1973年10月29日、大阪のベッドタウンである奈良市近郊で「トイレットペーパーがなくなる」といううわさが広まり、人びとがスーパーに殺到する騒ぎが起こりました。この騒ぎは翌日には大阪へと飛び、堺、枚方、寝屋川、東大阪へと広がって、トイレットペーパーの値段は3倍近くにまで跳ね上がりました。

 その様子がテレビや新聞で伝えられると、騒動は全国へと広まります。買いだめの対象もトイレットペーパーだけでなく洗剤、砂糖、小麦粉と増えていき、挙句には当時日本専売公社の専売品だった塩までが加わりました。これに対して政府は物不足を否定し、買いだめ対象となっている商品の増産や緊急出荷を指示します。商品が店頭に並びだしたことで人びとは落ち着きを取り戻し、関西ではわずか一週間ほどで事態は収束しました。これが「トイレットペーパー・パニック」として知られる買いだめ騒動の顛末です。

 騒動を引き起こしたうわさについて、もうひとつ、より深刻で覚えておくべき例を挙げましょう。1923年、関東大震災の後に広まった、「朝鮮人来襲のうわさ」です。

 地震の起こった9月1日の夜、横浜付近で発生したとされる「地震の混乱に乗じて朝鮮人が放火をしている」といううわさは、またたくまに被災地、そして全国へと広まりました。その過程でうわさは「強盗をしている」「井戸に毒を投げ込んでいる」「数百人で襲ってくる」とエスカレートしていきます。「根拠」の一つとなったのが、門や塀などに白墨でつけられた「A」「ケ」「→」「〇」などの記号や符号です。これらは牛乳や新聞配達人、屎尿(しにょう)汲み取り人が得意先を示すためにつけていたものですが、人びとは襲撃先や放火の場所を仲間に伝えるための暗号だと解釈したのです。うわさが広まることにより、自衛のための自警団が各地で形成され、朝鮮人や中国人、朝鮮人に間違われた日本人が数多く殺害されました。

うわさの「公式」

 うわさは一般的に、「パーソナルな関係性を通じて広まる情報」と定義することができます。テレビ、新聞、ラジオといった「制度的なチャンネル」ではなく、人から人へと伝わっていく真偽不明、あるいは事実無根の情報、それがうわさです。アメリカの心理学者ゴードン・W・オルポートとレオ・ポストマンはうわさの「公式」として「R~i×a」を提示しています。うわさの強さや流布量(R<Rumor>)は、当事者にとっての問題の重要さ(i<importance>)とその論題についてのあいまいさ(a<ambiguity>)の積に比例するというのです。この公式に則って考えると、自らの生命や先行きといった重要な事柄にあいまいさを抱える災害時や戦時などにうわさが広まることが理解できます。トイレットペーパーの買いだめ騒動にしても、オイルショックに見舞われた当時の日本に住む人びとにとって、「物不足」というテーマは重要で、かつあいまいなものだったのです。

 うわさの考察においては、そのうわさを広めた媒体、すなわちメディアとの関連も無視することはできません。1976年2月、フランスで食品添加物の名がタイプされたチラシが出回り始めました。そこでは添加物が、発がん性のあるもの、疑いのあるもの、無害なものにグループ分けされていましたが、フランスで禁止されている(食品に含まれていない)ものが無害とされていたり、逆に無害なものが発がん性ありとされていたりする、デタラメなものでした。このチラシは広まるにつれて内容が変化し、さらには情報の発信源として「ヴィルジェイフ病院情報」と記載されたことで(もちろんこれもデタラメですが)、フランスのみならずイギリスやドイツ、イタリアなどでも翻訳されたものが出回る事態となったのです。

 日本では1980年代末から1990年代にかけて「当たり屋のチラシ」が出回りました。これは、示談金や見舞金目当てにわざと交通事故を起こす「当たり屋」が県内に入って来ていると注意を促した上で、添加物の例と同様に、当たり屋だとされる車のナンバーのリストが記載されたものです。

 1996年に社会心理学者の佐藤達哉が学生に呼びかけて収集したところ、集まった11枚のチラシはどれ一つとして同じものはなかったそうです。コピーやファックスされたそれらは、補足説明の方法が異なっており、ワープロの誤変換があったり、手書きの注意書きが付け加えられたりして、いずれも単純な複製ではありませんでした。

 添加物のチラシにしても、当たり屋のチラシにしても、多くのうわさがそうであるように、「事実」として広まりました。これらが事実だと思われた理由の一つに、具体的な添加物の名や車のナンバーが記載されていたことがあげられます。単に「発がん性のある食品添加物がある」「県内に当たり屋が入って来ている」というだけでは大ざっぱすぎて広まりません。気を付けるべき対象が具体的なリストになっていたからこそ、受け取った人はもっともらしい情報だと捉えたのです。更に言うと、これらのうわさが口頭ではなく、チラシだったからこそ成立したということも押さえておくべきでしょう。添加物や車のナンバーといったこのうわさの「内容」=コンテンツは、「形式」=メディアと切り離すことはできないのです。

ネットで広まるうわさ

 うわさを考える上でもっとも今日的なメディアは、言うまでもなく、インターネットです。最近の傾向として、ツイッターやフェイスブックなどのSNSを通して、ちょっとした「いい話」が広まるという例がよく見られます。たとえばこんな話です。

実際にあった話
50代とおぼしき妙齢の白人女性が機内で席につくと
彼女は自分の隣が黒人男性であるという事に気がついた
周囲にもわかる程に激怒した彼女はアテンダントを呼んだ
アテンダントが「どうなさいましたか?」と訊くと
「分からないの?」とその白人女性は言った
「隣が黒人なのよ。彼の隣になんか座ってられないわ。席を替えて頂戴」
「お客様。落ち着いていただけますか」とアテンダント
「当便はあいにく満席でございますが
 今一度、空席があるかどうか、私調べて参ります」
そう言って去ったアテンダントは、数分後に戻って来てこう言った
「お客様、先ほど申し上げましたように、 こちらのエコノミークラスは満席でございました。
 ただ、機長に確認したところ
 ファーストクラスには空席があるとのことでございます」
そして、女性客が何か言おうとする前に、アテンダントは次のように続けた
「お察しとは存じますが、 当社ではエコノミークラスからファーストクラスに席を替えるという事は
 通常行っておりません
 しかしながら、或るお客様が
 不愉快なお客様の隣に座って道中を過ごさざるをえない、という事は
 当社にとって恥ずべき事となると判断いたしますので
 当然事情は変わって参ります」
そして黒人男性に向かってアテンダントはこう言った
「ということで、お客様、もしおさしつかえなければ
 お手荷物をまとめていただけませんでしょうか?
 ファーストクラスのお席へご案内します」
近くの乗客が、歓声をあげるのを
その白人女性は呆然と眺めるだけであった
スタンディングオベーションを送る者もいた
【人種差別に反対の人はシェアしよう】

Hagex-day.info「Facebookはバカばかり」よりの引用)

 インターネット上のウソのうわさを収集しているサイト「Hoax-Slayer」によると、この話は少なくとも1998年から確認されているそうです。現場とされるエアラインは複数名前が挙げられているものの、実際にこの事件が起こったという証拠はないとのことです。この他にも、街中で見知らぬ人から受けた親切や芸能人が人知れず行った善行などがリツイートやシェア、ブログに転載されるなどして広まっています。ほとんどが「実際にあった話」とされていますが、同じような話が以前にも広まっていたり、つじつまの合わない部分があったりして、信憑性には疑問符をつけざるをえません。

 このような話が広まることは、ツイッターやフェイスブックなどが「他人に見せたい自分」を構築する場として機能していることと関係していると考えられます。「不幸の手紙」のように他人をイヤな気持ちにさせるものとは異なり、「いい話」であればそれを伝える自分も「いい人」だというアピールになります。他人からの評価が可視化されるSNSにおいて、「いい話」は自分への評価を集める絶好の素材なのです。

「いい話」の落とし穴

 この飛行機のうわさには、「たとえ事実ではなくても、人種差別撤廃のために広めるべきだ」という意見もあります。はたしてそうでしょうか。「事実でなくとも広めるべきだ」と考える人は、一度、この話がどのようにつくられているかを見てみるべきでしょう。

 少し注意すれば、この話が、黒人男性と白人女性、それぞれに対するステレオタイプと差別意識によって成り立っていることに気がつきます。もしもこれが黒人の若い女性と白人の中年男性だったとしたら、万人受けする話にはなっていないでしょう。つまりこの話は、同時代に共有されている偏見を前提にしているという点において、先に挙げた「朝鮮人来襲のうわさ」と選ぶところがないのです。

 悪意をもってウソを広める人がいないわけではありませんが、はるかに多いのは、むしろ「ありそうな話だ」と思い、場合によっては善意から、友人や知人と共有する人のほうです。その過程でうわさはさまざまに解釈され、あるいは人びとの願望を取り込んで、より「もっともらしい」話へと変貌していくのです。

 フランスの社会学者ジャン-ノエル・カプフェレは、うわさを「最も古いメディア」と呼びました。実際うわさは太古の昔から現代に至るまで、形式を変えながらその命脈を保っています。そのことは、うわさが負の面だけではなく、人と人との”つながり”を生み出し、強める側面を持つことと無関係ではないでしょう。うわさが社会からなくなることは、恐らくこの先もありません。だからこそ、もっともらしい、いかにもありそうだと思える話ほど、一度立ち止まって考えてみる。それがこの「最も古いメディア」との上手なつき合い方なのです。


※本稿は、『うわさとは何か』(中央公論新社、2014年)を下地に、トイビトのインタビューへの応答を再構成したものです。