あれはいったい何だったのだろう。道場からバス停までの道のり、固くしまった雪の上にうっすらと積り始めた雪の上を進みながら、私の意識はさっきの稽古での乱取りを振り返っていました。正面に立つミロザの残像。組み合う直前、手のひらで胸を突かれた。その直後に自分のからだは投げられていた。手のひらの一撃、あれは崩しだろうか。とすれば、あの動きが来たら別様に反応するしかない。なんとかして「あの技」を防ぎたい。それにしても、あれほど投げられるとは……。

 2012年秋、カナダで大学院生活をはじめた私は「言葉の壁」に直面していました。特に教室でのディスカッション。言いたいことがうまく言えず、うまく聞き取れない。「言いたいこと」をかたちづくることも、聞き取るべき音を選り分けることもうまくいかない。それは議論に参加する以前の問題でした。トロント郊外の柔道場との出会いは、その「言葉の壁」を迂回することを求めた延長線上にありました。博士論文を英語で書き上げるという私的な困難を前に、とにかく自分のからだを使って研究の素材を集めることを基本線に据えれば、少なくともそれは、アルファベット的世界に埋もれたものにはならないはずだ、と考えたのです。

 冒頭の出来事は、道場に通いはじめて二週目のことでした。その日初めて挨拶を交わしたアゼルバイジャン出身の青年ミロザに、私はこれでもかというほど投げられ続けたのです。私は決して熟練の柔道家とは言えませんし、部活動で柔道に取り組んだこともありません――一方のミロザはアゼルバイジャンのジュニア代表でした――。それでも、自分のからだを制されるばかりでは柔道になりません。なんとかして「あの技」に対処しなければ。それに、この学びの過程自体が研究のネタになるかもしれない。うまくいけば自分も「あの技」を使えるようになるかもしれない。そのためにも「あの技」を知ることが、当面の課題のように思われました。

 その後、あいまいな記憶を言葉に置き換えることで、「あの技」が少しずつ形を帯びてきました。さんざん投げられたのは胸を突かれたことでからだがこわばり、硬直する隙をつくったからではないか。おそらくあれは「変形の大外刈り」だったのではないか。あるいは突かれてバランスを保とうとわずかに前のめりになった場合には、払い腰のような腰わざで大外刈りとは逆方向に投げられた。ミロザはおそらく、手のひらで突く動きからこの二つのわざを組み合わせて使っていた。だとすれば、最初に向かってくる手のひらを払いのければよいかもしれない……。

 こうして「あの技」を構成する動きの全体性は、身体の部分の状況を表す言葉に置き換えられて再構成されていきました。それはジグソーパズルの台紙の上に一つひとつピースをあてがっていく作業に似ています。あてがわれるピース=言葉が増えるにつれて、徐々に「あの技」の全容が見えてくる。しかし一方で、私にはどうしてもぬぐい去れない不足感がありました。そもそも「あの技」は言語記述を積み重ねることで、捉えきれるようなものなのだろうか。

 ミロザにしたたか投げられたとき、そこにあったのは不思議な体感でした。私はできる限りの仕方で投げられまいと必死でした。まさにそのことによって、私は進んで投げられたのです。投げていたのはミロザだけではありません。自分もまた、投げられまいとしながら自ら投げられ、つまりは自らを投げるとでもいう出来事に加担しているかのようでした。「あの技」について書き出すほどに、整合性のない、アンビバレントなものとして体感が浮かび上がってくるのです。

言語化の限界

 動きを言葉で捉えることの困難について、ドイツ出身の哲学者オイゲン・ヘリゲル(1884-1955)の経験を参照しながら考えてみましょう。1940年代に東北帝国大学に滞在していたヘリゲルは、6年間にわたって弓術を学びました。指示したのは弓聖と呼ばれた達人、阿波研造(1880-1939)です。ヘリゲルの著した『日本の弓術』には以下のような描写があります。

 「放れ」を待つことができないのは、ヘリゲルが自身から離れていないからだと言う阿波研造。弓を引くのは目的に対する手段のはずだと考えるヘリゲルは、この説明に納得がいきません。的に当てるために弓を引くのではないかというヘリゲルに、阿波は声を上げて答えます。弓の道には目的も意図もない。的に射当てるために矢の放れを習得することを目指す限り、「放れ」は成功しない。そのために正しく待つこと。自分自身と自分のもの一切を捨て去ること。ヘリゲルがなお、意図しながら意図しないようにすることの不可解を表すと、阿波は、そんなことを尋ねた弟子は今までいない。だから自分は正しい答えを知らないと応えます――。

 ヘリゲルの違和感は、一連の動きに対する阿波の言語記述的な説明が整合性を持たないことに起因しています。そこには、ヘリゲルの母語であるドイツ語を含めたラテン系の言語が、日本語とは違って、主語の線引きをより強く求めることも影響しているでしょう。「私が弓を引くこと」「的に当てるために弓を引くこと」を否定する阿波の態度は、主体と客体、能動と受動、目的と手段といった論理を用いることの拒絶に他なりません。そしてそれは私の経験した「投げられまいとしながら自らを投げる」という体感とも通底しているように思われます。

 アンリ・ベルクソン(1859-1941)の思考は、こうした体感と言語のアンビバレントを考える一つの足掛かりになるかもしれません。

時間の空間化

海の底に投げ込まれた測深器が流動体を持ち帰ると、すぐに太陽がこれを乾かして固いばらばらな砂の粒にしてしまう。(ベルクソン2001:246)

 海の底から引き揚げられたものが乾かされ、ばらばらの砂粒になるように、動きはひとたび言語化されるとその動性を失います。ベルクソンはこのことを「時間の空間化」と呼びました。空間化はひとの思考の癖ともいうべきもので、ベルクソンは、我々は動きそれ自体と動きが通過した空間(=言語や数値などによって記述されたもの)を誤認しがちであると述べています。私がミロザの動きの一部を「あの技」として対象化し、分析を積み重ねたのは正に空間化そのものでした。本来未分で一連のものだった動きをバラバラのピースに置き換え、再構成しようとする試みだったのです。仮にパズルが完成したところで、それは「あの技」そのものの再現ではありえません。

 これに対し、言語記述を独特の仕方で迂回しようとする阿波研造の振る舞いは注目に値します。

あなたの代りにだれが射るかが分かるようになったなら、あなたにはもう師匠が要らなくなる。経験してからでなければ理解のできないことを、言葉でどのように説明すべきであろうか。(ヘリゲル1982:34)

 誰が射るのか、というヘリゲルの問いに対して、阿波はこのように応えています。それは弓を射る主体が誰なのかという問いに直接答えていないだけでなく、さらなる言葉のやりとりを拒絶するような応答です。阿波の意図とは、どのようなものなのでしょうか。

 阿波の振る舞い方に着目してみると、そこには「問いかけが要求してしまうような答えの様式を避ける」という見え方が浮上します。たとえば、指先の技巧によって無心の射を実現しようとしたヘリゲルから弓を取り上げ、無言のまま座布団に座ったというエピソード。あるいは、ヘリゲルの質問に答える代わりに暗闇の中で見せた無言の射――射放たれた二本目の矢が的に的中した一本目の矢筈(やはず/矢の端の、弓弦をかけるところ)を貫いていた――をめぐるエピソード。こうした振る舞いに見出されるのは、できる限り言語記述化しないというひとつの構えです。それによって阿波は言語記述化による分断を回避し、自らの動きを未分のままでヘリゲルに伝えようとしたのではないでしょうか。

 言語記述化は、生のものを切り取り、凍らせて取り扱うような営みです。それは刻一刻と腐りつつあり、あるいは味覚と触覚の対象として別々に認識される以前のあいまいな様態を、既にそれぞれの感覚の対象として切り分けられた形でしか想起できなくなるということです。であるなら、既にとらえたことの検証や考察ではなく、まずはとらえるということを問題にすべきではないか、と私は考えました。未分の、つまり同時に生起していて、その余韻が互いに溶け合うような変化をできるかぎり断ち切らずにとらえること。たとえるなら、言語をうまく扱えない赤ん坊が何かをとらえようとするような実践に注目するということです。

 これらをもとに提起されるのが、方法としての「薄い記述」の実践です。

薄い記述

 薄い記述とは、とらえるということに重きを置くために、いかに記述を重ねていくかではなく、記述すること自体をいかに削ぎ落すかに焦点を当てる試みです。その実践の一つとして、私はビデオカメラを道場に持ち込みました。映像制作自体は近年の研究にさまざまな形で取り入れられています。その背景には、言語中心主義を乗り越える方策のひとつとして映像が注目されていることが挙げられますが、一方で、言葉を補うものとして映像を用いる限り、その映像自体は概念的な、つまりは言語記述的な議論ができないことが強調され、結果的に言語記述の重要性を指し示すという逆の事態を招来することにもなります。

 それに対して私がビデオカメラを持ち込んだのは、記述するという行為をできる限り留保するためでした。記述を補うためではなく、あくまで言語記述という行為を薄くすることにその力点があり、それによって「とらえるということ」に注力しなおそうと考えたのです。

フィールドの撮影風景

 薄い記述の実践はまた、研究の成果物(プロダクツ)とその探求(プロダクション)の境界を突きくずし、両者のタイムラグを埋めていくことでもあります。事象が生起した瞬間と、それが文字となって――正にこの原稿のように――読まれるまでの間には、いくえもの隔たりが存在します。私がミロザとの乱取りを記述するとき、私は汗もかいていなければ、息も乱れていません。学問的な試みの多くは、実はこのタイムラグに依拠しています。タイムラグがあるからこそ、自らの経験について思考をめぐらし、一つひとつの言葉に置き換えていくことができるのです。それに対して、たとえば映像制作の成果物は、私のからだが経験するその瞬間を直接に反映します。それはプロダクツとプロダクションの隔たりを約(つづ)め、あいまいにしていくような「未分のアプローチ」とでも呼ぶべきものでしょう。

 私たちはふだん、何の疑いもなく、自分の認識や経験を言葉によってとらえています。仮に言葉にできないものがあれば、それは「言葉にできないもの」という言葉によって処理されることになるでしょう。しかし当然のことながら、現実にあるものや出来事はすべて個別具体的で、一度きりのものです。私が投げられて感じた痛みはその時々で多様に受け取られるものです。にもかかわらず「痛み」という言葉を用いることで、私たちはそれらを同じものとしてカテゴリー化してしまいます。

 薄い記述の実践は、こうした「とらえかた」そのものを問いなおす試みです。といってもそれは、ただ映像にすることでも――一連の動きを切り分けてつなぎ合わせるという意味では映像も空間化に他なりません――、言葉を用いないということでもありません。言葉の扱い方を、あるいは言葉との向き合い方そのものを変えていくこということです。研究途上のため確たるものを提示することはできませんが、たとえば、限られた文字数で森羅万象を描き出す短歌や俳句はそのひとつのヒントになるでしょう。

 言葉を積み重ねるのではなく、言葉を削り、手放すことによって現れる景色があるのではないか。言葉にされたものではなく、言葉にされなかったものに目を向けることで見えてくる地平があるのではないか。あらゆるものがデジタル化され複製も再現も可能な現代において、それは、ただひとつだけのもので構成された世界、そして、ただ一度きりの経験が次々に生起している私たちの存在のあり方へと近づく方法のひとつではないかと思います。


※本稿は「体感のアンビバレント」の内容を下地として、トイビトのインタビューへの応答を再構成したものです。