アートの中心といえば、20世紀前半まではヨーロッパ、とくにフランス・パリでした。しかし、第二次世界大戦後はそれがアメリカにシフトします。その端緒となったのは、戦後まもなくのニューヨークで生まれた“抽象表現主義”でした。今回は、そのような美術史的重要性を持つ抽象表現主義の動向の中でも、とくに“アクション・ペインティング”と呼ばれる有名な一側面に焦点を当ててみたいと思います。
アクション・ペインティングに分類される代表的なアーティストとして、ジャクソン・ポロックやウィレム・デ・クーニングがいます。ポロックの作風は、知っているという方もいらっしゃるかと思います。絵の具が激しく飛び散り、大きな画面いっぱいに線が走り回る彼の作品は、たしかにそれまでの絵画芸術とは一線を画する画家の動き=アクションを感じさせるものだといえるでしょう。通常の絵画は、基本的に手首中心の動きで描かれます。それに対し、ポロックは肩を中心にして、“アクション”という言葉がふさわしい大きな身振りで、床の上に広げたキャンバスに絵の具を流し込んだり撥ね掛けて描きました。
ポロックやデ・クーニングたちの絵画を“アクション・ペインティング”と最初に呼んだのは、ハロルド・ローゼンバーグという彼らと同時代のアメリカの批評家でした。アクション・ペインティングが論じられるときには必ずといっていいほど引用される、彼の有名な言葉があります。
「ある時、一人また一人とアメリカの画家たちにとってキャンバスが――実際あるいは想像上の対象を再現したり構成し直したり分析したり、あるいは“表現する”空間であるよりもむしろ――行為をなす場としての闘技場のように見え始めた。キャンバスの上に起こってゆくのは一枚の絵ではなく、一つの事件であった」(拙訳)
これは、ローゼンバーグが1952年に発表した「アメリカのアクション・ペインターたち」という論文の一節です。彼は、それまでは絵が描かれるものだったキャンバスが、戦後アメリカの一群の画家たちにとっては、行為する場、アクションする場になったと言っています。彼らの描画の身振りだけでなく、画面との向き合い方にも、それまでの絵画とは違った感覚をローゼンバーグは見て取っています。この論文が“アクション・ペインティング”という見方・考え方の始まりで、それは、世間的には“抽象表現主義”という用語よりも、場合によっては有名になっています。
概念と作品
ローゼンバーグのアクション・ペインティングという概念は、当時流行していたサルトルの実存主義哲学の影響を受けています。ローゼンバーグは「アメリカのアクション・ペインターたち」において、「一筆一筆が一つの決断であらねばならず、それにはその都度新たな問いが投げ返された。本質的に、アクション・ペインティングとは、困難を媒介とする絵画である」(拙訳)とも述べています。そういったローゼンバーグの主張は、人間とは最初は何ものでもなく、不安や孤独、絶望といった状況のなかで絶えず主体的に選択をなしながら自らを作っていく存在であることを説いたサルトルの著書『実存主義はヒューマニズムである』(仏語原典1946年/英訳1947年)を想起させます。
ところで、“アクション・ペインティング”という概念をローゼンバーグが生み出したときに彼の頭のなかにあった画家たち自身が、そういう考え方をどこまで肯定していたかは、また別問題です。たとえば制作中のポロックの映像を見てみると、「闘技場」などというほど激しくキャンバスと向き合っている様子はありません。また、ローゼンバーグは上記の彼の論文のなかで、行為や過程そのものが重要だとも言っていますが、当の画家たちにとっては、やはり完成した作品こそが重要なはずです。
その点で、ローゼンバーグのアクション・ペインティングという概念をそのまま画家たちの実際の仕事にそっくり当てはめて考えてしまうのは、ちょっと乱暴かもしれません。――当時は、第二次世界大戦を経て、アメリカがいろいろな分野でイニシアティブを握っていく時代。美術についても、ヨーロッパとは違う新しいアメリカの絵画芸術の在り方を、戦後アメリカの批評家として自分なりに示したいという責任感と野心の両方が、ローゼンバーグのアクション・ペインティング論の背後にはあったように思います。
いずれにせよ“アクション・ペインティング”は、その後の現代アートに大きな影響を与えました。それは日本にも及んでいます。たとえば、1954年に結成された「具体美術協会」。とくに、同会の中心メンバーの一人だった白髪一雄は、床に広げたキャンバスの上で、天井から吊るしたロープにつかまりながら足を筆の代わりにして、身体全体の動きで絵を描きました。
ポロックの作品はDIC川村記念美術館(千葉・佐倉)やセゾン現代美術館(長野・軽井沢)、大原美術館(岡山・倉敷)などで観ることができます。実物の前に立って彼の“アクション”を自分で追体験してみると、きっと画集などで見る印象とは異なる身体的感覚が得られると思いますので、機会があればぜひ訪れてみてください。
構成:富永玲奈