高齢社会の問題というと、何を想像しますか。ケア、介護、認知症、孤立、孤独死……。多くの方は、きっと、こんな言葉を思い浮かべるのではないでしょうか。実際、私が接する学生たちも、はじめのうちは、高齢社会の問題=援助の問題と認識している場合がほとんどです。高齢社会にこのような問題があることや、その解決に取り組んでいく必要があることはもちろん事実です。一方で、高齢者の7~8割は心身ともに健康で、経済的にも安定しているという事実もまた、見落とされるべきではありません。なぜなら、これらの人々の課題は、援助とはまた別のものだからです。

 これから高齢期を迎える中年期の人々を対象とした調査では、自分自身の望ましい高齢期の生活について確固としたイメージが持てないという結果が出ました。この結果は、当然と言えるかもしれません。かつて高齢期の望ましい生活スタイルであった「楽隠居」や「晴耕雨読」は色あせて魅力のないもの、あるいは望んでも手に入らないものになりました。社会環境の変化やライフスタイルの多様化に伴って、各自が主体的に高齢期の生活をデザインする必要が出てきたのです。

 定年を延長して働き続ける人、退職してから大学に入りなおし博士号取得を目指す人、仲間を募ってNPO団体を立ち上げる人……。現代の高齢者の中には、若いときよりむしろ生き生きしているのでは、と思える方が少なくありません。こういう方々と接していると、65歳以上を一様に「高齢者」とすること自体が疑問に思えてきます。『サザエさん』に出てくる波平さんはあの風貌で54歳なのだそうです。今どきの60代、70代の方がよほど若々しいと思うのは私だけでしょうか。それだけ、高齢者のありようが変わってきているということでしょう。

 高齢期の生活をデザインしていく上では、個人の意欲だけでなく、自治体のはたらきかけや共同体のサポートが必要不可欠です。多くの自治体では定年退職を迎える方に向けて、地域の活動を知ってもらい、自然に参加できるようになるための講座を開いています。たとえば川崎市では、働いていたときの専門知識や特技等を通して地域の子どもたちとの交流をはかる「寺子屋事業」が実施されています。また、金沢市にある「Share金沢」という日本版CCRC(Continuing Care Retirement Community)も注目に値します。本場アメリカのリタイアメントコミュニティでは高齢者しか入れないのが一般的ですが、「Share金沢」では高齢者だけでなく、大学生、障がいを持った人、病気の人など、いろいろな人々が互いに助け合いながら社会に貢献できる街づくりが進められているのです。こちらの方が、高齢者だけの街より、日本人の価値観には合っているように思います。

 ネガティブなイメージで語られることの多い高齢社会。しかしそれは本来、多くの人が健康で長く生きられるようになった、喜ばしい社会であるはずです。まずはそのことを認識した上で、現実にある一つひとつの問題や課題に取り組んでいくべきではないでしょうか。「高齢者だから」とか「今までこうだったから」といった言説に縛られるのではなく、バラエティに富んだ選択肢の中から、一人ひとりが自分の望む生活を選択できる社会を目指して。それは高齢者のみならず、若い世代にとっても魅力的な社会であるはずです。言うまでもなくかれら自身、未来の高齢者なのですから。