琉球というのは、どうも女が活動するところだったみたいなんですよね。今でも沖縄に行かれれば分かるんですけど、市場の中で働いてるのはもうほとんどが女性。男はあまり見ないです。

――なにか理由があるんでしょうか?

 歴史を見てみると、島津の支配というのがひとつ関係しているように思います。琉球は大体17世紀ぐらいに島津に占領されるんですね。そのときまではあまり年貢はなかったんですけど、島津が入ってきてから非常に厳しくなってくる。

 たとえば宮古島なんかだと、米はそう多く採れませんから、主にアワとか麦を年貢として納めていた。でも島津にしてみれば、アワや麦をいっぱいもらったってあまり使い道がないわけですよ。やっぱり米が中心ですから。

 そこで島津は考えた。だったら、むしろ反物で、織物でもらったほうが得だと。最近はだんだん廃れてきましたけども、琉球では島ごとにいい織物があったんですよ。宮古には宮古上布、八重山には八重山上布、それから奄美大島では大島紬。

――なるほど。

 島津はアワとか麦なんかもらうより、反物でもらったほうがよっぽど金になる。そうやって年貢の対象が反物になると、負担は女性に傾くんです。年貢の検査に通る反物を織るのに、女たちは四苦八苦するわけですよ。反物には、麻をつくって、それから繊維を取って、繊維を紡いで細くしていって、というふうにいくつもの段階があり、それは女の手先の器用さで決まるわけです。男にはとてもできない。

 年貢の量は集落ごとに決まっていますから、こっちの家が間に合わなかったら、みんなでその分も納めることになる。みんなに迷惑を掛けるから、自分の家の分はどうしたって自分でやらないといけない。そうやって、女が家を盛り立てていくわけです。男はどうかというと、今までアワとか麦をつくってたのがもういらなくなっちゃって、やることがない。仕方ないからウチで泡盛かなんか飲んで、おとなしくしてる。そうすれば金が掛かんないですからね。

――情景が目に浮かぶようです。

 沖縄のお母さんが子どもをしかるとき、これはすごいですよ。あくまでも、私たちがまだ沖縄に通い始めた頃の話ですけどね。たとえば子どもがいたずらをしたり、家に帰るのが遅くなったりしたときに母親が何と言ってしかるかというと「たっくるせえ!」。たたき殺せって。おまえ殺されるぞって言うんですよ。父親の方は、ああそうかくらいのもんなんですけど。だから子どももね、母親にしかられるともうしゅんとなってましたよ。

――それはすさまじいですね……。

 琉球の女の強さですよね。家庭を維持していくにはやっぱり強くないといけない。資源も何にもないところですから。そこで生き延びていくには、こうした女の力というのものがどうしても必要だったんだと思います。

あやはづち

――柳田国男の目を琉球に向けさせたという入れ墨ですが、その入れ墨、ハヅチをするのは女性だけですか。男性はしない?

 男は聞かないですね。台湾あたりに行くと、青年に達すると男も女も入れ墨を入れますけどね。琉球は女だけで、男が入れることはまずないと思う。ずっと昔は、どうだったか分かりませんけれども。

 お話が少し横にそれますけど、琉球では評判のいい女というのは手が黒いんです。今はもちろんそんなことはないでしょうし、現に沖縄の女性も白いわけですけども、昔は手の白い女は嫁さんにもらい手がなかった。

――入れ墨で黒くなると。

 第一はそう、ハヅチで黒い。加えて織物をやりますからね。織物を染めるとどうしても黒くなってしまう。そのふたつの原因があって、手は黒くなきゃいけない。白い手をした女性は要するに怠け者ってことです。それで嫁のもらい手がない。

――ハヅチというのは両手に入れるんですか。

 両手です。大変ですよ、あれは。痛い目に遭うんですから。

――そうですよね……

 でもこれをやらないと「大和へ連れて行かれるぞお」なんて脅されてね、仕方ないから彫るわけですよ。最初は痛いから包帯を巻いて、しばらくは仕事もできない。でも出来上がってしまうと、やっぱり誇らしい気持ちになる。自慢になるわけですね。

 奄美の島唄にこういう歌があるんですよ。八月踊りといって、日本本土でいうとまあ盆踊りみたいなもんです。そこで歌われるこういった歌があってね。

 腕あげれあげれ あやはづち おがま 
 胸あけれあけれ たまちち おがま

 「あやはづち」っていうのは、彩りのいい入れ墨ってことです。腕を上げると入れ墨の入った美しい手が見える。「おがむ」は「見る」ってこと。「たまちち おがま」ってのは、向こうの着物は一重ですからね。夏の踊りなんかやってると着物がはだけて、おっぱいが出ちゃうわけですよ。これは冗談半分の歌なんですけども、ハヅチっていうのはそのくらい、島の男にとっても女にとっても憧れの的だったわけです。

――琉球の人にとっては本当に大切なものだったんですね。

 未婚の女性が不幸にして亡くなったときにね、親はどうするかっていうと、大人にするようなハヅチを墨で書いてあげる。結婚もできないで死んでいくのはかわいそうだというので、そうやってあの世へおくってあげるということをしたわけです。