――先生はブータンにもよく行かれているそうですね。ブータンといえば幸福度指数の高い国として有名ですが、最近のグローバル化で変わってきたことはありますか。
いや、もう、大変な変わりようですね。
――そうなんですか。
特に、町はすごく顕著。町といってもそんなにはなくて、首都のティンプーが都市と言える唯一のものだと思うんですけど、すごく変わってきている。それは人々のライフスタイルだけじゃなくて、心のありようがね。精神的な病はかつてはなかったって言われるんだけど、今は急激に増えているようです。
そして一番大きいのは、お金への意識かな。10年前には海外へ行きたいなんて人、いなかったんですよ。ブータンにいるのが一番幸せだという気持ちが揺るがなかった。でも今は、何にも不自由がないように見える人でさえ、オーストラリアへ行ってもっと金を稼がなきゃいけないって。そういう人がどんどん出てきました。
――ブータンでさえそうなっちゃうんですね……。
日本と同じですよ。遠隔地の過疎化が進んで、土地が荒廃し、農業も成り立たなくなって……。どこの国でも、たどる道は全部同じ。資本主義とかグローバリゼーションっていうのはそういうことなんです。自給自足っていうのはお金に依存しないということなので、現在の経済の考え方からすれば、無なんですよ。意味がない、価値がないわけ。
だから、そんなの全部なくしちゃってもいいと思ってる。日本の権力者だってそう思ってますよ。表立ってはなかなか言わないけど、競争力のない農家なんてつぶれたっていい。食べ物なんか、工場で機械につくらせればいい。あるいは海外から安いの買ってくればいいでしょって、そう思ってる。
――グローバリゼーションとローカリゼーションは、言葉の上だけじゃなく、仕組み的にも完全に対立するものなんですね。地域が自給自足できるってことは、外のものを買う金を必要としないということで、資本主義を原理とするグローバリゼーション的には「悪」だと。
福祉もそうですよ。昔からあったコミュニティーの助け合いっていうのも、経済成長の観点からすれば無駄なんですよ。そのコミュニティを壊して、個々人をバラバラの消費者にしてしまえば、市場のシステムに依存するしかなくなる。
グローバリゼーションというのは資本主義が行き着いた最後のフェーズだと思うんです。資源枯渇や環境問題をはじめとする危機の中で、行き詰った資本主義が、なりふり構わず取れるところから全部取って、利益を最大化するっていうことです。ひと昔前までは資本主義と福祉、経済と民主主義や平和との両立は可能だって思えていたものが、今では、新自由主義といって、グローバル大企業の利益のためには、福祉も民主主義も伝統文化もコミュニティーも、自然環境もぶっ壊して構わない、という雰囲気が世界中に広がっているでしょ。家族だってぶっ壊しちゃえばいいわけですよ。夫婦が離婚すれば、2世帯になってものも倍要るわけだから。
――家も、車も、テレビも2台要るわけですもんね。
そのくらい徹底してますよ、グローバル経済って。バラバラになればみんな、コンビニやスーパーに頼るしかない。コミュニティーの助けがなかったら子育ても介護もできないから、大企業に丸投げする。今まで行政がやってたものは民営化して、大企業にやらせる。給食も民営化。刑務所も民営化。生老病死、ゆりかごから墓場まで、全部お金がかかる。要するにそれが、あっち側の人の理想郷なんでしょう。
――何というか、すごいですね……。私、恥ずかしながら、そこの仕組みがよく分かっていませんでした。お金に価値があるんじゃなくて、お金が価値をもつような社会にしていったんですね。
経済とは何かということについて、アリストテレスもこんなことを言っています。ひとつの地域が、今の世代だけじゃなく先々の世代まで、どうやって持続的に運営していけるか。それが経済だって。人々がそれぞれの地域で、健全に、それなりに幸せに生きていけるか。それが経済のもともとの意味ですよ。漢字の経済だって「経世済民(編注:世を経〈おさ〉めて民を済〈すく〉う)」から来たわけだから。
そして大切なことは、経済とは本質的にローカルだということですよ。地球の裏側からものを持ってこないと生きていけないなんて、どう考えてもおかしいでしょ。すぐそこでつくってるニンジンのほうが、何千キロ向こうから持ってきたニンジンより高いって、いったい何なんだって。
――本当にそうですね。
でもそのあり得ないようなこと、ばかばかしいようなことが実際に起こっていて、ぼくたちはしかたがないと思わされている。このグローバル経済の仕組みはたしかに複雑なんです。でも、この辺で覚悟して、みんな少し勉強しなきゃいけませんね。この世界を支配しているシステムの仕組みを。ああ、これは便利だ、豊かだって言ってるうちに、地球も地域も人間の心も壊れてきた。そして次の世代がもう生きられないようなところまで来てしまったってことに、みんなで気づいていかないと、ね。
ぼくらにとって本質的なものは何か、もう一回考えてみようよってぼくは言いたい。ぼくたちはあまりにも非本質的な、どうでもいいものばっかり毎日追っかけて、これも欲しい、あれも欲しいって言ってるけど、結局いちばん大切なものは何だったのか。そういう大きな見直し、unlearningをしていく必要があると思います。
――その本質的なものっていうのも、きっと、これが本質だって固定されてしまうものじゃないんでしょうね。一度決まったとしても、またそれをunlearningして、常に追い求め続ける運動なんでしょうね。
そうだと思います。学びに終わりなんかない。マハトマ・ガンディーの言葉に、「明日死ぬかのように生き、永遠に生きるかのように学ぶ」っていうのがあるけど、本当にそうだなって。
――今を生きろ、そして学び続けろと。
世の中、本当に、「え、知らなかった!」ってことばっかりじゃないですか。そういう意味では人生は楽しいですよ。いくら年をとっても、学ぶことが尽きるわけじゃないからね。
(取材日:2018年4月5日)