功利主義は、「功利の原理」を道徳の原理とする立場で、イギリスのモラリスト ジェレミ―・ベンサム(1748-1832)によって創始されました。功利の原理とは、簡単にいうと、すべての人の幸福を増やすような行為が正しく、逆に減らすような行為が不正である、というものです。功利主義は利己主義とよく混同されますが、自分だけではなく、すべての人の幸福を基準としている点で、利己主義とは明確に異なります。ベンサムがなぜこんなことを主張したのかは後で見ることにして、まずは功利主義に至るまでの議論を概観してみましょう。

「感情主義」対「合理主義」

 近代イギリスのモラリストの間では、道徳判断をめぐって「感情主義」と「合理主義」の論争がありました。すなわち、善や悪、正や不正、徳や悪徳は、感情や感覚によって知られるのか、それとも理性や知性によって知られるのか、という論争です。

 感情主義を代表するハチスン(1694-1746)は、人間には美的感覚――何かを理屈抜きに美しいと感じる感覚――があるのと同じように、徳や悪徳を知覚する「道徳感覚」が備わっていると主張しました。視覚や聴覚などとは異なる、第六感のようなイメージでしょうか。これに対して、合理主義は、感覚によって得られるのは光や音といった断片的な情報だけであって、徳や悪徳を知ることはできない、それができるのは、感覚によって得られた種々の情報をとりまとめる理性や知性である、と反論しました。

 このように対立する感情主義と合理主義ですが、実は、この両者には共通の前提があります。それは、人間にはあらかじめ道徳判断を下す能力が備わっているということです。その能力が感覚や感情なのか、知性や理性なのかは別として、ともかくわれわれは善や悪、正や不正、徳や悪徳を直観的に知ることができる、というわけです。これに対して、道徳判断は直観によってではなく、功利の原理に基づいてなされるべきだと主張したのが、他ならぬベンサムだったのです。

最大多数の最大幸福

 ベンサムは、善とは幸福のことであり、正しい行為とはすべての人の幸福を増やす行為のことであると主張しました。そして、正と不正の尺度として、最も多くの人に最も多くの幸福をもたらすこと、すなわち、「最大多数の最大幸福」(the greatest happiness of the greatest number)を唱えました。

 こうしたベンサムの考えは、彼が生きた社会の状況と深く関係しています。当時のイギリスは特権階級である貴族や産業革命によって生まれた資本家といった少数者が社会の富を独占しており、人口の大半を占める民衆は貧しい暮らしを余儀なくされていました。「最大多数の最大幸福」はこうした社会状況の変革を企図するものであり、それはまた、ヨーロッパに芽生えつつあった民主主義の思想とも通底するものでした。

 さて、ここまで読まれた方の中には、こんな疑問を持った方もいるのではないでしょうか。つまり、「最大幸福」という抽象的なものが、どうやって道徳の尺度になるのかと。この問いの答えになるかどうかはわかりませんが、ベンサムのいう「幸福」とは具体的には「快楽」のことであり、最大幸福とは最大の快楽のことです――英語のpleasureという言葉は、日本語のニュアンスとしては「快楽」よりも「喜び」の方が近いかもしれません――。そして、「最大」という表現から分かるように、快楽には量の差しかないとベンサムは考えました――これを「量的快楽主義」といいます――。実は、このことからも、民衆に対するベンサムの共感を窺い知ることができます。

 というのは、もしも快楽に質の差があるすれば、たとえば貴族や資本家が読書によって得る快楽は高級であり、民衆が仕事終わりのビールから得る快楽は低級である、ということになるでしょう。ですが、ベンサムの考えでは、快楽を求めて苦痛を避けるという点で、人間は誰もが同じであり、それゆえ、量の差はあるにせよ、快楽自体は本質的に同じものなのです。ここには、すべての人を対等な存在とみなすベンサムの姿勢が表れています。

危害原則

 こうしてベンサムによって創始された功利主義でしたが、19世紀以降、その問題が明らかになります。たとえば、個人(あるいは少数者)の幸福と社会(あるいは多数者)の幸福が対立した場合、功利の原理に従うと、後者が優先され、前者が犠牲になる恐れがある、という問題です。

 ベンサムが理想とする社会とは個人の集合体であり、社会の幸福とは個人の幸福を足し合わせたものに他なりませんでした。この考えの通りであれば、両者が対立することはあり得ません。しかし、実際には、個人の幸福が社会の幸福と対立することがしばしばあります。

 いま仮にある人にとってA・B・Cという3つの快楽があったとして、その中からもっとも快楽が大きいAを選んでBとCを捨てるということには、もちろん何の問題もありません。個人の自由です。では、これを社会に当てはめたらどうなるでしょうか。A・B・Cという3つの政策があり、Aを支持する人が大多数、Bは少数、Cはほとんどいないという場合、「最大多数の最大幸福」という原理を用いると、当然Aが採用され、BとCは却下されます。このとき、BやCが特定の個人や集団の自由や生命に関わる政策だとしたら、多数者の幸福のためには少数者の人権を犠牲にしてもよいということになってしまいます。

 前述した通り、ベンサムの時代には少数の貴族や資本家が社会の実権を握っており、大多数の民衆は弱者でした。そのような状況において、「最大多数の最大幸福」は、公正な社会を構築する原理たりえたのです。しかし、ベンサムの後を継いだジョン・ステュアート・ミル(1806-1873)の時代になって、民主主義が進展し、人民が力をもつようになると、今度は、人民の中で多数者が少数者を抑圧するという問題が出てきました――これを「多数者の専制」といいます――。それは、功利主義にとって大きな誤算でした。

 この多数者の専制という問題に対するミルの答えは、個人の自由を可能な限り保障するというものでした。功利主義を無条件に適用するのではなく、一定の制約を設けたわけです。ミルは、国家がある個人の自由に干渉することが許されるのは、その個人が他人に危害を加える恐れがある場合に限られると主張しました――これを「危害原則」といいます――。裏を返すと、個人の自由は(他人に危害を加えない限り)最大限に認められるべきだということで、ミルの主眼はむしろこちらにありました。

 このようにミルは、個人の自由を尊重する社会が自由な社会であり、個人の自由を認める方が人類にとって有益であるとして、功利主義の立場から自由な社会を擁護しています。

後世への影響

 功利主義は道徳の議論に留まらず、さまざまな分野に影響を及ぼしました。その一つが、19世紀に富の科学として発展した「経済学」です。特にベンサムの「量的快楽主義」はのちの経済学者たちに広く支持されました。快楽を量に転化し、社会全体でどれだけのプラスを生み出せるかを計算するというベンサムの発想が、あらゆるモノやコトをお金に還元してその動きを研究する経済学と相性がいいのは不思議ではありません。また、「最大多数の最大幸福」は、20世紀に誕生した「福祉国家」の思想的基盤の一つとなりました。

 近代以降の社会において、功利主義が大きな役割を果たしてきたことは疑いようのない事実です。それだけに、功利主義が内包している問題もまた、見過ごすわけにはいきません。前述した、個人の幸福と社会の幸福が対立した場合に後者が優先され、前者が犠牲になるのではないかという問題に加え、そもそも、人それぞれであるはずの幸福を量に還元し、計算や比較の対象にすることが許されるのかという疑問は、多くの人が感じるところでしょう。また、功利主義は富の生産に関わる原理であり、得られた富をいかに公正に分配するかについては定まった考えがないといった批判もあります。

 ベンサムやミルが生きた近代のイギリスは、現代の世界のさきがけといえます。そこで生まれた不平等や格差、貧困、過酷労働といった問題が解決されぬまま全世界へと拡散した時代、それがこの21世紀だといっても過言ではありません。だとすれば、ベンサムやミルの議論を辿り、かれらの姿勢やまなざしに思いを致すことは、私たち自身の社会や生き方を見つめ直すことでもあるのではないでしょうか。

※本稿は『近代イギリス倫理思想史』(ナカニシヤ出版)及び『人間は利己的か―イギリス・モラリストの論争を読む』(慶應義塾大学出版会)の内容を基として、トイビトのインタビューへの応答を再構成したものです。