より多くの給料や高い地位を得るために、自分の時間を費やして働く。それは未だに、多くの人が共有している「常識」ではないかと思います。しかし、私たちの幸せは、本当に、その先にあるのでしょうか。
古代ギリシアの哲学者アリストテレスは、一日の24時間を、睡眠や食事などの時間、社会に必要なものを生産する労働時間、思索を深めたり、人と話したりする自由時間に三等分した上で、人間の幸福は三番目の自由時間にこそ存在すると主張しました。この考えを後世の経済学者たちが批判しながら継承し、すべての経済活動や科学の発展は、労働時間を減らし、自由時間を増やすためにある、という真理に行き着いたのです。
これを裏付けるように、1886年5月1日、アメリカのシカゴで、「私たちに自由な時間を」をスローガンとした統一ストライキが行われました。これが今日のメーデーへとつながっています。労働者の最初の要求は、賃金アップではなく、自由時間だったのです。
しかしこの要求は、現代でも十全に受け入れられたとは言えません。技術の進歩によって短時間でモノがつくれるようになっても、人々の労働時間は減るどころか、むしろ増えてきました。そうやって生み出された価値と時間を人口のごく一部が独占し、多くの人は貧困や過重労働に苦しんでいます。現代社会では所得だけでなく、自由時間にも大きな格差が生じているのです。
自由時間はギリシア語で「スコレー」といい、これは「スクール」の語源です。社会に目を向け、人と議論を交わし、思索を深めることで成長していく。学校とは本来そのための場所であり、その時間こそが自由時間なのです。その貴重な時間を、私たちは日々、何に使っているでしょうか。労働問題を考えるためには、まず、自由時間から見直してみる必要があるかもしれません。