万物の根源は何かという問いは、古代ギリシアで生まれた哲学の主要テーマであり、数多くの哲学者を悩ませてきました。そのひとりであるプラトンは「万物の根源はイデアである」と考えました。世の中にあるもの、スマホだったり、電車だったり、山だったり、人間だったりには、この世界を超越したところに、その本質とでもいうべき「イデア」があり、私たちが見ているのはそのイデアの影に過ぎないというのです。プラトンはなぜ、このように考えたのでしょうか。

 この世界にはおびただしい数のものがあります。しかし、たとえば、「同じ」というものは、どこを探してもありません。にもかかわらず、私たちはある時「あれとこれは同じだ」ということに気づきます。それはトマトと信号の色かもしれないし、おにぎりと山、ソフトクリームと雲のカタチかもしれない。誰に教えられたわけでもなく、そのものとしてはどこにも存在しないのに、人間は必ず「同じ」を発見します。プラトンはそれを、現実世界を超越したところに「同じ」のイデアがあるからだと考えたのです。

 イデア論は私たちが世界をどのように認識しているのかということについては、非常に合理的な説明をしてくれます。一方で、誰もが抱く「この世界を超越したところとはどこなんだ」という疑問には明確に答えてくれません。これに対してプラトンの弟子のアリストテレスは、イデアはこの世界を超越したところにではなく、この世界のものやことの中に、その構成要素としてあると考えました。彼はそれを形相(エイドス)と呼び、すべてのものは質料(ヒュレー)と形相によって成り立っていると主張します。彫像でたとえるなら、どのような像にするかという作り手のイメージが形相で、材料となる石が質料です。そしてアリストテレスは、像になる可能性をもった石の状態のことを「可能態」、像として完成した状態のことを「現実態」と呼び、世界のしくみを可能態から現実態への運動として捉えたのです。

 アリストテレスがこのように考えたのには、師のプラトンも大きな影響を受けたパルメニデスの論理への危惧があります。パルメニデスは、「あるもののみがあり、あらぬものはあらぬ」と述べ、この世界のすべてを「ある」というひとつの属性で説明しました。そして、真にあるものは運動することも変化することもなく、永遠にあり続けると考えたのです。もしもこれが本当なら、世の中のすべてのものは「ある」の中に溶けてしまい、個々の区別がなくなってしまいます。さらに、プラトンのいうイデアがもしもあるとしたら、そのような本質的な存在とは別に、なぜこの世界のようなものがあるのかがよくわかりません。そのため、アリストテレスは「存在は多様に語られる」と述べて、パルメニデスのいう存在の一義性を否定したのです。

 アリストテレスの考えを受け継ぎ、キリスト教思想と統合して「スコラ哲学」を大成したとされるのが、中世ヨーロッパの神学者・哲学者であるトマス・アクィナスです。トマスはアリストテレスの質料と形相に加えて、もうひとつ、「存在(=現実性の根拠)」という原理があると考えました。

 私たちは普通、現実性とは世界に与えられたものだと考えます。この世界が現実としてあるから、スマホも山も他人も現実に存在するという理屈です。しかしトマスは現実性を、世界にではなく、個物に与えます。スマホが持っている現実性と山が持っている現実性は異なるものであり、それらの集合体が現実世界だというのです。たしかにこうすれば、すべてのものが「ある」だけのパルメニデス的な世界にはならなそうですが、果たしてうまくいくでしょうか。

 実はトマスは自らの思想に、アリストテレスの理論だけでなく、プラトンのイデアも取り入れています。前述した「イデアはどこにあるのか」という問いの答えは彼にとっては自明で、それは神の中です。プラトンはイデア界なるものをゼロからつくる必要があったので「それはどこなんだ」という疑問が生じましたが、キリスト教の文脈であればこの問題は解消します。トマスは初めからこの世界の他に、神という領域があることを前提としているのです。

 トマスは、神とは「存在」そのものであると述べており、かつ、神以外のものは「存在」を分有するものとして存在するとしています。ということは、トマスは神を個物の存在の根源として、つまりは「存在のイデア」として捉えていたという考えも否定できません。しかし、もしも神において存在がひとつの本質として成立しているのであれば、今度はなぜそのような存在が、この世界という自らとは異なる存在があることを許すのかという疑問が復活してしまいます。これに対する説得力のある説明を、トマスのテキストから見つけることはできません。「神とは存在のイデアですか」と聞いたら、彼は果たしてなんと答えるのでしょうか。

 トマス・アクィナスは、古代ギリシアとイスラムの思想が怒涛のように流れ込んできた中世ヨーロッパのキリスト教世界において、極めてクリアで整合的な理論をさまざまな領域で打ち立てました。彼の偉大さは、一つ一つの論の当否というより、自らの考えを誰もがわかるように書いているという点です。どんなに立派な考えでも、わかる人がいなければ話はそこで終わりです。しかし書いてあることがわかれば誰もがその当否について考え、議論することができます。14~16世紀のヨーロッパではそのような議論があちこちで行われ、あるとき、数学を使ってこの世界を記述する「近代科学」というものが生まれました。その意味においてトマスは神学の体系だけでなく、近代科学への流れをつくった源流のひとつだと言うことができるでしょう。