――明治の末に起きた千里眼事件から、超能力や催眠術のブームっていうのはわりと繰り返し起きてますよね。それこそ私が子どもの頃にも超能力が流行ってましたけど、そういうブームが起きる条件みたいなものはあるんでしょうか。
どの時代にも社会を組み立てている、あるいは社会全体を縛っているものの考え方や常識というものがあると思うんですけれども、それに亀裂が入ったときに何が生じるかってことだと思うんですよね。昭和のオカルトブームはオイルショックの直後に発生するんですが、あのときに何が起きていたかっていうと、急激な経済成長に伴う大規模な環境破壊。水俣病やイタイイタイ病といった公害病もそうですし、画一的な開発によって、どこの地方都市も金太郎あめみたいな、似通った街になってしまった。
久しぶりに帰省したら、ふるさとの風景が一変している。その辺りから、科学的な発想だけを基盤にした社会構造や規律、常識といったものに乗っかっていて大丈夫なのかっていう、ぼんやりとした不安みたいなものが出てきたんじゃないかって思うんですね。社会のありようとか、日常や現実の見方って、それだけじゃないんじゃないかっていうのが形として出てくる。
――その一つが超常現象だと。
1973年にコリン・ウィルソンの『オカルト』が日本で刊行されるんですが、それから「オカルト」という言葉が広く知られるようになりました。科学的・論理的な言葉で組み立てられた世界像だけではなく、直感でしか認識できず、言葉にするのさえ難しい世界もある。そういう二項対立が形成されたときに、その具体的な現れとして、『エクソシスト』などのホラー映画や、超能力者のユリ・ゲラー、こっくりさん、心霊写真といったものが出てきた、という感じだと思います。
――現代では世の中を科学的、物理学的に見ることが当たり前になっているので、幽霊や妖怪に魅力を感じたとしても、その存在を信じられるかっていうと難しいところがありますよね。
「科学的に証明できないからそんなものはない」ってよく言いますけど、実は大きな間違いです。科学は決められた条件における物の考え方のひとつであって、科学以外にも考え方の枠組みは、いくつもある。だから、科学相対主義というのが本来あるべきポジションだと思うんですが、今はちょっと科学絶対主義に寄り過ぎていますよね。
――おっしゃる通りだと思います。
ただ、科学の考え方や科学の言葉っていうのは非常に効率がいいのと同時に、言語の違いを越えて世界中で共有されやすいんですよ。だから発展もする。この世界の多くの現象が科学によって説明できるし、それにのっかることで世の中がちゃんと回っているという意味では、非常に優れた考え方であり物の見方であることはたしかです。
すごく素朴に言っちゃえば、私たちはこの体、五感を通してしか世界を認知できないわけですよね。そうすると世界の見え方は、ひとりひとり違うはずなんですよ。たとえば視力って、すごく個人差があるじゃないですか。ある人は近視だったり、ある人は遠視だったり、乱視だったり……。昔お付き合いしていた女性が夜空を見上げながら、「今夜は月が七つ並んでてきれい」って言い始めたので大丈夫かって思ったら、乱視だったんですけど。
――はい(笑)
私には月が七つ並んでるさまは想像できないですけど、彼女にとってはそういう世界が、ある意味当たり前なわけですよね。私たちは自分が見ている世界を基準にして、みんなもこう見えてるよねと思っているけど、実は、五感を通して見える世界っていうのは人の数だけある。それをどうやって束ねて世界を運用するかって言ったときに、科学はたしかに便利なんです。
――なるほど。
毎年授業で、怖い体験した人いませんかっていう質問をします。すると、毎年2割ぐらいはいるんですね。5人に1人はそういう体験をしている。私はぜんぜん見えないし、感じないたちなんですけど、面白いのは、その2割の学生たちがたとえば幽霊を見たと言っても、見え方がそれぞれ違うんですよ。
ある学生が言うには、妙に存在感のある黒い粒子みたいなものが視界の隅にいて、でもそこに視線をやると消える。あれが多分幽霊だと。かと思えば、生きてる人間と全然区別がつかないって言う学生もいて、横断歩道ですれ違ったときに肩を当てちゃった、謝らなきゃと思って振り返るといない。あれ、いますれ違ったのにって。
――ぶつかったっていう感覚はあるんですかね。
あるみたいです。他にも、声は聞こえるけど姿は見えないとか、気配だけ感じるとか、いろいろバリエーションがあるんです。
そうすると、私たちが「幽霊」という言葉で束ねているものも、もっと場合分けして考える必要があるかもしれない。それに、どこまでが幻視幻覚で、どこまでがちゃんとした形で拾えるのかってことも考えないといけないんですが、何分、偶然に左右される出来事なので……。今ここに幽霊出してと言っても出せる人がいないので、そういう具体的なアプローチはできないでしょうね。
――やっぱり難しいですよね。
科学的なアプローチによって、幽霊の存在を実証した人はいません。科学的心霊研究は1882年に始まったので、もう130年以上経ってますけど、いまだかつて実験室で確実に幽霊とみなせる者を出現させた人はいないし、だからその存在を科学的に証明した人もいない。でも、ただ「いるいない」の問題だけではなく、なぜ私たちはそういうものを認知してしまうのか、そこにどんな意味付けをしているのか、そこから何が見えるのか、その背景には何が存在するのか。そういうアプローチはできますし、する必要があるんじゃないかと考えている次第です。
(取材日:2018年9月7日)