有名なんですけど、彼らは弥勒(みろく)信仰でありながらも、儒教を尊重し、天をまつる。山を駆け巡り、法要では情緒的な歌を歌ったり踊ったりするんです。そういった、諸宗教を習合している人たちがいたようですね。これが後に風水思想とつながります。
――日本ではそれこそ蘇我馬子と争った物部守屋が、土着のというか、在来の宗教を守ろうとしたわけですよね。
最近は、馬子と守屋の戦いは仏教が原因ではないという歴史研究者が多いですけど、仏教をめぐって対立しても不思議でありません。馬子と守屋は、そもそも天皇の後継者をめぐって争ったわけであって、仏教も対立する際の要因の一つだったと思います。
ただ、仏教の場合はそれぞれの国の神様を中に取り込んじゃうので、仏教が入ってきたからといって、必ずしも在来の神様が否定されるとは限らないんですよ。
――そうなんですね。仏教以前の日本にあった宗教というのは……
自然信仰が中心で様々でした。ただ、日本の神様の3分の1ぐらいは恐らく海外から来た神様でしょう。日本の神社で一番祀られているのは八幡様と稲荷ですけど、どちらも土着の神様じゃないですね。八幡は韓国で信仰されていた鉱山と関係が深い神様だし、稲荷だって日本古来の神様じゃない。
日本古来の神っていうのは、たとえば富士山の神とか、どこそこの風の神とか、川の神とか、巨岩が神だったりというように土地に結び付いている神のことだから、いわゆる神道は日本の在来信仰そのものとは言えないんですよ。
――八幡様は韓国で信仰されていた神だったんですか!?
渡来系の人たちが九州で祀ってました。ほかにも、延暦寺の守り神は赤山明神、三井寺の守り神は新羅明神と言って、両方とも中国の山東半島の新羅人村で祀られていた疫病や航海などの神様です。それを円仁、円珍が唐から帰ってくるときに持って来て、やがて天台宗の中心寺院の守り神になった。その天台宗が京都と天皇を守っているわけです。
――ぜんぜん日本じゃないですね。
宮中で祀っている神様の中に「韓神」っていう神がありますけど、その字からもわかりますよね。今日考えられている神道というのは、そもそも仏教がつくった。つまり、日本にはいろんな神がいるけど、それらはすべて仏や菩薩が姿を変えたものだ、というふうにして理論化していったわけです。
――本地垂迹説(ほんじすいじゃくせつ)ってやつですね。
それがだんだん逆転してきて、いや、神様がもとだと。日本の神様がインドに行って仏や菩薩になったんだっていう「逆本地垂迹説」が中世になって言われるようになり、その頃にようやく神道が確立するんです。
それまでは、神様の信仰はあっても、神道というものはなかった。これは、中国の道教も同じであって、神仙思想は古くからあったものの、現在の道教は中国の様々な信仰が六朝時代に仏教の影響によってまとめられて形成されたものです。
――ぜんぜん知りませんでした。
そういう状況は前から知られていましたが、詳しいあり方が分かってきたのは、この20年ぐらいですね。