――最後に、今回の新型コロナウイルスによるパンデミックが、今後、社会やコミュニティに及ぼす影響についてお聞かせいただけますか。

 このテーマは最近いろいろなところで書いているのですが、ひとことでいうと、さっきの話とも通じますけど、分散型社会になっていくのではないかと思っています。

 今回のコロナはニューヨーク、ロンドン、パリ、日本でいえば東京といった、「三密」の典型みたいなところで感染が拡大しました。一方、ヨーロッパの中ではドイツの被害が比較的小さかったのですが、ドイツという国は割と分散型社会なんですね。もちろんベルリンという大都市はありますけど、アメリカなんかと比べると中小規模の都市が分散している。そういったこともあり、一極集中型から分散型へという方向が基本になると思っています。

 もうひとついうと、私たちの研究グループ――私を代表とする京都大学の研究者4名と、2016年に京都大学に創設された日立京大ラボのメンバー数名――は3年前にAIを活用した日本の未来のシミュレーションというのを実施しました。

 これは150ぐらいの社会的要因からなるモデルをつくり、2050年頃に向けた約2万通りの将来シミュレーションから、採られるべき政策の選択肢を提起するという趣旨だったんですけど、それによると「都市集中型か地方分散型か」というのが日本の未来にとって最大の分岐点で、AIが出した答えは、日本の人口や地域の持続可能性、格差や健康、幸福といった点から地方分散型が望ましいというものでした。

 私は今回のコロナが起きたとき、AIはこれを予言していたのではないかと思いました。それくらい、今回浮き彫りになった集中型の危うさといった課題とシミュレーションの結果は重なっていたんです。

――まさに今われわれは、集中型の危うさを痛感している状況ですね。

 付け加えると、単に東京から地方へという空間的な意味での分散だけではなく、これは今多くの方が感じておられることだと思いますけど、テレワークやリモートワークによって自宅で仕事をするとか、フレックスタイムによって通勤ラッシュを避けるといった、働き方やライフスタイルという意味での分散も重要です。

 もっといえば「人生の分散型」というか、たとえば働く時期や大学に行く時期を自由に選べるようにするといったことも考えられます。

 ただ、分散型には格差や分断といった問題が出てきますので、その対応は非常に重要ではありますが、今回のコロナは危機というだけではなく、今まで課題でありながら、日本社会がなかなか変えてこれなかったものを変えていく可能性を秘めているのではないかと思います。

――自宅でも支障なく仕事ができるんだったら、今までなにやってたんだろうって思っちゃいますよね。

 本当にそうです。満員電車や余分な会議に煩わされないので、むしろ生産性も上がったり。

――私も最近はオンラインで取材や打ち合せをすることが多いんですけど、便利な一方で、やっぱり対面で話したいなと思うことがあります。同じ空間を共有している感覚というか、つながりというか、言葉のやりとりだけではない、デジタルでは拾いきれないなにかがあるようにも感じます。

 おっしゃる通りですね。科学のコンセプトは物質、エネルギー、情報、生命の順に進化してきたと思うのですが、このうち情報から生命への移行過程を今回のコロナは象徴しているように思います。私たちはなんでも情報として捉えようとしがちですが、生命は創発性という特性を持っているので、そのすべてを情報でコントロールすることはできない。

 ウイルスは生命と非生命の中間といわれますけど、人間に感染するわけですから大きくいうと生命の話です。私はこれからはポスト情報化の時代、情報では説明できないものが重要になってくると思っていますが、生命がまさにそれで、今回のコロナにはそのことを明らかにしたという意味もあると思います。

――以前読んだある本の中に、情報化というのは「生もの」をパッケージにしていくことだ、みたいなことが書いてあって「なるほど」と思ったんですけど、思えばこのインタビューにしても、「生もの」である実際の会話と、このあと私が「情報化」したものとはある意味で別物なんですよね。

 情報化には一長一短があって、たとえば文字化することで失われるものもあれば、逆に加わるものもありますよね。先ほどの物質、エネルギー、情報、生命というのは積み重なっていくものですから、情報と生命というのも単純に切り替わるのではなく、補完的というか、それぞれが重要です。

 そのこともふまえて、生命というものの価値が再発見されていくのが、これからのポストコロナということになると思います。

(取材日:2020年6月15日)