学校や学級の荒れは一般的に、教師に対する暴言や暴力、生徒同士のいざこざ等によって、授業や行事の成立が困難になる状態のことを指します。この問題と向き合っていく上で、それらの問題行動がなぜ起きるのかが重要な論点であるのは言うまでもありません。非行や犯罪の発生に関しては、人間観の違いによって、つぎの三つの議論があります。

 一つめは「性善説」に立つもので、人はもともと善であるにもかかわらず、なぜ問題行動を起こすのかと問います。この場合は厳しい家庭環境や、競争をあおって子どもたちに過度のストレスを与える現代社会の構造などがその要因として挙げられることになります。二つめは「性悪説」に立つもので、人は放っておいたら悪いことをするものだという前提のもと、どうすればそれを防げるかと問います。この場合は親の愛情や教師との信頼関係などが重要視されることになるでしょう。三つめは「経験説」に立つもので、なぜ問題行動を起こすことができるのかを問います。ここでカギを握るのは仲間です。中高生の犯罪に多い万引きを見ても、最初から一人で犯行に及ぶことは少なく、大抵は仲間の非行少年からその手口を教わっています。また、初めて万引きをした後には強い罪悪感に苛(さいな)まれるものですが、それに対しても仲間が「お前が盗んだくらいであの店はつぶれない」「もっと悪いことをしているヤツはいっぱいいる」と、心のケアをしてくれるのです。

 これらの議論はどれか一つが正解で残りの二つは間違いだ、というものではありません。問題行動は単独の原因で起きるということはほとんどなく、多くの場合は複数の要因が――不幸な偶然によって――重なっています。そのため、性善説、性悪説、経験説、それぞれの議論をふまえ、個々のケースに応じて対策を講じていくことが必要となります。

問題行動がなぜ続くのか

 学校や学級という集団のレベルで見た場合、「問題行動がなぜ起きるのか」以上に重要なのは「問題行動がなぜ続くのか」という問題です。一度の問題行動で学校や学級全体が荒れることはまずないため、問題行動が継続する過程やメカニズムを見ていくことが必要となるのです。

 以前までは、荒れている学校や学級(以下、「困難校・学級」)は、単純に、問題行動を起こす生徒(以下、「問題生徒」)が多くいるのだと考えられていました。しかしいろいろな学校をまわってみると、「困難校・学級」の方が、落ち着いている学校や学級(以下、「通常校・学級」)より「問題生徒」が少ないことも珍しくありません。その逆に「問題生徒」が比較的多いにもかかわらず、授業や行事が成立しているケースも少なからず見受けられます。このことは何を意味しているのでしょうか。

 私たちが2002年~2003年にかけて実施した公立中学校の調査によると、「困難校」においては不良少年や問題行動を肯定的に評価し、教師や規則に対して従順な「まじめ少年」を否定的に評価する生徒文化が形成されていることが示唆されました。これらの学校では、特定の生徒が問題行動を起こすとそれを面白がったり、心情的に支持する雰囲気があり、こうした「空気」が問題行動を継続・エスカレートさせる要因の一つになっていると考えられます。

 それに対して「通常校」では、特定の生徒が問題行動を起こしても他の生徒からの支持が得られず、逆に否定的なレッテルを貼られて孤立するといった状況が想定されます。つまり、学校や学級が荒れるかどうかには、「問題生徒」よりもむしろ自身は問題行動を起こさない「一般生徒」が深く関与していると考えられるのです。このことはまた、教師や大人にとっては問題行動であるものが、「困難校」の生徒にしてみればまわりから肯定的に評価される「適応行動」であることを意味しています。

 ではなぜ、「困難校」の「一般生徒」は問題行動を肯定的に評価するのでしょうか。

指導のダブルスタンダード化

 学校や学級が荒れると、当然のことながら教師は指導法の見直しを迫られます。状況に応じてさまざまな指導法が採られますが、中でもよく採られるのがつぎの二つです。

 一つは「問題生徒」がこれ以上増えないように、「一般生徒」を重点的に指導するやり方です。この場合、「問題生徒」は指導の対象からはずれることになります。髪型や服装、授業中の態度について「一般生徒」は厳しく注意されるのに「問題生徒」はスルーされる、といった場面をイメージしてもらうとよいでしょう。もう一つは「問題生徒」の良いところに注目し、そこを伸ばすというやり方。掃除当番や文化祭の準備など、「一般生徒」であればして当たり前のことでも、「問題生徒」の場合は参加しただけで褒めたり励ましたりするというものです。

 これらはいずれも「一般生徒」からすると、指導の基準がダブルスタンダード化した、不公平な指導と受け取られる可能性があります――同じことをしているのに、前者であれば自分だけが叱られ、後者であれば「問題生徒」だけが褒められるのですから――。そして、「一般生徒」の抱くこうした不公平感は、教師に対する反感や学校生活そのものを楽しくないと感じる要因となり、それが高じると、学校生活の秩序を乱す問題行動を支持するような生徒文化を形成していくのではないかと考えることができます。

 この仮説を検証するため、2003年の6~7月、神奈川県の公立中学校8校の1~3年生(34学級・1131名)を対象に、教師の指導のダブルスタンダード化が学校や学級の荒れに与える影響についての調査を実施しました。その結果、叱る・褒めるのいずれの指導も、「通常校・学級」より「困難校・学級」において多くなされていることがわかりました。学校や学級の荒れをおさめるためになされた指導が、逆にそれを継続・エスカレートさせる反教師的な生徒文化を形成する要因となっていたのです。

規範意識と思春期の思考

 学校が荒れる理由として、生徒たちの規範意識の低下を指摘する議論があります。大まかに言うと、子どもたちはしていいことと悪いことの区別がついていないから問題行動を起こすのであり、これを解決するには道徳教育を通して児童生徒の規範意識を醸成する必要がある、という筋立てです。この立場は文部科学省をはじめ、さまざまな教育行政機関で積極的に推進されており、学校現場でも多くの実践が積み重ねられています。

 しかし、はたしてそうでしょうか。先述したように、「困難校・学級」における問題行動が、それを起こす生徒にとっては反教師的な生徒文化への適応行動であるならば、かれら自身はそれが(一般的には)してはいけないことだとわかっているように思えます。してはいけないことだからこそ、やる価値があるのです。実際、小・中学生(小学生341名・中学生906名)を対象に実施した2011年12月~2012年2月の調査では、生徒自身の規範意識には「困難校・学級」と「通常校・学級」の間に差はありませんでした。具体的には、「授業中に大声で話す」「理由もなく掃除当番をさぼる」といった行動についてどう思うかを「してもよい(1点)~絶対にしてはダメ(4点)」までの4件法で回答してもらったところ、両者の得点に有意な差は見られなかったのです。

 一方で、他の児童生徒の規範意識をどうみるか?には差が見られました。先ほどと同じ行動に対してあなた以外の生徒の多くはどう思っていると思うかを「してもよいと思っている(1点)~絶対にしてはダメだと思っている(4点)」で回答してもらったところ、「困難校・学級」の得点は「通常校・学級」のそれより低かったのです。すなわち、「困難校・学級」の生徒は、問題行動に対して、自分はしてはいけないと思うけど、まわりのみんなはしてもいいと思っているだろうと思い込んでいたのです。

 こうしたギャップが生じるのには、思春期特有のコミュニケーションの様式が関わっていると考えられます。思春期になると、自分が思っていることをそのまま口にするのではなく、それを言うことでまわりから自分がどう思われるかを考えて、発言内容を変えたり、発言自体を取りやめることができるようになります。いうなれば、深く思考できるようになることで、自分の思いを「内側の世界」だけにとどめておくことが可能となるのです。

 これは正常な思考の発達過程ですが、学校の荒れに関してはマイナスに作用することが考えられます。他の生徒の問題行動に対して「してはダメだ」と思っても、それを口にするとみんなから変だと思われるかもしれないから何も言わない。誰も何も言わないから、やっぱりみんなは「してもよい」と思っているんだと思い込み、ますます何も言えなくなる。そして「問題生徒」はこの状況を自分の行動が支持されているものと勘違いして問題行動を繰り返す、というわけです。であるならば、生徒の規範意識を醸成することより、一人ひとりの規範意識を――アンケートを実施し、その結果を公表するなどして――学校やクラスで共有することの方が重要なのではないでしょうか。

 ここまで見てきた通り、学校や学級の荒れには、「問題生徒」だけでなく、「一般生徒」が関与して形成される生徒文化や、思考の発達といった要因が複雑に絡み合っています。それだけに一義的な解決策を出すことは不可能ですが、これが思春期の子どもたちの集団の問題であるということは、もっと認識されるべきではないでしょうか。そのためには、大人の常識に凝り固まるのではなく、問題行動が時に適応行動として映るかれらの視点や、私たち自身も経験した思春期の変わりゆく心の内に、改めて思いを致す必要があるのではないかと思います。


※本稿は『問題行動と学校の荒れ』(ナカニシヤ出版)、「学級の荒れと規範意識および他者の規範意識の認知の関係」および「思春期になぜ自尊感情が下がるのか?」の内容を下地として、トイビトのインタビューへの応答をもとに再構成したものです。