ムラというと何が思い浮かびますか。牧歌的な風景、ゆるやかに流れる時間、濃密な人間関係等とともに、過疎や高齢化、限界集落といった言葉を想起する人も多いかもしれません。そんなイメージに呼応するように、行政や学術といった分野においても、現代の農山漁村は時代に取り残された「課題の集積地」だとする見方が一般的です。
しかし、本当にそれだけなのでしょうか。厳しい状況に置かれているのは確かです。その一方で、また確かなことがあります。それは、ムラが知恵や工夫を重ねることで、その風土に根ざした生活を、数百年間もの長い時間をかけて創りあげてきたという歴史的事実です。「人間と自然の関係」「持続可能性」「内発性」などが声高に叫ばれるこれからの時代、「課題の集積地」ではなく「知恵の集積地」として、ムラに蓄積された知恵やしくみに学ぶことも大切になってくるように思うのです。
本稿では、千葉県鴨川市大浦(漁村)と宮城県七ヶ宿町湯原(山村)の事例を通して、現代のムラがどのように人々の生活を保障しているのか、その知恵としくみについて、住民自らが創造する「住民組織」を軸にして見ていきたいと思います。
大浦の事例
千葉県鴨川市大浦(おおうら)は、鴨川漁港を擁する戸数約220戸の漁村です。一般的にムラ運営の中心となるのは部落会などの地域自治会ですが、この大浦では「大浦自治会」は、行政側からみれば存在しているものの、住民のほとんどはその存在を認識していません。さらにいうと、多くのムラにみられる年一度の総会(村寄り合い)もなければ、老人会、壮年団、青年団といった性別や年序による住民組織も存在していないのです。では、ムラの日常的で雑多な共同作業は、誰がどのようにして担っているのでしょうか。
大浦では、個人は「陸者(オカモン)」と「漁師」に明確に区別して認識されています。そのうえで、火事が発生したとき、海上にいる漁師は駆け付けることができないという理由で、消防団は陸者のみで組織されています。
一方の漁師は「かけ網」「定置網漁」「海女」「海士」「二艘まき網漁」「小型船」といった漁法ごとに「漁組」を組織しています。それぞれの漁組では漁具の共同購入や管理がおこなわれる他、ムラの神事や雑多な共同作業は各漁組から人足提供される形で実施されています。つまり大浦の日常的な共同作業は、職能集団である漁組が担うことで成立しているのです。
太平洋に直接面する大浦では大波との戦いをめぐる逸話が多く、大波で橋が落ち「陸の孤島」となった話や漁船が横波を受けて転覆し、数十名の死者をだした「蕎麦屋騒動」は今も語り草となっています。大浦の人びとは、この荒海から糧を得る術を鍛え上げてきました。そのひとつが、海中に網を設置し魚群を誘導して捕獲する「定置網漁」です。この定置網漁の漁組(正式名称は鴨川市漁業協同組合定置部)は、地元では「テイチ」と呼ばれ、数ある漁組のなかでも、ムラの人びとにとって特に重要な存在となっています。では、テイチはどのような住民組織で、大浦の生活においてどのようは役割を果たしているのでしょうか。