――先生はかなり長く海外で活動されていたんですよね。
アメリカ、カナダが中心で、メキシコ、南米にも少し。合計で16年ぐらい暮らしました。
――その時は現地の人たちと一緒に暮らしたりもされていたんですか。
一緒に暮らすってほどではないけど、長く訪れてはいました。北米でも、中南米でも、先住民ってぼくは呼んでますけど、ずっとそういう人々に興味があって。だから最初は調査というより、本当に好きで行ってました。人類学なんかやってるから、そのうち調査になるかなあっていう思いもあるんだけど、向こうにいるうちに、いや、これ、調査じゃないなって感じになっちゃう。いわゆる学問的な研究みたいなことがあまりできないたちなんですね(笑)
――そこの輪の中に入りたくなってしまう。
一緒に何かやっている、気が付いたらね。
――なるほど(笑)
そういう場所っていうのは、たいがいいろんな矛盾が集中していて、危機的なスポットなんです。先住民が暮らしている場所は、主流社会から見れば、マージナルな場所、エッジみたいな地域なんです。でも、豊かな生態系が残っていたり、地下資源が豊富だったりして、開発の対象になっていく。行くところ行くところで、森林伐採、鉱山開発、水の汚染、ダム問題……、世界中のほとんどの先住民がひどい状況に置かれている。で、気が付くと、そういう問題にぼくも一緒に取り組んでいる。学者というより、ぼくは運動家なんですよね。
――最初のお話に通じますね。問題を外から見るんじゃなくて、その中に入っていて、自分事として向き合っていくってことですよね。
ただ、それは後付けの面もあってね。最初からそういうふうに自覚してたわけじゃないんです。
ぼくはエクアドルで活動してたことがあって、そのとき拠点はもう日本だったんですけど、なんとか時間をつくってしょっちゅうエクアドルに行ってたんです。長時間飛行機に乗って、CO2いっぱいまき散らしてね。それで、現地の人と一緒に「森を守れ!」「鉱山開発反対!」とか、ワアワアやってたわけ。
といっても、現地の人は、そういう危機的な状況の中でも、結構のんびり生きてるんですよ。でも、外からやってくるわれわれは、めちゃくちゃ忙しい。遠くから来たぼくたちを向こうの人は歓迎してくれて、今度はゆっくりできるのかって言うけど、とんでもない、こっちは時間があんまりないから忙しく立ち働くわけです。で、向こうの人はもうあきれてるの。何でそんなに忙しいんだって。
あるとき、みんなで酒飲んでると、なぜだか無性におかしくなって、腹抱えて笑い出しちゃったの。エクアドルの奥地のすっごい辺ぴなところで大笑いしてるわけ。何がこんなにおかしいんだろうって考えてみたら、結局、自分の姿なんですよ。
――自分の姿?
自分ではそのつもりはなくても、どこか上から目線で、「助けてやってる」みたいな意識がぬぐえない。自分が来なかったらこの人たちが困るからって、いつの間にか思ってるわけです。のんびり生きている人の中にズカズカ入ってきて、バタバタと忙しくしてね。それで、「あれっ?」と思った。ここの人たちのほうが幸せなんじゃないか。ずっと人間的でまともな生き方をしてるんじゃないか。危機にあるのは、この人たちじゃなくて、むしろ俺たちの方だって。忘れもしない。これがぼくの転換点。
ナマケモノ
同じエクアドルでナマケモノという世にも素晴らしい動物に出会いました。最初のうちは、森林伐採で行き場を失うかわいそうな動物、というイメージで、「森を守れ!」のついでに「ナマケモノを守れ!」って言ってた感じだった。でも、さっきの大笑い以来、何か思うところあって、ナマケモノのことを調べ始めた。いろんなところに旅してね。日本に文献なんてなかったから、海外の文献にあたって。そしたらいろんなことが分かってきたんです。ナマケモノがいかにすごい動物かが。ナマケモノの生態って、1970年代ぐらいまでほとんど知られてなかったんですね。ナマケモノの研究者自体がほとんどいなかった。
――知名度は高いのに意外ですね。
え、あんな立派な哺乳類になんで研究者がいなかったのか? ぼくの予想では、ただ単に、「あなたの専門は何ですか」と聞かれて、「ナマケモノです」って言うのが嫌だったからじゃないかな。ジャガーの専門家とか、ゴリラの専門家っていう方がいいじゃない。でも、ナマケモノなんて失礼な名前は、人間が勝手に付けただけなんだけどね。
ナマケモノは本当に、すっごいのんびり、ゆっくりしてるんですよ。特にミツユビナマケモノといわれる種類は、本当に速く動けない。スローモーションみたい。で、何でそうなのかが謎だったんですよ。
自然界って弱肉強食のイメージがあるでしょ。だから普通はより速い方、より強い方に進化していくと思うじゃないですか。じゃあ、こんなに遅い方にいってしまったっていうのは何なのか。ただの失敗作? やっと、70年代以降研究が進んでいって、分かってきたんですよ。なぜ遅いかといえば、それは筋肉が少ないから。じゃあ、何で筋肉が少ないのかっていうと、省エネなんですよ。
――省エネ?
筋肉をつくるには、高タンパク・高エネルギー性のものを食べなくてはならない。そうしなくてもいいように、筋肉を持たない方向に進化したらしい。
動物は「動く物」って書くぐらいだから、餌を探して動かなくちゃ生きていけないし、天敵から逃げなくちゃいけない。だから普通はどうやって速く動くかを考えそうなものだけど、そうすると、餌をめぐって他の動物たちと競争しなきゃならない。誰もが欲しいものをみんなで争うわけですよ。でもナマケモノは、その競争から降りちゃうんです。
――面白いですねえ。
何を食ってるかっていうと、葉っぱ。葉っぱなら森にいくらでもある。そりゃ遅いわけですよ、葉っぱしか食ってないんだから。かれらは歯もそんなに発達してないから、時間かけてもぐもぐとやって、あとは大きな腸の中で食べたものを発酵させて消化するらしい。腸の中の微生物がせっせと働いて手伝ってくれるおかげで、ナマケモノはのんびり暮らすことができる、ともいえるわけですね。またふさふさしたナマケモノの毛の間は、虫や微生物にとって住みやすい場所らしくて、その中にはナマケモノの毛の中にしかいないという虫もいるんだって。体そのものが森みたい、ひとつの生態系なんです。
70年代まで誰もナマケモノが排せつしているのを見たことがなかった。これも謎の一つで、あいつらまさか排せつも怠けているのかって? いや、そんなわけないと。で、ある研究者が意を決して、ジャングルの中に住み込んで、ずうっと観察した末に、やっとわかった。7日から8日に1回、排せつすると。
――そんなに!
ただそこで、もう一つ不思議なことがわかった。ナマケモノは木の上から排せつしないんですよ。
――降りてくるんですか?
降りてくる。木の根元までわざわざ降りてきて、ちっちゃい尻尾のついてるお尻でちっちゃな穴を掘って、そこに排せつする。上から葉っぱを掛けたりすることもあるんだって。これが分かったとき、やっぱり進化の失敗作だってみんな思った。
ナマケモノが何で木の上の方にいて動かないかっていうと、そこが一番安全な場所だから。動かないと葉っぱの塊みたいで、ガイドでもよほど熟練じゃないと見つからない。肉食獣っていうのは動くものを見つけるようにできているけど、動かないものを見る視力はとても弱い。ここにもナマケモノがなるべく動かない方向に進化したわけがある。それに、筋肉がないと体重が軽いでしょう。それも一つの戦略。かるーくなって、木の上の方の細い枝にもぶら下がることができる。そうしていれば安全です。
そんな世にものろまな生き物が、排せつのためにわざわざ木の根元に降りてくる。それって一番危険な場所ですよ。天敵がうようよいて、見つかったらひとたまりもない。絶対に逃げられない。不思議でしょ。何なんだ、これは、排せつの度に命がけかよって。
――たしかに謎ですね。
でも、ちゃんと生態学的な理由があった。それがだんだん分かったんですよ。
アマゾンのような熱帯雨林は高温多湿だから、木の上から排せつしちゃったら、あっという間に表面で分解されて、土がまったく肥えないんです。だから熱帯雨林の土壌は貧しくて栄養があまりない。だからジャングルの木は、根っこを下じゃなく、ひたすら横に伸ばすんですね。熱帯林の木って立派で強そうに見えるでしょ? でも、実際はそんなだから、風に弱い。ジャングルを歩くと倒木が多いんだけど、みんな大きなお煎餅がくっついてるみたいな姿なんです。
つまりナマケモノは、そういう木の根っこに少しでも栄養が届くよう、わざわざ降りてきて根元に排せつしていたってわけです。
――すごい!
自分のすみかであり、食べ物を提供してくれる木を、つまり、自分の存在を支えてくれている木を、支える。ある種、農的な生き方ですよね。森のお百姓さん。そして、そこに循環が成り立っている。
――ナマケモノにとっては木と自分が不可分というか、ひとつのものだという感じなのかもしれないですね。
そうだと思います。でも、生命っていうのは本来そういうものなんでしょう。ここからここまでが自分で、こっから先は他人っていうのは、本当はないんだと思う。だから、自分だけのことを考え、自分の利益だけをはかるとか、自分の家族や自分の種だけを利するように行動するっていうのは、自然の摂理でもなんでもなくて、単にぼくたちの意識の中につくられたストーリーに過ぎないのではないか。利己的か利他的かって、二元論的に捉えること自体がおかしいんだと思う。
――やっぱりデカルトが全部悪いんですね(笑)
まあ、あんまり個人攻撃はしないほうがいいけど、やっぱりあれって、恐ろしい話ですよね。「我思う、故に我あり」なんてね。危険な考えだと思います。
――それによって、人間が自然から切り離されてしまった。
現代の危機っていうのは、自然と人間の分離っていうところから出発しているように思えるんです。